Episode.Zwei. chiot─シオ─ ver.1.1



 女怪物Chiot/シオが目覚めた轟雷夜イムベル・フルメンから、一年程経ったある日──

 朝露の残る庭にて、屋敷の主人であるルーザーは日課の体操を行っていた。

 元々運動する習慣はあったのだが、とある事情で一時期途絶えたていたのだ。その結果、定期検診で苦言を呈されたとの事。そこからは意識的に生活習慣を整え、朝の体操も習慣化させたのである。



「マスター、いた」

 そんな彼に、気怠げな視線を送る人造人間FrankenMonsterが居た。彼女のことをより正確に言い表すのなら、死後の世界より帰りし者──帰還者レウェルティと呼ぶべきだろう。

 ──個体名ナマエをシオといい、一年前に起動したばかりの赤子である。しかし、歩く事も他人と話すことも可能なのだ。これは死者の脳を利用した結果であり、大きなメリットでもある。

 ただしその性能には保存状態が深く関係する為、デメリットとなるケースも多数存在した。

 ──例えば、経年劣化による認知機能の低迷。

 ──疾患による機能の喪失、及び組織の変性。

 ──外傷による脳組織の欠落、及び損壊。

 他にも様々な事例は存在するが、どれもナノマシン無しにはマトモに機能しなかった。

 こうした場合、情動を司る部位は切除され脳は洗浄される。洗浄といっても物理的に洗うのではない。記憶や人格、経験と言った個人にまつわるモノを全て消し去る。そして白紙となった脳にナノマシンを埋め込み、基本的な言語や社会的マナーを定着させる。こうすることで、製造後すぐに働けるようにしているのだ。

 故に脳洗浄を受けた者達は人造人間Frankenstein•Monsterとされ、帰還者レウェルティとは異なる扱いを受けている。


 前者は社会に奉仕する存在であり、自治体によって管理される存在だ。それらは適切な期間、適切な運用をされた後に弔われる。そして庁舎前の慰霊碑へと名が刻まれ、年に一度慰霊祭が行われるのだ。これは死者への感謝と、尊厳を忘れない為の行事として全国で行われている。


 そして後者──帰還者レウェルティは個人に所有される存在だ。

 どんな目的で所有するのかは個々人によるが、軍事目的でなければ基本許可される。とはいえ、所有には多くの制約が存在しているのだ。加えて維持費もかかるので、富裕層以外が所持しているケースは稀であった。 

 ……ただし例外も存在する。生前に、自らの意志で帰還者レウェルティ化を望む者だ。大半はやむを得ない理由で帰還者レウェルティとなったもので、その身柄は安魂教会アニミス•エレクシアが引き受けている。稼働期間中の修繕や維持費は教会が負担しており、帰還者レウェルティにはある程度の自由が与えられる。ただし目的を達成した後は、教会の所有物として奉仕する事が条件となっているのだ。

 また極々稀にではあるが、帰還者レウェルティ化した事を隠しつつ生前と変わらぬ生活しているものも居るとか。


 そして彼女──シオはルーザーの所有物である。つまりは帰還者レウェルティだ。

 淡い青味を帯びた白髪の先端は紅く染まり、パッチリとしたスカイブルーの両目が印象的である。年齢にして二十歳ハタチ前後と思わしき身体は、大人へと変わりつつある少女の不完全な美しさを宿していた。


 しかし感情の成長が遅いのか、それとも表現が苦手なのか。どちらなのか不明だが、とにかく表情が乏しい。

 加えて衣服に対する興味も薄く、自発的に服を選ぶ事がないのである。

 故にルーザーが用意を忘れようものなら、全裸で徘徊することも珍しくない。

 製造から半年経つ頃にはなくなったが、衣類対する興味は相変わらなかった。オーバーサイズのシャツを一枚羽織るだけで、平然と表へ出ていこうとする。加えて下着を身に着けたがらないので、保有者のルーザーは頭を悩ませ続けていた。



「おはようシオ」

「……ん、おはよ」

 そんな彼女の視線に気付いた彼は、汗を拭きながら片手を上げて挨拶をする。それを見た彼女は、ダボついた袖をひらひらと振りながら挨拶を返した。

 そこで気付いたのか、彼は急いで彼女の元へと駆けていく。

「シオ、君はまた──」

 二階のベランダにいた彼女は案の定、裸シャツというスタイルであった。そんな彼女を叱ろうと彼は近付くが、すんでのところで距離を取られてしまう。

「シオ。こっちへ来るんだ」

。マスター、汗臭い」

「……運動したばかりなんだから仕方ないだろう。それよりもシオ、服をちゃんと着なさい」

 一歩彼が踏み出すと、それに合わせて彼女も一歩下がる。彼が手を伸ばせば、上手く身を躱して距離を離す。一進一退の攻防は暫し続き、彼は深い溜め息をついた。

「──私、この方が楽。下着の締めつけ、嫌い」

「我儘を言わないでくれ、シオ」

「締め付け、やだ」

「ソレはそういうものなんだ。下着をつけて、服を着るのは人として当たり前の事なんだよ」

「……私、人じゃないよ?」

 彼女は一瞬考え込み、小首を傾げた。確かに彼女の言う通りではあるのだが、ここで言う人の意味が違う。

「…………ごめん、シオ。僕が言い間違えた。下着をつけて服を着るのは、人間社会において当たり前の事だと言うべきだったね」

 それを理解しているからこそ、彼は強く言えなかったのだ。優しく諭すような声で伝えるものの、彼女に伝わっているかどうかは怪しい。

「人間社会……じゃあ、帰還者レウェルティ社会もあるの?」

「あるかも知れないけれど、僕は知らない。それにシオも知ってるはずだよね。帰還者レウェルティは──」

「──保有者マスターの所有物。私達は、肉人形」

 彼が言い淀んだ一瞬の隙に、差し込まれた言葉は酷いものであった。意図的かどうかはさておき、あらぬ誤解を生むには充分過ぎる発言だ。彼にとってもこの言葉は予想外だったのか、信じられないモノを見たかのように固まっていた。

「……あ、肉奴れ──」

「──それは駄目だ、シオ! 誤解しか招かないから!」

 そんな彼を見て何を思ったのか、彼女は更に酷いワードを口にしようとした。間一髪止めることは出来たものの、彼はやりきれない表情を浮かべている。

「マスター、声でか……」

「だとしても、だ。今のは君が悪いんだよ、シオ。そもそもそんな言葉を何処で知ったんだ?」

 再びの深い溜め息。対する彼女は若干顔をしかめ、彼を見つめていた。


「……深夜のラジオ放送。サノバビッチ? マンの、あれ」

「そのチャンネルは禁止してなかったっけ、シオ?」

 チャンネル名を聞いた瞬間、彼の表情が一気に変わる。

 ──余談だが、サノバビッチマンの深夜ラジオは十年近く続く人気チャンネルだ。

 しかし内容が過激であり、下ネタが多い為に深夜枠でしか放送できない。都会では有害指定チャンネルにされる程だが、何故かしぶとく続いている。公式は未成年リスナーを禁止しているらしいが、そんなモノが守られるはずもない──

 当然ルーザーも禁止していたのだが、その努力は実らなかったらしい。約束を思い出したらしい彼女は、気まずそうに視線を外したのであった。

「──……そう、かも?」

「そうだよ。まぁ聴いてしまったのは仕方ないけど、今後は駄目だからね」

「わかった」

 嫌そうに頷くと、彼女は彼の脇をすり抜け何処かへと急いでいく。その挙動はやや人間離れしており、鍛えられた軍人であっても反応出来ないようなものであった。

「っと、何処へ行くんだ? 話はまだ──」

「──キッチン。着替えたらご飯作る……ので、シャワーを浴びてきて欲しい」

 会話を断つようにして一方的に伝えると、彼女はそのままダイニングキッチンへと消えていく。彼もその後を追いかけようとしたのだが、もう既に彼女の姿はない。

「……元気なのは良いんだけど、度が過ぎるよシオ」

 彼がそう独り言ちるのも無理はないだろう。ちらりと視界に捉えただけだが、彼女はパルクール地味た挙動で最短距離を飛び降りていたのだ。そんな行動に辟易しつつ、彼はシャワールームへと向かって行った。


「マスター、遅い。コーヒーとか、色々冷めた」

 ダイニングへキッチンへと続く扉を開けた先には、給仕服に着替えた彼女が立っていた。

 その表情こそ変わらぬが、不機嫌極まりない雰囲気を纏っている。凪いだ湖面を思わせる静かな怒りを秘めたまま、彼女はじっと彼を見据えていた。

「あ、あぁ……すまない」

「まって」

「……えっ?」

 彼が短い謝罪の言葉を口にした途端、彼女は顔がくっつくギリギリの距離まで近付く。そして脇や首まわりと言った箇所を嗅ぎ、続けて全身をくまなく嗅いだのである。

「……うん、良い。臭くない」

「シャワーを浴びたからね」

「石鹸の匂いは好き……コーヒー淹れ直すから、待ってて」

 彼女は満足したのだろう。驚く彼を気にも止めず、その場で身を翻し真っ直ぐにキッチンへと向かって行った。


「ねぇシオ。君は最近そればかり着ているけど、そんなに気に入ったのかい?」

 淹れ直された珈琲を味わいつつ、彼は疑問を口にする。

「マスターの、部屋にあった本。そこにこーゆー服を着た女の人が沢山載ってたから、好きなのかと思って」

「君はまた勝手に私の部屋へ入ったのか」

 彼女の答えにやや呆れていたが、それを彼女が気にする様子はない。彼から教わった通りの手順で抽出を終えると、予め温めていたのであろう2つのカップへと注いでいた。

「掃除のついで。でも、見つかりやすいところに置くのも悪い」

「君の言う通りかもしれないが、そういうのはやめたほうが良いよシオ」

「なぜ?」

「人の物を勝手に見るのは良くないことなんだ……誰にだって知られたくないことがあるからね」

 差し出されたコーヒーカップを手にする彼の顔に、僅かばかりの影が差す。しかしそれはほんの瞬きの間に見せたものであり、次の瞬間には何時もの優しい笑みに戻っていた。

「そう。それでマスターはこの服、好き?」

 影りに気づいていないのだろう。彼女はその場でワンピースの裾を軽く摘むと、その場でくるりと回って見せる。ふわりと風を孕んだワンピースの裾から覗く脚は、汚れ一つない純白のソックスに包まれていた。

「──……えっと、答えなきゃだめ?」

 最後に綺麗なカーテシーを見せた後、じっと無言で見つめ続けてくる彼女。その視線に耐えかねた彼は、恐る恐るといった具合で尋ねる。

「うん、答えて。そうしたらもう、マスターの本を勝手に読まない」

「……まぁ、好きだけど。ただワンピースの色はボルドー──いや、濃紺色が好きなんだ」

「ボルドー? 私の髪色と、おなじ色……だっけ?」

 小首を傾げ、髪の毛先を一束摘んで見せる彼女。それは轟雷夜イムベル・フルメンの日に染まってしまった髪の一部であり、その色は何をしても取れることがなかった。絹のように艷やかで、柔らかな銀白色の長髪は切り揃えても、その場所だけが紅く変色してしまう。そうしていつの日からか、彼は彼女の髪に触れることを止めてしまった。

「近いけれどもう少し深みのある色なんだよ、ボルドーは」

「そ。なら今度は濃紺色のシャツに変えるね、マスター」

「別にいいよ。君が着たい色のものを着るといい」

「好きな色……? とくにない」

 彼女は寸秒考え込むような姿勢を見せたものの、次の瞬間にはコーヒーを一口で飲み干していた。飲み終えたカップを片付けると、彼女は再びキッチンへ立つ。慣れた手付きで卵を割ると、あっという間にスクランブルエッグを作り上げた。 

「マスター。これは、パンに挟む?」

「そうしようか」

「わかった」

 作ったばかりのそれをボウルへと移し、ペッパーミルで挽いた胡椒とマヨネーズを粗く馴染ませ深めの皿へと盛り付ける。それとセットで運ばれたのは、厚切りの食パンとベジマイトの小瓶。

「ありがとうシオ」

Nichts zu danken.どういたしまして

「驚いた、今のは独逸ドイツ語だろう?」

「昨日、暇だから調べて覚えた。

 ………そんなことより早く食べよう、マスター」

 彼女は対面の席に座ると、両の手を合わせて彼をじっと見ていた。彼が慌てて手を合わせると、二人はほぼ同時にいただきますと言って朝食を取り始める。


「今日の朝食も美味しいよ、シオ」

「そう? いつもと同じ味のはず、だけど」

 褒められても、彼女は特に反応しない。一言だけ交わして、一切音を立てずに食事を続けるのだ。その極めて上品な所作ではあるものの、そこには人らしさというものがポッカリと抜け落ちている。

 何故そう感じるのかといえば、会話がないからだろう。先の会話もそうだが、彼女から話を振ることは殆ど無い。挨拶や質問は自発的に行うけれど、基本は聞かれたら返す。ただ、それだけなのだ。

「ねぇシオ。どうして独逸語に興味を持ったのかな」

「読みたい本が、あったの」

「どんな本を読みたいんだい?」

「フランケンシュタインの怪物」

「それなら英語版があるだろうに」

「英語版はニュアンスが異なるって、書店のヘーゲルさんに聞いた。だから原版を読みたくなったの」

「そうか。もし翻訳が上手くいかなかったら、いつでも聞いてくれていいからね、シオ」

「わかった」

 やはり、ここで終わってしまう。食事の主目的は栄養補給だが、それだけではない。この事を伝えたいのだが、どうにも上手く行かないのだ。

「ねぇ、シオ」

「……なに?」

「人と話すことは、楽しいかい?」

「──……………………わからない」

 熟考の末に返された答えは、ただそれだけだった。けれどその答えに、彼は満足している様子である。

 もしも彼女が悩まず、同じ回答をしていれば落胆していただろう。しかし彼女は考えた上で『わからない』と返したのだ。彼にとって、この違いは大きな意味を持つ。それ故に満足気な表情を浮かべたのだ。

「マスターは、話すの楽しい?」

「勿論だよ」

「そう……だから、そんな風に笑うんだ」

「うん。それに笑顔の方が、明るい気分になるだろう?」

「そう、かも?」

「わからないなら、とりあえずやってみればいいんだ」

「ん……こう?」

 何処で覚えたのだろうか。彼女は自らの指で、口角を少し持ち上げ表情を変えて見せる。それは俗に言う、ニコニコ顔というものだった。

「うん、良いじゃないかシオ。可愛いよ」

「? 可愛い……?」

「凄く可愛い」

「……なんか、くすぐったいかも」

「くすぐったい? 恥ずかしいんじゃなくて?」

「恥ずかしい……うん。少し、恥ずかしい」

 ニコニコ顔のまま視線を泳がせる彼女は、今までよりもほんの少しだけ、人間臭く見えたのであった。

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