庾登之1 母が大切    

庾登之、字は元龍げんりゅう潁川えいせん𨻳陵えんりょう県の人。

曾祖父は庾冰ゆひょう、晉の司空。

祖父は庾蘊ゆうん廣州こうしゅう刺史。

父は庾廓ゆかく東陽とうよう太守。

きれいに右肩下がりである。


若い頃から生活力が高く、自立していた。

司馬道子しばどうしの幹部として取り立てられ、

劉裕りゅうゆうがクーデターを起こした後には

その幹部に取り立てられた。


桓玄かんげんを倒すためのサポートもしており、

その功績から、曲江きょくこう県の五等男に。


その後はしばらくの間、

司馬徳文しばとくぶんのサポートを務めた。


広く学問を修めていたわけではないが、

何せ世知に強い。

気付けば王弘おうこう謝晦しゃかい江夷こういといった、

ド名門たちとつながりを持っていた。


劉裕が太尉に昇進すると、書記官に。


416 年、後秦こうしん討伐の軍が起こる。

はじめ庾登之、張り切って

参加を意気込んでいたのだが、

少しすると後ろのほうに下がり、

劉穆之りゅうぼくしに言う。


「あの、年老いた母の面倒を

 見なければならないので

 地元勤務させてください」


そりゃ、誰もが

長安ちょうあんくんだりになんぞ行きたくはない。

それにしたって、

いちど馳せ参じておきながらの翻意。

劉裕さん、大激怒である。

仕事なんぞまかせられるか!

とばかりに、庾登之を免官。


とは言え北伐軍が出発した後には、

西陽せいよう太守に任じられているのだが。


そこからいちど劉義符りゅうぎふの世話役になり、

改めて新安しんあん太守となった。




庾登之字元龍,潁川𨻳陵人也。曾祖冰,晉司空。祖蘊,廣州刺史。父廓,東陽太守。登之少以強濟自立。初為晉會稽王道子太傅參軍。義旗初,又為高祖鎮軍參軍。以預討桓玄功,封曲江縣五等男。參大司馬琅邪王軍事,豫州別駕從事史,大司馬主簿,司徒左西曹屬。登之雖不涉學,善於世事,王弘、謝晦、江夷之徒,皆相知友。轉太尉主簿。義熙十二年,高祖北伐,登之擊節驅馳,退告劉穆之,以母老求郡。于時士庶咸憚遠役,而登之二三其心,高祖大怒,除吏名。大軍發後,乃以補鎮蠻護軍、西陽太守。入為太子庶子,尚書左丞。出為新安太守。


庾登之は字を元龍、潁川の𨻳陵の人なり。曾祖は冰、晉の司空。祖は蘊、廣州刺史。父は廓、東陽太守。登之は少きに強濟なるを以て自立す。初に晉の會稽王の道子の太傅參軍と為る。義旗の初には又た高祖の鎮軍參軍と為る。桓玄を討てるに預りたるの功を以て、曲江縣の五等男に封ぜらる。大司馬琅邪王の軍事に參じ、豫州別駕從事史、大司馬主簿、司徒左西曹屬となる。登之は學に涉りたらざると雖も、世事に於いて善く、王弘、謝晦、江夷の徒と皆な相い知友たる。太尉主簿に轉ず。義熙十二年、高祖の北伐せるに、登之は節を擊ちて驅馳せど、退りて劉穆之に告げ母の老いたるを以て郡を求む。時に士庶は咸な遠役を憚れど、登之は其の心を二三せば、高祖は大いに怒り、吏名を除く。大軍の發したる後、乃ち以て鎮蠻護軍、西陽太守に補せらる。入りて太子庶子、尚書左丞と為る。出でて新安太守と為る。


(宋書53-4_徳行)




このお話をどう読み解くか、だなぁ。どちらかと言うと庾登之をとどめ切れなかった劉裕の独裁権の弱さを象徴している気もしなくはない。つってもこの人、世渡り的に信じらんねえレベルのサーカスみたいな芸当してるから、なかなかとどめ切れるもんでもなさそうだよなあ。


あ、ちなみにどういう人かって言うと、謝晦の乱に参与してるのに無罪勝ち取ってるんです。詳細は次回。化けもんかよ。

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