巻52 東晋来の名族たち1

庾悦1  割と名将    

庾悅ゆえつ、字は仲豫ちゅうよ潁川えいせん𨻳陵えんりょう県の人。

曾祖父は、あの庾亮ゆりょう。晉の太尉だ。

祖父は庾羲ゆぎ、父は庾准ゆじゅんである。


庾悅は若い頃から後の恭帝、

司馬徳文しばとくぶんの側仕えとして働いてきた。

最終的には副官クラスの待遇に。


桓玄かんげん司馬道子しばどうしらを倒し、

中央に乗り込んできたときには

豫州よしゅう刺史とさせられ、

桓玄かんげん近くを守る役割に。


桓玄が簒奪を為すと、中書侍郎となった。


が、すぐさま劉裕りゅうゆうのクーデター。

皇帝代理の司馬遵しばじゅんにより、

寧遠將軍、安遠護軍、武陵內史とされた。

ただこれは病を得たため、辞職。


ただし、すぐ劉裕よりの招聘を受ける。

劉裕の参謀として迎え入れられると、

事務方のトップクラスとして働いた。


相当な能吏だったのだろう。

劉毅りゅうきから自らの副官に迎えたい、

というオファーまで来るほどだった。

断ったが。


いっぽうで、車騎中軍司馬に。

これは劉裕が率いる軍のうち

劉裕が直接指示を下す中央軍の

取りしきり役、ぐらいの立ち位置だ。


南燕なんえん征伐においても

その能力をフルに発揮。


盧循ろじゅん建康けんこうに迫ってきたときには、

督江州豫州之西陽せいよう新蔡しんさい汝南じょなん潁川えいせん

司州之恒農こうのう揚州之松滋しょうじ六郡諸軍事、

建威將軍、江州刺史として、

建康東側から南下、鄱陽ばんように出た。


この動きは虞丘進とも一致する。

しかしこの二人が一緒だったことは

書かれていない。

官位からすれば主将庾悦、

副将虞丘進と言う感じになりそうだが。


盧循は英紏えいきゅうに千人余りを率いさせ

途中の五畝嶠ごほきょうに派遣し防ごうとしたが、

あっさり粉砕。鄱陽から更に豫章よしょうに出、

盧循の補給路を断った。




庾悅字仲豫,潁川𨻳陵人也。曾祖亮,晉太尉。祖羲,吳國內史。父准,西中郎將、豫州刺史。悅少為衞將軍琅邪王行參軍,司馬,徙主簿,轉右長史。桓玄輔政,領豫州,以悅為別駕從事史。遷驍騎將軍。玄篡位,徙中書侍郎。高祖定京邑,武陵王遵承制,以悅為寧遠將軍、安遠護軍、武陵內史。以病去職。鎮軍府版諮議參軍,轉車騎從事中郎。劉毅請為撫軍司馬,不就。遷車騎中軍司馬。從征廣固,竭其誠力。盧循逼京都,以為督江州豫州之西陽新蔡汝南潁川司州之恒農揚州之松滋六郡諸軍事、建威將軍、江州刺史,從東道出鄱陽。循遣將英紏千餘人斷五畝嶠,悅破之,進據豫章,絕循糧援。


庾悅は字を仲豫、潁川の𨻳陵の人なり。曾祖は亮、晉の太尉。祖は羲、吳國內史。父は准、西中郎將、豫州刺史。悅は少きに衞將軍琅邪王の行參軍、司馬と為り、主簿に徙り、右長史に轉ず。桓玄の輔政せるに豫州を領し、悅を以て別駕從事史と為す。驍騎將軍に遷る。玄の篡位せるに、中書侍郎に徙る。高祖の京邑を定むるに、武陵王の遵は承制し、悅を以て寧遠將軍、安遠護軍、武陵內史と為す。病を以て去職す。鎮軍府に諮議參軍に版ぜられ、車騎從事中郎に轉ず。劉毅は撫軍司馬に為さんと請えど、就かず。車騎中軍司馬に遷ず。廣固を征せるに從い、其の誠力を竭くす。盧循の京都に逼りたるに、以て督江州豫州之西陽新蔡汝南潁川司州之恒農揚州之松滋六郡諸軍事、建威將軍、江州刺史と為り、東道より鄱陽に出づ。循は將の英紏を遣り千餘人にて五畝嶠を斷てど、悅は之を破り、進みて豫章に據み、循が糧援を絕つ。


(宋書52-1_暁壮)




庾悦のところに虞丘進が登場してないのがすっごく気になる。これ基礎史料に断絶とかあったんかしらね。なんでこんなことになってんでしょう……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る