庾悦3 左遷
当時、
とはいえ江州は內地である。
軍人でなく、為政者が当たるものだ。
では、劉毅はどのように訴えたのか。
上表が残っている。
「江州の治安は緩み切っております。
そのためにもまずは施政でなく、
軍事力による綱紀粛正を
為さねばなりません。
江州は腹心の地、と呼べましょう。
寄る辺となっております。
胡族どもが長江付近にまでに
押し寄せたときにも、
かの
フル回転させ、かの地の利を生かし、
窮地を脱しました。
かの故事に基づき、江州にも
軍備が配されるべきと思います。
江南の地は実り豊かとはいえ、
数十万戸程度の人口で、
その広さも数千里ほど。
そんなところの統治者が
ころころと変わっていく中、
税収の効率は漸減。
これは一言で申しまして、
国の恥、と呼ばざるを
得ないのでございますまいか。
またここに、とりあえずの軍府を
置いてみたところで、
文官に軍を率いさせてみても
満足に運用できますまい。
今の江州はグラグラと煮え立った
湯のようなもの。
それを火から遠ざけるだけでなく、
火そのものも消さねばならぬのです。
現状のやりようでは、生ぬるすぎる。
なので現状の軍府を一時解体の上
厳正なものに改める。
そうすれば数年のうちには、
江州も活気を取り戻しましょう。
江州刺史の庾悅どのは
自ら州の各地に赴かれ、
民の暮らし向きにまこと
気を配っていらっしゃいます。
しかしながらその施政に
効果が上がらないのは、
やはりその手法に問題があるから、
と申せましょう。
現在の治所
襲われる恐れもある地。
ここを守るためにも千人の兵を配し、
各郡の守りのサポートとすべきです」
この上表が受け入れられて庾悦は
都督位、將軍官を解任され、
ただし刺史であることはそのまま、
豫章に移籍となった。
劉毅は部将の
尋陽を守らせ、また建威将軍府の
文官武官三千名を配下として抱え込む。
そしてかなり乱暴に、
庾悦らを追い出したようである。
この事態にがっくり気落ちした庾悅。
背中にできものを発してしまい、
豫章到着後数日にして死亡。
38 歳だった。
征虜將軍を追贈され、
盧循平後,毅求都督江州,以江州內地,治民為職,不宜置軍府,上表陳之曰:「臣聞天以盈虛為道,治以損益為義。時否而政不革,民凋而事不損,則無以救急病於已危,拯塗炭於將絕。自頃戎車屢駕,干戈溢境,江州以一隅之地,當逆順之衝,力弱民慢,而器運所繼。自桓玄以來,驅蹙殘毀,至乃男不被養,女無對匹,逃亡去就,不避幽深,自非財單力竭,無以至此。若不曲心矜理,有所改移,則靡遺之歎,奄焉必及。臣謬荷增統,傷慨兼懷。夫設官分職,軍國殊用,牧民以息務為大,武略以濟事為先。今兼而領之,蓋出於權事,因藉既久,遂為常則。江州在腹心之中,憑接揚、豫,藩屏所倚,實為重複。昔胡寇縱逸,朔馬臨江,抗禦之宜,蓋出權計。以溫嶠明達,事由一己,猶覺其弊,論之備悉。今江右區區,戶不盈數十萬,地不踰數千里,而統司鱗次,未獲減息,大而言之,足為國恥。況乃地在無軍,而軍府猶置,文武將佐,資費非一,豈所謂經國大情,揚湯去火者哉。其州郡邊江,民戶遼落,加以郵亭嶮闊,畏阻風波,轉輸往還,常有淹廢,又非所謂因其所利,以濟其弊者也。愚謂宜解軍府,移治豫章,處十郡之中,厲簡惠之政,比及數年,可有生氣。且屬縣凋散,亦有所存,而役調送迎,不得休止,亦謂應隨宜并減,以簡眾費。刺史庾悅,自臨州部,甚有恤民之誠,但綱維不革,自非綱目所理。尋陽接蠻,宜有防遏,可即州府千兵,以助郡戍。」於是解悅都督、將軍官,以刺史移鎮豫章。毅以親將趙恢領千兵守尋陽,建威府文武三千悉入毅府,符攝嚴峻,數相挫辱。悅不得志,疽發背,到豫章少日卒。時年三十八。追贈征虜將軍。以廣固之功,追封新陽縣五等男。
(宋書52-3_衰亡)
慇懃無礼のお手本みたいな感じだ……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます