庾亮   庾氏とその子孫

東晋とうしん元勲のひとり、いちどは王導おうどうの権勢すらしのいだ、庾亮ゆりょう。字は元規げんき庾冰ゆひょう庾條ゆじょう庾翼ゆよく明帝めいてい皇后こうごう庾文君ゆぶんくんの兄にあたる。


庾亮は340 年に 52 歳で死んだ。子は三人いた。

庾彬ゆひん蘇峻そしゅんの乱にて殺された。

庾羲ゆぎ、多くの詩文をものしたが、作品は残っていない。まもなく大役につけられようかというタイミングで死亡した。子の庾准ゆじゅんは孝武帝の治世のときに桓石虔かんせきけんの代わりに豫州刺史よしゅうししし西中郎將にしちゅうろうじょうに任じられ、曆陽れきように配属され、任地にて死んだ。更にその子の庾悅ゆえつ義熙ぎき年間に江州刺史こうしゅうししとなった。宋書に伝がある。庾准の弟である庾楷には、別に伝がある。

庾龢ゆわ。学問を好み、文章を残した。


弟1、庾冰ゆひょう。字は季堅きけん。344 年に 49 歳で死んだ。七人の子がいた。庾希ゆき庾襲ゆしゅう庾友ゆゆう庾蘊ゆうん庾倩ゆせい庾邈ゆばく庾柔ゆじゅうだ。

庾冰の死後、桓温かんおん簡文帝かんぶんていを立てると、庾希が謀反を企てたとして攻撃。庾希や庾邈、及びその子や甥たち五人が建康けんこうにて公開処刑となった。ただし庾友と、庾蘊の子たちは許された。庾蘊の子のうちのひとり、庾廓之ゆかくし東陽とうよう太守たいしゅとなった。


弟2、庾條ゆじょう。字は幼序ようじょ。兄弟の中でもっとも凡庸であったため、地位は高まらなかった。


弟3、庾翼ゆよく。字は稚恭ちきょう。345 年に 41 歳で死んだ。




庾亮,字元規,明穆皇后之兄也。咸康六年薨,時年五十二。三子彬、羲、龢。

彬,蘇峻之亂,遇害。

羲,其詩文多不載。羲方見授用而卒。子准,太元中,自侍中代桓石虔為豫州刺史、西中郎將,鎮曆陽,卒官。准子悅,義熙中江州刺史。准弟楷,自有傳。

龢,好學,有文章。

庾冰,字季堅。七子:希、襲、友、蘊、倩、邈、柔。

希字始彥。及海西公廢,桓溫擊希。希戰敗,希、邈及子侄五人斬于建康市。唯友及蘊諸子獲全。蘊子廓之,東陽太守。

庾條,條字幼序。條于兄弟最凡劣,故祿位不至。

庾翼,字稚恭。永和元年卒,時年四十一。


(晋書73-1)




えっいくらなんでも庾氏三兄弟(三男は見えない)の扱いが小さすぎるって? いや正直興味ないので……(言ってしまった)


まぁ劉裕りゅうゆう前史として考えれば、興味がないわけではないんですよ。ただそこ考える暇があったら庾氏の子孫が劉裕の時代にどんな振る舞いをしていたかのほうが興味あるのでね。ただ、それはここではやりません。


ちなみに庾廓之(の、息子の庾登之ゆとうし)の伝はこちら。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891500185/episodes/1177354054894139006


そして庾悦の伝がこちら。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891500185/episodes/1177354054893625811


当話は皆様を劉裕の時代に引きずり込むために存在しておるのです。

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