庾悦2  劉毅との確執  

庾悦ゆえつ劉毅りゅうきと衝突している。

劉毅が若い頃、京口けいこう

赤貧暮らしをしていた。

そんな彼が東堂と呼ばれる場所で、

友人らと共に射的で遊んでいた。


そこにやってきたのが、

当時の司徒右長史しとうちょうし

つまり三公さまの副官であった庾悦。

京口に遊びに来て、

役人たちに接待として

東堂で遊ぼうとやってきたようである。


だが、あいにくと先約がいた。劉毅ら。

こっちが先に遊んでたのに、

遊び場を奪おう、という

司徒右長史さまに我慢が行かない。

人をやり、制止させる。


「我々のような木っ端じゃ、

 めったにこんなところじゃ

 遊べないんです。


 あなた様くらいの立場なら、他に

 遊び場がないわけでもないでしょう?


 どうか、ここは譲ってくれませんかね?」


だが庾悦、知ったことではない。

ずんずん進み、乗り込んでくる。

劉毅の友人らは庾悦のこの振る舞いを

恐れて解散したが、

向うっ気の強い劉毅、それでも一人、

射的を継続するのだった。


庾悦、ここで盛大に宴を始める。

もちろん劉毅が

ご相伴に預かれるはずもない。

けれど、劉毅。しつこく居残り続ける。

庾悦、イラッとする。


結局、先に東堂を去るのは

庾悦らとなった。

そんな彼らに対し、劉毅は言う。


「今年、私はまだガチョウを

 食べられていないのですよ。


 よろしければ、

 あそこにあぶられていたものの

 余りを頂戴できませんかね?」


庾悦、このコメントもシカトした。




初,毅家在京口,貧約過常,嘗與鄉曲士大夫往東堂共射。時悅為司徒右長史,暫至京,要府州僚佐共出東堂。毅已先至,遣與悅相聞,曰:「身久躓頓,營一遊集甚難。君如意人,無處不可為適,豈能以此堂見讓。」悅素豪,徑前,不答毅語。眾人並避之,唯毅留射如故。悅厨饌甚盛,不以及毅。毅既不去,悅甚不歡,俄頃亦退。毅又相聞曰:「身今年未得子鵝,豈能以殘炙見惠。」悅又不答。


初にして、毅の家は京口に在り、貧約なること常を過ぎ、嘗て鄉曲の士大夫と東堂に往きて共に射す。時に悅は司徒右長史と為り、暫し京に至らば、府州の僚佐を要え共に東堂に出づ。毅の已に先に至りたらば、遣りて悅と相い聞かしむらば、曰く:「身は久しく躓頓にして、一に遊集を營むは甚だ難し。君が人の意に如かば、適さるを為すべからざる處無からん。豈に能く此の堂を以て讓りたるを見んか?」悅は素より豪なれば、徑ちに前みて、毅が語に答えず。眾人は並べて之を避くれど、唯だ毅のみは留まりて射せること故の如し。悅は厨饌を甚だ盛れど、以て毅に及ばず。毅の既にして去らざれば、悅は甚だ歡ぜず、俄の頃にして亦た退る。毅は又た相い聞きて曰く:「身は今年、未だ子鵝を得ず。豈に能く殘炙を以て惠を見んか」と。悅は又た答えず。




このエピソードは、後代の詩人のインスピレーションをぶっ叩いたようである。唐の詩人陸亀蒙りくきもうが、このエピソードをモチーフに詩作している。


孔融不要留残脍,庾悦无端吝子鹅。

香稻熟来秋菜嫩,伴僧餐了听云和。


他にも、北斉書巻23で崔瞻というひとが


「我初不喚君食,亦不共君語,

 君遂能不拘小節。昔劉毅在京口,

 冒請鵝炙,豈亦異於是乎?

 君定名士。」


と語っていたりもあり、結構有名なお話だったようだ。


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