後編:スタッフルームにて


「29号室のお客様、無事起床されました」

「よくやった。初仕事お疲れ様!!」


 ぱちぱちと部屋中から拍手が鳴った。

 

「ありがとうございます! しかし、回収量は予想以下です……やはりお客様が部屋から出ずに終了してしまうと、効率が悪いのでしょうか……」

「そんなことはない。むしろ上出来だ。予定より短時間で終了したから、シミュレーションそのもののコストを勘案すれば得になっている」


 機長はなめらかに説明した。入社以来、この方の優しさと的確な指摘には頭が上がらない。


「とにかく、反省は後で良い。君は休憩時間だからな。食堂に行くならトマトスープがオススメだぞ」

「……機長、正直いまは食欲がありません」


 残念だ、と機長は笑って戻っていった。先輩方からすればそうなのだろうが、私からすれば、あんなものを見た後で食事をするなんて狂気の沙汰だ。


 それが私自身の蒔いた種であったとしても……。


 私は目の前のモニターをぼんやりと眺めた。つい先ほどまで、このモニターにはあの29号室の乗客が見せられた“悪夢“の様子が映し出されていたのだ。

 そして、その悪夢の内容を計画し演出することが私の仕事だった。相手は卒業旅行に来た若者。まずは客室のドアを開かないようにし、早く遊ぼうと逸る気持ちを焦燥感に変えさせる。目をくらませた隙に注意書きを出現させ、油断したところで直接脅威となる怪物を配置してパニックに陥れる。

 概ね想定通りだったが、ドアが開かないことに気が付いた2人の反応は思ったより激しかった。プロファイルによれば、片方の男は思慮深いタイプだったのだが、もう一人に釣られて冷静さを欠いたようだ。客室には他の仕掛けも用意してあったのに、それを無視して扉を突き破ろうとするものだからプランを修正する羽目になった。怪物に対しても何もせず死んでしまったし……。


「あ~~……だめだ。いろいろ考えちゃうな……いま報告書書くか……」


 食事は後回し。まずは勢いのまま仕事を片付けることに専念する。


 しかし、私はこうして自分の所業を振り返ることで心を落ち着かせようとしているのかもしれない。シミュレーションとはいえ、私は人を監禁し殺害するという事態を引き起こした張本人なのだから。


 新人研修では、このように奇怪な作業を行うのは『人間の感情をエネルギーに変えるため』と教わった。そのエネルギーがLLL航空の空飛ぶホテルを動かす重要な資源になっているのだ。単純に良質なサービスで生まれる喜びを変換することは勿論だが、それだけでは世界一周を格安で実現するのに不十分。そこで乗客の中から犠牲者を無作為に選び、先ほどのようなおぞましい悪夢を見せることで恐怖という感情を回収しているのだ。


 もっとも、これは先輩社員の受け売りにすぎない。私は原理を理解できないまま、とにかく機密情報の重要性と業務のマニュアルだけを脳みそに叩き込まれてきた。

 もちろん、同期には非人道的な行いに憤りを感じて告発を試みた者もいた。しかし、翌日には憑き物の落ちた顔で上司に媚びへつらっていた。一体何をされたのかは考えたくもない。だから私は疑問を抱きつつもこうして仕事に向き合っている。


「送信、っと……」


 報告書を書き終わると、手持ち無沙汰でぼうっとしてしまう。しばらくして、再びスタッフルームを見に来た機長と目が合った。


「やはりここにいたか。報告書を読んだが、よく書けていたよ。君は期待通りの働きをしてくれそうだ……そこまでやる気があるのなら、早速次のシミュレーションを頼んでもいいかな?」

「はい……これがプロファイルですか」


 次の相手は3人家族。わずか中学生の子どもまで働いている貧しい家庭だが、民間のプレゼントキャンペーンで運良く今回のフライトを手にした。一生で最後の旅行になるかもしれないと期待をかけている……父は心優しい介護職員。母は持病に苦しみながらもコンビニ店員として激務をこなす。息子は新聞配りに励み……


 迷いは振り払ったつもりだったが、資料を読んでいるとまた頭が痛くなってくる。


「機長。こんな弱者を食い物にするようなこと……許されるのでしょうか」

「ほう?君ほどの男がそんなことを口にするとはね」


 機長の鋭い眼差しが私を捉える。

 一見柔和な笑みを浮かべていても、その目つきが恐怖を感じさせた。


「何度も教官に聞いただろう? 我々は乗客が睡眠を取るわずかな時間をお借りし、運航に必要なエネルギーの生産にご協力をいただいているだけだ。身体に実害はない。アフターケアも万全。むしろ、この技術があるからこそ貧しい方でも豪華な世界一周旅行を楽しめる格安プランを実現できているんだよ。お互いにとってこれほど美味い話はあるまい?」


 そして何より、と機長は口角を上げて言った。


「アンケート結果を見なさい。不可思議な現象に気付いた人間がいるとしても、結局誰もが機内のサービスに満足してしまっているのだよ。人間、最終的に自分が満たされるならその過程にどんな技術やコストがかかっているのかなんて気にしないのさ。……な? 私たちは間違ったことをしていると本気で思うか?」


 だとしても……いや……

 部屋中の視線が自分に注がれていることを感じ、私は握り締めた両手を緩めた。


「いえ……機長のおっしゃることが正しいです」


 私にはこの狂った現状を変えることなどできはしない。

 だから、ささいな違和感には目をつむるしかないんだ。


 Leisure, Laughter, and Luxury.

 社訓を胸に刻み、私は黙々とモニターへ向かってプランニングを続ける。

 私の仕事は、お客様に安く豪華な旅と笑顔を提供するために必要なことなのだから……。

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世界一周3000円の飛行機に乗ってみた。 たけし888 @loba888

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