玖の段【縁は異なもの味なもの】《完》



 かんかんっ! かかんっ!


 あっぱれ、あっぱれ!

 烏合喜三は見事、さくらを取り戻したのでございます!

 しかし、肩を組んで逃げ出すふたりの背後で巻き起こる、巨大ながれきの大爆発!

 不利素注ぐのは、金色天狗の妖気がこもった、危険ながれきの雨あられ!

 奇しくも連日祭りの最中、新種の花火と思われてしまったようですが……。

 東饗府では、そんな大事件が起こっていたのでございます。

 はてさて、降り注ぐがれきの雨の下、喜三とさくらの夫婦は再び絶体絶命の危機に陥ってしまったのですが……。


 と。

 いいところでは、ございますが。

 そろそろ、お時間が来たようでございますので。

 本日は、このあたりでお終いとさせていただきましょう――。



 ●



「なんつう話をしやがる、あいつめ」

「まあまあ、いいじゃないですか」


 苦い顔で寄席小屋から出て来た若い男を、横にいる赤毛の女がなだめた。


「入道長屋に住む者は、自分のことを講談のたねにされていい約束なのでしょう。だから家賃がお安いのだと。見てる方々も、まさか実話だとは思われないでしょうし」

「だからってなァ」

「私は嬉しかったですよ? 喜三さんとの馴れ初めを、あんなふうに語って頂いて」


 さくらのぽわぽわした笑顔に毒気を抜かれ、ぐむ、と喜三は言葉を詰まらせる。

 ややあって、がしがしと頭を掻いた。


「わかった。さくらがいいってんなら、いいさ。俺のことは、等身大に語ってくれていたし。さくらの美しさも、語ってくれていたんだから、文句はねえ」

「まあ! 喜三さんったら、うふふ」


 笑いあう二人。

 幸せな気力を周囲に振りまく夫婦を避けて、半目の客たちが寄席小屋を離れていく。

 今日は祭りの最終日。

 あの騒動からたった数日で、奇縁堂恐山は講談に仕立ててしまった。


(すげえよな、恐山先生は。)


 そう、思っていると。


『ぼくは あのこうだん ふまんだ』


 ふいに、少年のような声が響いた。


「ンだよ。てめえ、いちばんおいしいところもっていったくせに、不満があるってのか」


 喜三は呆れたように、自分の首うしろに話しかけた。


「なあ、はぐる丸」


 ぎゅるんッ、と歯車が元気に回る。


『ぼく もっとかっこよかった だろ?』


 喜三は口をむすっと結んで、なにも言い返さなかった。


『いわないのか いつものやつ』

「うっせ。野暮なこと聞くんじゃねえっての」

『それそれ うっせ うっせ』


 さくらは微笑んだ。


「喜三さんも、はぐる丸さんがもっと格好良かったと思っているのですよ」

「さくらも説明するんじゃあねえよ」

『なんだ てれてるのか めんどうなやつ』


 ぎゅるんッ、とはぐる丸が元気に回った。

 あの大爆発を、宣言通りに生き残っていたのだ。

 とはいえ、疲労が大きく、ずっと眠っていたのだが……今朝がた、意識を取り戻し、軽口をたたくようになっていた。

 いいことだ。

 喜三の襲撃と洋館の破壊、さらに大爆発もあって、けが人は大勢いる。

 大事件だが、公にはなっていないし、喜三とさくらへの追手もかかっていない。


(……なにか、根回ししたんだろうな。垓兵衛……いや、一號か。あの……あの、くそ兄貴め。)


 喜三は嘆息し、首うしろに向かって言った。


「いいか、はぐる丸。てめえ、もう二度と自分を犠牲にするようなことすんなよ」

『お?』

「てめえも烏合だ。烏合はぐる丸だ。振り合う袖のねえツクモギヤだが、おれの歯車はてめえにぴったり噛み合って、お前がいねえとうまく回れねえんだ。いねえと、困る」


 素直な態度の喜三に、はぐる丸も茶化しはしなかった。

 ぎゅるん、と真面目に回る。


『……うん わかった もうしない』

「そんで、さくらは烏合さくらだ。……籍は入れられねえけどよ」

「仕方ありませんよ。本来、私は戸籍のない人間ですから」


 喜三もまた、そうであった。


(作られた兵器と、歯車の部品だもんなぁ、俺たちゃ。)


 己たちが人間であろうとしても、そう扱ってくれないのが、まつりごとというやつである。


「悪いな。いつか、ちゃんと全員分の戸籍を用意するからよ」

「いいんです。一緒に居られれば、家族ですから。そうでしょう?」

「……ああ。そうだ」


 さくらは喜三の腕に手を回し、しっかりと掴んで組んだ。

 ぎゅう、とくっつく。


「せっかくこの辺まで足を延ばしたんだ。牛鍋屋でも行くかい」

「それじゃ、六華さんを待ちますか?」

「恐山先生に会いたいってんで、出待ちだとよ。ふたりきりにしてくれって頼まれた」

「あら。あらあら、まあ」


 さくらは嬉しそうに微笑んだ。

 真っ赤な髪が風に揺れる。


「どうしましょう。恐山先生に義姉さんなんて呼ばれてしまったら」

「そうしたら俺ァ義兄さんか。妙な気になっちまうから、呼び名はいままでどおりがいいな」


 楽しそうに頬に手を当てるさくらに、喜三はまたしても目を奪われ。


「きれいだ、さくら。やっぱり、髪は染めねえほうがいい」

「喜三さんたら、もう」


 そのまま照れ始めたさくら。

 ふたりは微笑み合い、肩を寄せ合って、幸せな気配を街中に振りまきながら、のんびりと歩いていく。

 ややあって、さくらがおずおずと喜三の横顔を見上げた。


「義兄といえば、ですけれど。あのあと、一號さんは……」

「見つからねえってよ。恐山先生が、調べてくれた」

『いちごう あいつ いいやつだな』

「よかねえよ」

『でも ぼく みつけてくれたんだろ』


 そうなのだ。



 ●



 あたり一帯を吹き飛ばした大爆発の直後。

 がれきの山の中からはぐる丸を掘り起こしたのは、喜三ではない。

 足が三本に減った多脚椅子に座る、傷だらけの美少年将校……一號だった。

 膝と椅子の手すりの上を渡すように長髪の女さむらいを乗せている。


「……おかげさまで、僕らの洋館が粉々だ」

「自業自得だろ、ばか」


 警戒する喜三に、一號は微笑みもせず、真顔ではぐる丸を放って寄越した。


「寝ているようだよ。よほど頑張ったのだろうね、はぐる丸は」

「だれのせいだ、だれの。……ありがとよ」


 はぐる丸を帷子の首うしろに嵌め込む。定位置だ。

 一號は垓兵衛の髪を、そっと撫でた。


「この規模の爆発だし、そもそもここは軍港だ。すぐに官憲と侍軍人の大群が来る。失敗を察した上層部も、責任者を捕まえに来るだろう。……ようするに、僕のことだけれど」

「大人しく捕まんのか」

「そんなわけないだろう。逃げるさ。……逃げた先にも、居場所はあるんだろう」


 喜三は笑った。


「そうかい。そんなら、俺らとっ捕まっちまう前に逃げなきゃな。……すまねえ、さくら。支えてもらってもいいか」

「はい、喜三さん。喜んで」


 さくらが、喜三に肩を貸す。

 一號は寄り添うふたりを見て思い切り顔をしかめたあと、椅子を翻した。


(袖振り合った俺たちだが……もう、二度と会わねえかもな。)


 はぐる丸は、しばらくは起きないだろう。

 歯車甲冑が動けば、走って逃げるくらいはできたかもしれないが……。

 いや、いまの喜三に、ツクモギヤを動かせるほどの気力は、もうない。

 血もいっぱい流したし、逃げ切れるかどうか。

 跳べない喜三は、ただの喜三だ。等身大の、烏合喜三だ。


(……それでいい。)


 背中を向けた喜三は、しかし、走り出す前に……一號の言葉で足を止めた。


「喜三。なあ、喜三」

「ンだよ。ようやっと名前で呼んだな、一號」


 背中を向け合ったまま、最後の会話を交わす。


「僕の名前、考えてくれないか。もう二度と会えないかもしれないから……はぐる丸や六華みたいに、僕が前を向いて生きられる名前をさ」

「……ばーか。そんなの、いきなり言われて考えられるわけねえだろ」


 喜三は振り向かず、ただ、さくらを少し強く抱きしめた。

 さくらが喜三の頬を撫で、顔をよせ……優しく、微笑んだ。

 喜三も微笑み、うなずく。


「だから……次、会うときまでに考えといてやるよ」



 ●



「……一號あの野郎、責任ぜんぶ自分ひとりでおっかぶさって、姿くらましたんだ。少なくとも東饗府にはいねえだろう」

「あら、それでは……」


 さくらは空を見上げた。


「……ご無事をお祈りするばかり、ですね。ほかの方々は?」

「隊は解体されて、柳生垓兵衛が事後処理に奔走しているんだと」

「垓兵衛さんは、軍に残ったのですか?」


 目を丸くするさくらに、喜三は苦笑した。


「似合わねえよなぁ。でも、そうしたいから、そうするんだろう」

「そうですね。居場所を……家族を守るために、がんばっていらっしゃるのです、きっと」


 一號をいつでも迎えられるように……だろう。

 苦難の道になるな、と喜三は思う。

 だが、垓兵衛なら、陸軍という魔窟でも、負けないだろう。

 喜三の知る限り、いちばん強いさむらいなのだから。


「ぼたんが、ひどい目に遭わされましたし。一號さんたちは許せそうないですけれど……でも、早く帰ってきてほしいですね」


 優しいさくらに対して、


(好きだ……。)


 とぼんくらの思考を向けつつ、喜三は顔をしかめた。


「アイツも、自分を見つめ直す時間が必要だろう。まだ出てこねえんじゃねえかな」

「そうなのですか? 最後は作り笑いをしなくなっていらっしゃったじゃないですか。まるで憑き物が落ちたみたいに」


 ぶるり、とはぐる丸が震えた。


『さくら えんぎでもないこと いうな』

「あ、ごめんなさい。そうでしたね、はぐる丸さんは」


 はぐる丸は憑き物そのものであるし。


「……まあ、なんだ。実はよ」


 喜三はがしがしと頭を掻いた。


「いい名前、まだ思いつかねえんだ。もうちょっとしてから出てきてくれたら、俺が助かる」

「喜三さんったら、もう」

『しまらない おとこだな』

「うっせ」


 笑って、歩く。


(楽しいな。)


 喜三たちの行く先には、まだまだ困難が待っているだろう。

 戸籍もないし、境遇が境遇だ。

 面倒ごとも、障害も、たくさん出てくることだろう。

 でも、だいじょうぶだ。なんとかなる。喜三はそう確信していた。


(家族がいりゃあよ。血の繋がりじゃねえ。心のつながった家族がいりゃあ。)


 暖かな風が、三人のあいだを爽やかに吹き抜けていく。

 川沿いの桜が、はらはらと空を舞う。


(どんな困難も乗り越えていけるってもんだろう。)


 東饗に、春が訪れていた。



〈おわり〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤鬼喜三と天狗のさくらと歯車おばけのはぐる丸 ヤマモトユウスケ @ryagiekuru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ