謝安6 贅沢者
この頃
もともと音楽を好んでいたのだが、弟の
謝安が考案した衣服や冠のスタイルは、そのまま世の流行ともなった。また土を盛って山を作ってそこに別荘を構え、望樓や邸宅、林竹もマシマシに設けた。そこに内外の親族の子らを集めてはみなで遊び、出される食事や酒に対して百金が費やされたりもした。世間ではこうした振る舞いが大いに批判されたが、謝安が気に留めるふうもなかった。
一方では、つねづね
安方欲混一文軌,上疏求自北征,乃進都督揚、江、荊、司、豫、徐、兗、青、冀、幽、并、寧、益、雍、梁十五州軍事,加黃鉞,其本官如故,置從事中郎二人。安上疏讓太保及爵,不許。是時桓沖既卒,荊、江二州並缺,物論以玄勳望,宜以授之。安以父子皆著大勳,恐為朝廷所疑,又懼桓氏失職,桓石虔復有沔陽之功,慮其驍猛,在形勝之地,終或難制,乃以桓石民為荊州,改桓伊于中流,石虔為豫州。既以三桓據三州,彼此無恐,各得所任。其經遠無競,類皆如此。
性好音樂,自弟萬喪,十年不聽音樂。及登臺輔,期喪不廢樂。王坦之書喻之,不從,衣冠效之,遂以成俗。又于土山營墅,樓館林竹甚盛,每攜中外子侄往來游集,肴饌亦屢費百金,世頗以此譏焉,而安殊不以屑意。常疑劉牢之既不可獨任,又知王味之不宜專城。牢之既以亂終,而味之亦以貪敗,由是識者服其知人。
(晋書79-6)
■世説新語
及登台輔、朞喪不廢樂。
賞譽 128 注『續晉陽秋』。
謝安初攜幼釋同好,養志海濱,襟情超暢,尤好聲律。然抑之以禮,在哀能至。弟萬之喪,不聽『竹絲』者將十年。及輔政,而修室第園,館麗車服,雖期功之慘,不廢妓樂。王坦之因苦諫焉。
ちょっと解像度の高い情報になってますが、大意は変わらないので訳しません。ちなみに謝安、本編
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054886797669
では王坦之のこと「アイツのことぜんぜん印象に残ってないんだ」とひどい言い草。たぶん常に王坦之の話スルーしてたなこいつ。
■斠注
安上疏讓太保及爵、不許。
『文選』の『齊故安陸昭王碑文』に載る注で、『晉中興書』にある謝安の高位辞退を乞う言葉が載っているそうです。曰く「謝安石上疏曰尸素朝端忽焉五載。」
この老いぼれ衰えた姿を朝廷にもう五年もさらしてしまいました、みたいな感じでしょうかね。
桓石民爲荊州、改桓伊於中流、石虔爲豫州。
『廿二史攷異』二十二には「是時桓伊爲豫州刺史改除江州以石虔代之云中流者江州介荊揚之中也然詞意未甚明白。」とあります。
ん、中流ってなに? まぁ江州のことなんだろうけど、なんでぼかしたの? とやや混乱している感じです。
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