五 鬼と夢見る家出少女
「子どもがこんな時間に何してんだい」
太陽が沈み夜の帳が降りる頃、公園のベンチに一人座る少女に声をかけた。迷子か家出か、はたまた別の何かか。何にせよ放ってはおけない。
威圧感を与えないように、目線を合わせ出来るだけ優しい声色を出す。大きな体躯や吊り上がった目で怖がらせてしまわないか不安だったが、少女は怯えることなく呆気からんと答えた。
「家に帰りたくないの」
「……、家で何かあったのかい」
「何もないよ。ただなんとなく帰りたくないだけ」
家庭内不和、暴力……そんなことが頭を過ぎるが、はきはきと返答する少女は暗い影を負っているようには思えず、肌にも傷跡や痣は見当たらない。思春期特有の反抗心で家を出てきたのか……?
「親御さんが心配するよ」
「今日は夜勤だから帰ってこないの」
「それにしたって夜に一人で――」
「ねえ、お姉さんの話を聞かせてよ!」
言葉を遮った少女が立ち上がり、急に近寄ってきたから思わず尻もちをついてしまった。見下ろしてくる少女を唖然としたまま見つめる。
「お姉さん、帽子で隠しているけど角がある。鬼でしょう?」
別に蔑称というわけでもないけど、鬼と呼ばれるのは好きじゃない。
「鬼じゃなくてヤカだ。先生や親に習わなかったのかい」
「知ってるよ。男はヤクシャ、女はヤクシー、纏めてヤカでしょ」
挑発するような言い方、得意げな顔。面倒な子と関わっちまったと後悔しても後の祭りだ。立ち上がって手や尻についた砂を払いながら溜息をつく。
「面白い話の種なんか持っちゃいないよ」
「じゃあ、お姉さんが私くらいの年齢のとき何処でどんなふうに過ごしていたの? 聞かせて?」
食い下がる少女に観念してベンチに腰掛けた。「聞いたらちゃんと帰るんだよ」という言葉には生返事しか返ってこない。
自身の半生を思い出しながら苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。あの胸糞悪い村での暮らしも狸親父の顔も、本当は思い出したくもない。でも簡単に忘れられるようなものでもなくて、ここで吐き出したら少しは楽になれるのかなぁなんて考えてしまう。子ども相手に何やってんだあたしは……。
「あたしは寂れた村の出身でね。都会に住んでるあんたにはピンとこないかもしれないけど、田舎ってのは古臭い考えが根深く残ってんだ。学校で『姿形が違ってもみんな仲良くしましょうね』なんて教えたって人の心に根付かない。染みついた因習のほうがずっと強烈だ。差別してくる人間たちと、全部諦めて受け入れてる家族に嫌気がさしていたよ」
一息ついてチラリと少女に目をやると、先程の生意気な顔とは打って変わって、真剣な顔で射貫くような視線を送っている。なんだよ、そんなに真面目に聞く話じゃないんだよ。ただの糞な半生だろ。
「それで、あんたくらいの年の頃に身一つで村を飛び出しちまった。それから色々あって今に至る」
少女は何か言いたげな顔をしている。家出したあたしに叱る資格は無いだとか思ってんのかな。それとも色々あってと略したところが気になったのか。だけど無視して話を締めくくろうとする。子どものお守りはもうおしまいだ。
「都会はいい。良い意味で周りに無関心だから暮らしやすいよ。……さあ、話は終わったよ。そろそろ家に――」
「次は私が話す番ね!」
またもやあたしの言葉を遮って強引に自分のペースに持っていく。少女は「だって、お互いに話さないと不公平でしょう」なんて言っている。もう好きにしなよ。
「古典の授業でね、桃太郎をやったよ」
今度はあたしが何か言いたげな顔で少女を見つめる番だ。あんたも半生を話すんじゃないのかい。その視線に応えるように「私はお姉さんよりずっと短くてなんてことない人生しか送っていないから、授業の話でもしたほうが面白いと思って」なんて言う。
「そうかい」
と、適当に相槌を打ち、手を差し出して続きを促した。
「桃太郎ってね、時代を経るごとに少しずつ内容が変わっていって、その時代の人たちの願いが反映されていたんだって。宝物が欲しいとか、外敵をやっつけてほしいとかね」
多数派が作った身勝手な物語だ。外見や文化の違う者たちを差別し、時には不都合な身内を排除して鬼扱いしてきた。それでいて自分たちは簒奪や征伐を正当化する。いつだってあたしらは振り回されてばかりだ。
「現代だったら、みんなどんなことを願うのかな」
静かに言い放つ少女に問う。
「あんたはどうなんだい」
「私? 私はねぇ……。見た目も考え方も関係なく、みんなで手を取り合って仲良くできたらいいと思うの」
「壮大な夢物語だね」
優等生の模範解答だ。まだ擦れていない夢見がちな少女らしさに思わず口元が緩んだ。
「だから、まずはお姉さんと仲良くなりたいな」
「それはあたしが
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「じゃあ、かつての家出娘に共感でもしたかい」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
質問と曖昧な返事が続き、ほんの少しの苛立ちを覚える。強引に流れを作ってきた勢いは何処へやら。少女は急にもじもじとして、組んだ両手の指をしきりに動かしている。口を開いては閉じ、閉じては開き。やがて意を決した顔をこちらに向けた。
「本当はね、私、お姉さんのこと知っていたの。通学路で工事しているでしょう。その時に見た凛々しい横顔が忘れられなくて……、一目惚れってやつ?」
今日この時が初対面ではなかったことに対する驚き。だがそれ以上に、頬を染めて一目惚れだなんて言ういじらしさをどう受け止めていいのかわからない。思春期特有の勘違いや履き違えか……? いや他人が抱いた感情を頭ごなしに否定するのもよくないだろう。
少女は相変わらずもじもじしながら「さっきは緊張して失礼な態度を取ってしまったの。ごめんなさい」などと言っている。
ちょっとしたお節介のつもりがどうしてこうなった。こんな振り回され方は初めてだ。
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