司馬休之2 決起

盧循ろじゅん建康けんこうに攻め上ってきたときには督漸江東こうとう五郡軍事が任じられたが、失策があり免職となった。劉毅りゅうきが殺されると、代任として西府軍の長となるよう命じられた。そこに司馬尚之しばしょうしの爵位を継いだ司馬休之しばきゅうしの息子、司馬文思しばぶんしが乱行をなした、として王位剥奪の上司馬休之のもとに送還される。これを受け司馬休之は謝罪の上奏をなした。

「我が子を律させること叶わず、遂には罪を得ることとなりました。いま我が心は憂いとおそれ、そして恥じ入る思いとがないまぜとなっております。臣の教育不足により家門の権威を大いに損ねたること、遂には我が子に犯罪をおかさせ、法に、ひいてはお国に逆らわせることとなりました。恥じ入る思いしかなく、向けるべき顔もございません。ひいては我が身を解任し、法廷にてお裁きを頂戴できれば、と望んでおります」

しかし司馬休之の辞任請求は認められなかった。


やがて司馬文思の事件に端を発したことから朝廷、というよりも劉裕りゅうゆうに対して怨みをいだき、雍州ようしゅうを守る魯宗之ろそうしとともに劉裕誅滅の軍を起こす。この時司馬休之の次子である司馬文寶しばぶんぽうや兄の子である司馬文祖しばぶんそが建康にいたが、皆罪に問われ処刑された。


劉裕は自ら征討に出るが、このとき司馬休之の属官であった韓延之かんえんしに投降を求める書を送っている。すると韓延之は「たとえ天地が将軍の手中に収まるとしても、私は三国志の時代に主のために散った臧洪とともにあろう」と拒絶。劉裕はその書面を見て嘆息し、配下に「これがまさしく人に仕えるということだ」と言った。

魯宗之は劉裕が向かっていると聞くとすぐさま軍を起こし司馬休之に合流した。司馬文思や魯軌ろき(魯宗之の息子)に軍をあずけ劉裕を江津こうしんにて迎え撃たせたが、大敗。司馬休之は魯宗之らとともに後秦こうしん姚興ようこうのもとに逃れた。やがて劉裕が姚泓ようおうを捕え後秦を滅ぼすと、今度は北魏ほくぎに逃れようとしたが、道半ばにして死亡した。




及盧循作逆,加督漸江東五郡軍事,坐公事免。劉毅誅,復以休之都督荊雍梁秦寧益六州軍事、平西將軍、荊州刺史、假節。以子文思為亂,上疏謝曰:「文思不能聿修,自貽罪戾,憂懼震惶,惋愧交集。臣禦家無方,威訓不振,致使子侄愆法,仰負聖朝。悚赧兼懷,胡顏自處,請解所任,歸罪闕庭。」不許。後以文思事怨望,遂結雍州刺史魯宗之,將共誅執政。時休之次子文寶及兄子文祖並在都,收付廷尉賜死。劉裕親自征之,密使遺休之治中韓延之書。延之報曰:「假令天長喪亂,九流渾濁,當與臧洪游於地下耳。」裕得書歎息,以示諸佐曰:「事人當應如此!」

宗之聞裕向荊州,自襄陽就休之共屯江陵。使文思及宗之子軌以兵距裕,戰於江津。休之大敗,遂與宗之俱奔于姚興。裕平姚泓,休之將奔于魏,未至,道死。


(晋書37-8)




司馬休之まわりの上奏文や韓延之勧誘、及び拒絶文についてはこちら。

劉裕89 司馬休之上奏 上

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16816452220324314827

(以下数話分)

ま―めっちゃ面白いんですが、長すぎるので省略。


あと道半ばにして死んだはずの司馬休之伝が何故か魏書にあるので、次話から魏書の内容を追いますね。

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