謝安24 謝安さま人物評集
一挙に紹介しよう。
「彼が名士になれないというのなら、
私は人物鑑定をやめるよ」
と言っていた。
ちなみに彼の娘は皇后になっている。
「冷静沈着だが、やるときはやる」。
「八王永嘉の災いさえなければ、
彼もまた父祖と同じく
大臣となれていただろうにな」。
そして謝安さまの評価は
「楊朗、あれは大才の人だよ」。
「一皮むけば、そこにはもう
真なるものがある。
敢えて言えば、もう少し
潜り込ませていてほしいものだが」
何せこの人、とてつもなく
せっかちなことで有名であった。
だから
こう言っている。
「君の宗門の王述くんな、
本当に常人離れした
挙動であったことだよ」
……ところで王恭にとって王述って、
祖父の従兄弟、つまりほぼ他人なんですが。
これ王蘊の事じゃね?
祖父の
「竹林七賢が我が祖父に出会ったら、
皆々が祖父の腕を引き、
仲間に加えようとしたであろうよ」
あっじぃじアゲですねわかります。
「彼を交えて林沢に遊ぶことの、
何と心地良き事よ」
あるいは、
「かれのあの、清談における
決勝点を見極めた後の
怒涛の攻め手は凄まじいね」
けれども、こんなことも
「あいつの身の処し方についての
厳しさに接していると、大変です」
これに対し劉惔は言う。
「仕方あるまい、かれのモラルの高さは
名士らの中でも飛び抜けているからな」
「間近で見ていれば、とても楽しいのだ。
だか、何故なのかな、ひとたび立ち去ると
まるで記憶に残っておらん」
いつも口うるさく
ピーギャーわめきたてられてるのを
スルーできてたのは、
そう言う事なんですね……。
このように語っていた。
「かれの立ち振る舞いは
実に落ちいたもので、心地良い」
褚期生少時,謝公甚知之,恆云:「褚期生若不佳者,僕不復相士。」
褚期生の少き時、謝公は甚だ之を知り、恆に云えらく:「褚期生の若し佳き者ならざれば、僕は復た士を相ぜず」と。
(識鑒24)
世目楊朗:「沈審經斷。」蔡司徒云:「若使中朝不亂,楊氏作公方未已。」謝公云:「朗是大才。」
世の楊朗を目すらく:「沈審にして經斷」と。蔡司徒は云えらく:「若し中朝をして亂れざらしむれば、楊氏は公を作せること方に未だ已まざりしならん」と。謝公は云えらく:「朗は是れ大才なり」と。
(賞譽63)
謝公稱藍田:「掇皮皆真。」
謝公は藍田を稱うるらく:「皮を掇るに皆な真なり」と。
(賞譽78)
謝公語王孝伯:「君家藍田,舉體無常人事。」
謝公は王孝伯に語るらく:「君が家の藍田、體を舉ぐるに常人の事無し」と。
(賞譽143)
謝公道豫章:「若遇七賢,必自把臂入林。」
謝公は豫章を道うらく:「若し七賢に遇わば、必ずや自ら臂を把りて林に入れしむらん」と。
(賞譽97)
謝太傅稱王修齡曰:「司州可與林澤遊。」
謝太傅は王修齡を稱えて曰く:「司州は林澤の遊びに與るべし」と。
(賞譽125)
謝公云:「司州造勝遍決。」
謝公は云えらく:「司州は勝に造りて遍く決す」と。
(賞譽129)
謝太傅語真長:「阿齡於此事,故欲太厲。」劉曰:「亦名士之高操者。」
謝太傅は真長に語るらく:「阿齡は此の事に於いて、故より太厲を欲す」と。劉は曰く:「亦た名士の高操たる者なり」と。
(賞譽131)
謝太傅道安北:「見之乃不使人厭,然出戶去,不復使人思。」
謝太傅は安北を道うらく:「之に見ゆれば乃ち人をして厭かしまざれど、然るに戶より出で去るに、復は人をして思わしめず」と。
(賞譽128)
謝公與王右軍書曰:「敬和棲託好佳。」
謝公は王右軍に書を與えて曰く:「敬和は棲託好佳たり」と。
(賞譽141)
謝安がいろんな評価をしていて面白い、と言うのはあるんですが、このひとの官途に吏部尚書、つまり「人材推挙に関わるポスト」に就いていたってのがあるのを知っていると、また見方が変わるのですよね。それだけ人材評価に関するコメントが残りやすかったってことであり、またそれらが残っているということは、それだけ評価に関する表現が秀逸であった、と言う事なのでしょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます