七 天狗と可憐な想い人

──天狗の仕業じゃ!


 そんな言葉はもう聞き飽きた。非道な振る舞いをしてきたのは寧ろ無羽共のほうではないか。僕たちの先祖を勝手に天狗と呼び不都合を擦り付け、挙句の果てに力でねじ伏せに来た。平穏を奪い、空を奪い、暮らしを奪い、言葉を奪い、未だギラギラと目を光らせ奪える物が無いかと狙っている。


 背中に羽があるかどうか、その程度の差だ。多少の文化の違いは有れど同じ人間なのだ。友情を育むこともあれば、恋に落ちることだってある。古来、そうして細々と交流を重ねてきたはずなのに。近代になってそうした関係は崩され、一方的に同化されるに至った。

 しかし馴染み受け入れられたとも言い難く、未だ嫌悪や侮蔑の混ざった好奇の視線を向けられることも多い。この村には特に天狗を嫌う人もいるから、駆け落ちでもしようものならそれこそ本当に“天狗の仕業”になってしまう。


 君に面と向かって連れて行けと言われたら、僕はきっと断れない。だからこうしてこっそり消えるほかないのだ。せめて美しい思い出として君の中に残れるよう、羽ペンを作り贈ろう。君が好きだと言った胡桃染の羽だから良い形見になるはずだ。最後に、苦手な異文化の文字を懸命に書く。


  爱㇟Ꞇいʓよ

  ㄜよכֿなᣡ


 あとはこの手紙と羽ペンをこっそり彼女の家に置いてから、村を出ていくだけだ。荷物を纏めたトランクケースを引いて家のドアを開ける……と、そこには同じく大荷物を持った彼女が仁王立ちで待ち構えていた。少しの逡巡の後、気まずくなってドアを閉めようとするとすかさず足を挟んで妨害してくる。ちょ、それ悪徳訪問販売のやり方ァ!


「今は……! ちょっと会いたくない気分かなあ……!」

「私は……! 会いたい気分なの……!」


 ドアを挟んだ攻防の末、力負けしてしまった僕は彼女の前に引き出される。


「今、僕が一人で出ていく流れだったじゃん!?」

「そんな流れ知らん!」

「悲恋フラグ立ってたでしょ!」

「そんなもん、へし折ってやる!」


 彼女が手に持ったエア旗を膝で真っ二つにするような動きをした。つ、つよい……。でもそういう芯の強さに惚れたんだ。いや、まあ、物理的にも強いけど。フラグだけじゃなく三本束ねた矢とかも全力でへし折りそうだ。可憐な見た目とのギャップが凄い。

 でもここで僕が折れるわけにはいかない。真に彼女の幸せを想うならば、僕なんかと一緒に逃避行するべきじゃないんだ。


「君の母さんが心配するよ」

「ちゃんと話つけてきたし、盆と正月には会いに行く」

「君の父さんは僕との仲をあんなにも反対していたじゃないか」

「あんな頑固親父知らん!」


 散々反対されたにも関わらず彼女の父親に少しだけ同情してしまった……。こんなに可愛い娘にそっぽ向かれて出ていかれるの悲しすぎる。あと頑固なのは血縁だと思う。

 こうなってしまっては彼女は意地でも考えを変えない。僕はもう完全になすがまま、駅に向かって引き摺られるように移動している。


「東京に行ったら観光もしよう」


 彼女が期待に胸を躍らせながらそんなことを言うから驚いてしまう。「待って、何で行き先まで知っているの」と戸惑う僕のことなど気に留める様子はない。心ここにあらず、というか心は一足先に東京に飛んで行ってしまったようだ。


「私はスカイツリーに登りたい。あなたと同じ目線に立ってみたいの」

「話聞いてくれないし……そもそも僕はそんなに高く飛べないし……」


 こうして僕が彼女の美しい思い出になる計画は見事に失敗し、傷心の旅路になるはずだったものは幸せな逢瀬になった。彼女と共に居られる嬉しさに嫌でも頬が緩むが、彼女の父母への申し訳なさが顔を強張らせ、結果変顔になる。僕の妙な表情を見た彼女は笑い出し、やっぱり僕もつられて笑顔になった。



 列車のボックス席に隣り合って座り、二人揃って揺られる。

 渡すタイミングを逃してしまった羽ペンは目敏く発見され、もう彼女の手の中にあった。光に透かしてみたり、くるくると回してみたり、神妙な顔で書く真似をしてみたり。随分と気に入ってくれた様子についつい口角が上がる。彼女の隣にいると僕の頬は緩んでばかりだ。


「これ、ずっと使っていたら付喪神になるかな」

「そうなるまで長生きしてね」


 長生きする彼女の隣にいるのが僕でありますようにと願う。

 そのためにはやはり、彼女のご両親とも改めて言葉を交わし許しを得たい。正式に認めてもらい僕らは幸せになるんだ。彼女の父親の、猛禽類のような目つきを思い出し思わず鳥肌が立ってしまうが自分を奮い立たせる。頑張れ、僕。

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