庾登之2 謝晦との微妙な仲
そのため副官、兼、
ただ、庾登之と謝晦。
ともに
家門、地位、名声、あらゆるものが
もともとは対等、と言ってよかった。
なのにこうして下につけられることを、
内心では快く思っていなかった。
なので要請の手紙が来た時も、
返事はただ「すぐ行く」くらいだった。
「呼んでくれてありがとう!」
と言ったような内容は全くなかった。
庾登之、謝晦の近くで勤務する時にも、
何やら箱だとか袋みたいなものを、
常に机の側に備えないと席につかない。
自分の身の回りの持ち物を、
謝晦に劣らないように
揃えておきたかったようだ。
謝晦、庾登之の
この振る舞いを受け容れた。
謝晦が
断られた、と言う話は、
謝晦伝でも見たとおりだ。
謝晦が滅ぼされると、
庾登之は大きな任も
持っていなかったという事で、
処罰は自宅禁固で済んだ。
死亡は 443 年。62 歳だった。
謝晦為撫軍將軍、荊州刺史,請為長史、南郡太守,仍為衞軍長史,太守如故。登之與晦俱曹氏壻,名位本同,一旦為之佐,意甚不愜。到廳牋,唯云「即日恭到」,初無感謝之言。每入覲見,備持箱囊几席之屬,一物不具不坐。晦常優容之。晦拒王師,欲使登之留守,登之不許,語在晦傳。晦敗,登之以無任免罪,禁錮還家。二十年,卒,時年六十二。
謝晦の撫軍將軍、荊州刺史と為りたるに、請われ長史、南郡太守と為り、仍いで衞軍長史と為り、太守は故の如し。登之と晦は俱に曹氏が壻にして、名位は本は同じかれば、一旦に之が佐と為りたるは意にして甚だ愜たらず。廳牋の到れるに、唯だ云えらく「即日にして恭到せん」と。初にも感謝の言無し。入りて覲見せる每、箱囊を几席の屬に備持し、一なる物を具えずして坐せず。晦は常に之を優容す。晦の王師を拒みたるに、登之をして留守せしめんと欲せど、登之の許さざりたるの語は、晦傳に在り。晦の敗るるに、登之は任無きを以て罪を免ぜられ、禁錮し家に還ず。二十年に卒す、時に年六十二。
(宋書53-5_直剛)
改めて読むと「同じ立場だったくせに」と言うよりは、はじめっから謝晦の敗北を見て取っていた感じはします。
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