まいなすかける、まいなすかける
西川 旭
菅原虎鉄少年の、春
◇
冬が終わり雪が溶けて、つくしやふきのとうが顔を出してくる、そんな季節。
いや、ふきのとうはもう食べごろを過ぎて大きくなって来たかな。
今採って食べても苦すぎるだろう。
先週天ぷらにして食べたけど、半分は死ぬほど苦くて、もう半分はそうでもなかった。
僕、菅原虎鉄が住んでいる小さな村は、いくつもの大きな山に囲まれている。
僕は今、その山の一つに、大きな竹籠を背負って分け入っていた。
「虎鉄ぅ、どんだけ採れたぁ?」
父の声が前方から響く。
「まだ半分もいってない」
「とろくっせえなオイ。日が暮れっちまうぞ」
がさがさ、ぶちっ。
僕は山の地面を探って、この時期にだけ採れる山菜を見つける。
山肌の地面に生える、絵具のように鮮やかな濃い緑色の草。
それをむしりむしり、竹籠に放り込む。
ある種の毒草に少しだけ似ているこの草は、醤油漬けにしたり、肉料理と一緒に炒めて食べたり、ニラやワケギの代わりに鍋料理に入れても美味しい。
「この辺も減ったなあ……昔はもっと採れたのによぉ」
父がせっせと山菜を摘みながら愚痴をこぼす。
他の誰かも山菜を採りに山に入っているから、基本的にこの資源は奪い合いになる。
父は車を持っていないので、僕らはどうしたって一日で一往復が限界だ。
それも、お互いの自転車で一回に運べる量に限られる。
ミニバンやワンボックスカー、軽トラックで乗り付けて山からわんさか山菜を採って帰るライバルたちに比べれば、効率が悪くたくさん収穫できないのは当然だった。
「今日はこんなもんか……」
お互いの籠を満杯にして、僕と父は山を出た。
国道沿いに停めていた僕の自転車が倒れていた。
バイクや車ででツーリングする旅行者が増えたので、田舎道だからとかなりのスピードでかっ飛ばして走っている。
「クソったれがよおー」
父が汚い言葉を吐く。
彼らの車両が起こす風にあおられて倒れたんだろう。
前かごの形が、曲がっちゃっていた。
◇
午前中に家に帰り、お昼ご飯を食べる。
僕は今日から大型連休だ。
学校の創立記念日や謎の休みを挟んで十連休もある。
ただ、世間のカレンダーが黒い日は、僕は新聞の夕刊配達のアルバイトがある。
父は、僕がアルバイトをしている新聞販売所の、いわゆる専業さんと呼ばれる配達員なので、朝刊がある日は基本的に毎日、新聞を配ったり折り込みチラシの整理をしている。
僕と別のエリアの夕刊も配達している。
父は今日、週に一度の休日だったので午前中、朝の早いうちから山菜を採りに行けたけど、いつもこの季節は朝刊を配り終ってから山菜を採りに出かけている。
祝日なので、夕刊の配達はない。
昼食をわずかばかりちょこっとつついた程度で、父は酒を飲み始めた。
ペットボトルに2リットルくらい入っている焼酎を、梅もレモンも入れずにロックでちびちび飲んでいる。
「虎鉄、ゴールデンウィークは宿題とか出てないのかい?」
皿を洗いながら、母が聞いて来た。
「一応出てるよ。ちょっとだからすぐ終わると思うけど」
「そう。夕刊もないんだから、さっさと終わらせちゃいなさい。明日は農協に付き合って欲しいから」
母は明日、農協の直販店が売り出しをやっているので、僕と一緒に買い物に行く算段をつけているようだ。
わかった、と返事をして僕はちゃぶ台の上に宿題を広げた。
自分の部屋や勉強机は持っていないので、基本的にここで全部やっているのだ。
夕方になる前に、宿題は全部片付いた。
ついでにまだ習っていない範囲の教科書のページを、なんとなくぱらぱらと開いて予習しておく。
マイナスの数字同士を掛け算すると、プラスになるのか。
でももう一度マイナスを掛け合わせると、またマイナスに戻るんだ。
ややこしいな、しっかり予習しておこう……。
◇
翌日、父は体調を崩して朝刊の配達を休んだ。
代わりに僕が父の配達する分の新聞を各家庭に配る。
「今日はずいぶん遅いな。朝六時までに入れてくれって言ってるだろう。もうすぐこっちは出勤しなきゃいけないんだよ」
「すみません」
ポストの前でスーツを着て待っていた古木さんに小言をもらう。
古木さんは車で1時間半はかかる街中まで出勤してるから、朝が早いんだ。
何の仕事をしているのか詳しくは知らないけど、ご両親と一緒に住んでいた古い家屋を最近リフォームした、立派な新しい家に住んでる。
配達途中、前かごから新聞の束をごっそり落としてしまった。
雨が降っていなくてよかった。
落ちて少し汚れてしわになった新聞は、同級生の家に入れておこう。
僕や父が配っていることを知っているので、基本的に販売店にクレームを入れることをしないでくれている。
あとで謝っておかないとね。
山菜採りに行ったときに自転車のかごがゆがんだから、新聞の束がしっかり籠に入らず固定されてなかったんだな……。
◇
母と農協に買い物に来たら、駐車場で石を投げて一人遊びしてる女の子がいた。
「こら、なるみ、危ないだろ」
「あ、こてっちゃん、こんにちわ!」
顔見知りなので一応注意しておく。
僕たちが住んでいる団地の別の棟に住んでいる、水野なるみという小学生だった。
この春で三年生になったんだったかな?
僕より四つ年下ということになる。
「なにしてたんだ?」
「あっちのいしにね、ここからなげて、あてるの!」
なるみが指差す方を見ると、なるほど別の石が置いてある。
広い駐車場なのでそうそう他の人や車には当たらないだろうけど、続けてたら絶対にお店の関係者に怒られるぞ。
「ここじゃなくて河川敷とかでやれよ」
「かわはあぶないから、いっちゃだめなんだもん」
確かに子供だけで川遊びは危ない。
春先は特に、雪解け水で川が増水して流れにも勢いがついている。
万が一に流されでもしたら、まず助からないだろう。
この村は結構な川の上流域にあって、地形の高低差が激しいから川の流れが速いのだ。
しかし、なるみがここにいるということは、なるみの親も農協で買い物なのかな?
「じゃあお母さんのとこに行け」
「おかーさん、いないよ?」
「はあ? いないことはないだろ。一人でここに遊びに来たのか?」
母親がいないということはないはずだ。
先週も普通に団地のゴミ捨て場で会ってあいさつしたからな。
「うんとねー、おとといから、かえってきてないの」
「またかよ……」
なるみの母親は、近隣では有名な遊び人だった。
どこで何をしているかは謎だけど、しょっちゅう行方をくらまして村から姿を消しているのだ。
旦那が長期出張中なのをいいことに、街に出て男遊びをしているのではないかというのが、村の中でもっぱらの噂。
「虎鉄なにやってるの! 早く来て! 卵売り切れちゃうでしょ!」
「はいはい今行く」
駐車場で遊ぶなるみを置いて、僕は店に入り母の買い物を手伝った。
買い物が終わったら駐車場になるみの姿はなかった。
帰ったのだろうか、母親のいない団地に。
確か村の中に別の親戚が住んでいるので、ご飯が食べられないとかそういうことはないと思うけど……。
◇
連休のなかび、世間のカレンダーは黒い平日。
しかし僕の学校はありがたいことに休みだ。
夕刊の配達があるからそれまでに戻らないといけないけど、ちょっとだけ遊びに行こう。
国道沿いを自転車で走り、ドライブインレストランと無料駐車公園が一緒になっているエリアへ。
僕は持って来たスケッチブックを広げる。
駐車公園にある噴水と、その奥に見えるまだ雪を頭に乗せた山々。
それらを2Bの鉛筆を手に持って、ざっざっざっとスケッチする。
残念ながら、まだ桜の花は咲いていない。
ここは桜が咲くのが遅いんだ。
今日は下描きだけで、花が咲くころにまた来て色を付けよう。
その暇があるといいけど。
帰り道、猛スピードでカーブを曲がるバイクが僕の自転車の横すれすれを通過した。
僕は驚いて自転車をこかしてしまい、スケッチブックが曲がったり破れたりするのをかばったせいで、肘と膝をすりむいた。
他にも体のあちこちがなんか痛いけど……まあ自転車も無事だし、帰れる、だろう。
夕刊の配達をなんとか終えるも、作業時間は大幅に遅れてしまった。
「ばっかやろう虎鉄おめえ、どこふらついて遊んでんだ!!」
父に殴られる。
「な、なにすんのアンタぁー! 虎鉄、大丈夫なの!?」
それを見た母が叫ぶ。
「ツバつけときゃ、んなもん、なんもねーわ! オメーが甘やかすからいつまで経ってもこいつはフヌケなんだろうが!」
「何も殴ることないでしょ!」
手も足も顔も痛い。
母と父が喧嘩を始めたので、僕は外に出た。
「こてっちゃんこんばんは!」
「ああ、こんばんは、なるみ」
団地の駐車場にはなるみがいる。
なるみの家族が住む団地の部屋は電気がついていなかった。
まだ、母親は失踪中なのだろうか……。
「こんな夜に何してんだ。遅くに外に出ちゃダメだろう」
「おつきさま、きれいなの」
頭上を見ると確かに満月か、それに近い大きなお月様。
いいな、たまには月も描いてみよう。
僕の家の中から騒ぎ声は聞こえなくなった。
父と母も疲れて喧嘩を辞めたのだろう。
「僕もう戻るけど、なるみも早く寝ろよ」
「うん、おやすみなさい!」
家に戻ると、僕のスケッチブックがビリビリに破られていた。
居間には酒のボトルやグラス、氷が散乱して、母が自分の頬を抑えて泣いていた。
僕はただ、立ち尽くしてそれを眺めていた。
涙はとっくに枯れていた。
父の姿はない。
いつの間にか出て行ったのだろう、外に飲みにでも行ったのだろうか。
「もう、たくさんだ」
無意識に僕は呟いてた。
翌朝、父はそのまま寝ないで新聞を配ったらしい。
自転車とは言え飲酒運転である。
父はよくそういうことをやっているようだったけど。
◇
連休の最終日。
村のエリアと街のエリアを繋ぐ国道の山道が、土砂崩れで一時的に通行止めというニュースがお昼のテレビから流れた。
「明日の新聞、店に届くんかな」
父が酒を飲みながら言う。
映像では、崩れた土砂はそれほど多くないので、じきに復旧するだろうとのことだ。
けど、警戒による通行止めが続けば街からの物流が一時的にストップする。
「ごちそうさま。美味しかった」
「え? ああ、うん、おそまつさま」
お昼ご飯を食べ終えて、なにか驚いている母に、出かけてくる、とだけ言って僕は自転車に乗った。
国道は通行止めらしいから、橋には行けないな。
別の道から川に行こう。
みんな、さようなら。
もういい。
もう十分だ。
僕はもう、十分にやりきったと思った。
もうここで生きていたくなかった。
ぼんやり、漠然と、あの満月の夜に思ってしまった。
川沿いの土手には、ちらほら桜が咲き始めていた。
死ぬ前に見れて良かったな。
目の前の川は最近、天気が良かったので水量が少し減ったけど、十分な速さで流れていた。
僕は泳ぎが上手いわけでもないし、これなら問題なく逝けるだろう。
そう思って川面に近づいたとき。
視界の向こうに、なにかが見えた。
川になにかが浮いて……結構な勢いで流され、浮き沈みしている。
人!?
「なるみ!!」
直感で叫んで、僕は川に反射的に入ってしまった。
一瞬だけど、なるみがいつもしている髪留め、それをつけた頭が見えた気がしたのだ。
泳ぎに自信は全くない、でも幸いなことに、ギリギリ川底にがつくから歩ける。
これ以上、川の真ん中まで進めばまず確実に足がつかず、体が流されて持って行かれるだろう。
それでも僕は川の真ん中に露出している、大きな石がある場所までたどり着き、そこで体をしっかり支持して流されてきた人の体に必死で手を伸ばした。
「ああ、うわあ、うわああああああ!!!」
小さな体の持ち主は、僕に力の限りしがみつき、大声で泣き叫んだ。
「大丈夫か? 大丈夫なんだな?」
声を出せるということは、意識もあるし呼吸もあるということだろう。
僕となるみが放つ大声が遠くまで響いたのか、近くを歩いていた農作業のおじさんが、車両やロープを駆使して僕となるみを陸まで引き上げてくれた。
◇
聞くところによると、なるみが川に行ったのは母親に会いに行くためだったという。
家の留守番電話に、街にいるからまだしばらく戻らない、というメッセージが入っていたのを聞いて、なるみは歩いて街まで行こうとしたようだ。
しかし国道が土砂崩れで通行不能になっていたので、橋に近づくことができなかった。
なるみは他に川を歩いて渡れる場所がないか、河川敷を歩いて探していたらしい。
そのときに運悪く足下を滑らせて、川に引きずり込まれてしまったようだ。
「お前、他の橋を探してるだけじゃなくて、川で何かして遊んでただろう」
「え、えっとねー、葉っぱをふねにしてねー、流してた……」
大人たちの聞いていない所で、僕はなるみに聞いた。
そんなことだろうなと思った。
ぬれねずみの僕たちは、とりあえずタオルで体を拭かれて毛布にくるまれて、警察とか消防の人が来るのを待たなくてはいけないらしい。
はあ、死ぬつもりだったんだけどなあ、僕。
そのままだったら確実に死んでいただろうなるみを、考えるより先にどうにかしなきゃと思って川に入って、今こうして二人とも生きている。
僕もなるみもマイナスばっかりで、今、どれだけ掛け合わさった結果としてプラスになってるんだろう。
2回や4回程度の話じゃないなきっと。
もっともっと、数えきれないくらいのマイナスが掛け合わされた結果だと思う。
「なるみ」
「なあに、こてっちゃん?」
「お前、美人だよね。いや、将来きっと美人になるよ」
「え、え~、そうかな~うひひ」
身をくねくねして変な笑い声を発している。
いつか近いうち、なるみに絵のモデルになってもらおう。
できれば毎年、この時期がいいな。
雪を頭に残した山々、そして桜の木を背景に、なるみの絵を毎年、描いてみたい。
僕が助けた女の子が、美人になるかどうか見届けてからでも、死ぬのは遅くないかなと思った。
「おめーなにやってこんな、人さまに迷惑かけて……!」
「虎鉄、大丈夫なのね!? 生きてるのね!?」
僕が川に飛び込んだという知らせを受けて、父と母がやってきた。
警察のパトカーも一緒に来ている。
「いや菅原さん、おたくの息子さんは立派だよ、だってこの子が女の子を」
「うるせー、他人は黙ってろ!」
僕らを川から引っ張り上げてきた人が、事情を説明しようとしてくれた。
しかし酔っているのか頭に血が上っているのか、父は僕の体にかかっていた毛布を引っぺがし、服を掴んで立ち上がらせようとする。
「おいおい、ちょっと落ち着きなさいお父さん!」
周りの大人も警察も、そんな父の行為を制止しようと寄って来るけど。
「あ、大丈夫ですんで、みなさん」
そう言って僕は、手を振りほどいて、父の顔面に思いっきりパンチをぶち込んだ。
「がぁッ!?」
父がしりもちの状態で地面に倒れる。
目を白黒させて、何が起こったのかわからないといった表情を浮かべた。
父の普段の行状を周りの人はみんな知っているので、僕の暴力は苦笑いで軽く注意されただけだった。
「こ、虎鉄、てんめぇ、親に向かって……」
何か言っている父の目は、怯えていた。
いつの間にか、僕の方が父よりも背が大きくなっていて。
おそらくそのことを、このときはじめて父は意識したのだろう。
「こてっちゃん、つよいね! おまわりさんよりつよい!?」
「さすがにそこまでじゃないかなあ」
はつらつとした顔でまとわりついてくるなるみの頭を撫でながら、僕は空を見上げた。
うん、こんな何もない、しょうもない村だけど。
まだ、大丈夫かなと思えるように、僕はなっていた。
「マイナスだらけでも、なんとかなるもんだ」
そう、マイナスは掛け算すれば、プラスになる。
そして、マイナスの数字をいくら掛け算しても、ゼロにはならないんだ。
ゼロでない限り、そこには、何かがある。
「なるみ、帰ってもお母さんいないんだろ。うちで遊んでくか?」
警察や消防の人たちも解散したので、僕たちも家路に着く。
「うん!」
「なにして遊ぶ?」
「おえかき!」
スケッチブックはゴミに出してしまったけど、僕となるみは裏の白いチラシを集めて、思い思いに好きな絵を描いて過ごした。
心なしか上機嫌で母は僕たちにお茶を出す。
父はぶつぶつ言いながら僕に殴られた頬をさすって、湯飲み茶わんで酒を呷る。
「こてっちゃん、え、おじょうずだね!」
「そうか? なにか描いてほしいものとかあるか?」
「うーんとね、かぼちゃ!」
リクエストにこたえて、チラシの裏にカボチャを描く。
大サービスしてクレヨンでしっかり色も付ける。
そのうち、紙にポタリとしずくが落ちた。
「こてっちゃん、ぽんぽんいたいの?」
「いや、大丈夫、大丈夫だ……」
なるみに、いたいのいたいのとんでいけをされながら、僕はカボチャを描ききったのだった。
まいなすかける、まいなすかける 西川 旭 @beerman0726
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