四 人魚と寂れた町の漁師※
人魚が網に掛かるなんて今日は厄日だ。破けた網の修繕だけでも手間と時間がかかるってのに、このご時世だから世間的に色々と問題になるぞ。相手も酷く立腹な様子でがなり立てていた。訛りが酷くてよくわからなかったが、おおかた慰謝料がどうとかの話だろう。
今後のことを考えると溜息が漏れ出る。一昔前には名物料理や工芸品で潤っていたこの町もすっかり寂れ、漁師の懐も素寒貧だ。
とぼとぼと家路を歩いていると、孫が笑顔で駆け寄ってくるのが見えた。
「おじいちゃん!」
「おお、
「うん! それより、どうしたの? 元気ないね」
「漁に出たら人魚とバッタリ鉢合わせちまってな……」
「人魚! 授業で習ったよ!」
人魚という言葉に正人は目をキラキラと輝かせる。きっと習いたてのことを話したくてしょうがないんだろう。帰りがてら可愛い孫の言葉に耳を傾けてやるとするか。
「どんなことを習ったんだ? おじいちゃんに聞かせておくれ」
「えっとね、人魚は正式には“ワタツネ”って言ってね、人魚の言葉で“海の長”って意味なんだって」
「へえ、なるほどなあ」
何が海の長だ、魚風情が。あいつらは海ではなく鍋の中にいるのがお似合いだ。
漁に出る傍らで営んでいた料理店も、人魚が禁漁になってから客足はサッパリ。どこにでもある普通の魚料理じゃあ競合する他の観光地には勝てず、今では店を閉め細々と人魚以外の魚を捕る日々だ。
「それでね、昔は鱗が綺麗だからってたくさん捕まえられて、人口が減ってしまったんだって」
「それは大変だなあ」
ああ、鱗を使った工芸品は海辺の町では定番の土産物だったな。個体ごとに多種多様に色めく鱗、光の当たる角度によって多彩な煌めきを放って本当に綺麗だった。ただでさえ薄い鱗を更に薄く削りだし、漆と組み合わせた
俺も休漁期にはせっせと手仕事をしていたっけな。人魚は身も鱗も全て余すことなく金になる良い資源だった。そのおかげでこの町も代々豊かに暮らせていたんだ。
「でもね、人魚にも人権が認められるようになって、今ではぼくらの国の一員になったんだ。みんなで仲良く暮らしていくんだよ!」
「それは素晴らしいことだなあ」
何が人権だ。人間様が下手に出りゃあつけあがりやがって。昔は鬼だの天狗だのと共存するまでに一悶着あったらしいが、近年になって更に人魚までしゃしゃり出てくるとは。あんなもんただの魚だろうが。網にかかっても鍋の具材や細工の材料にならず生きて海に返されるだけ有難いと思えよ。
隣を歩きながら嬉しそうに話す孫を見ていたらそんな恨みつらみを口に出す気にもなれず、素直に褒めて頭を撫でた。
「たくさん勉強して偉いなあ」
照れたように笑う孫は正直、目に入れても痛くない。人魚が禁漁にさえならなければ、この子にもこの子の父親にも贅沢な暮らしをさせてやれただろうに。口惜しいったらない。
「ねえねえ、おじいちゃん。今日出会った人魚さんはどんな人だったの?」
「ん? ああ、逞しくてな、瑠璃色の綺麗な鱗をしていたよ」
「ええー! いいなあ! ぼくも会ってみたかった!」
話していて、ふと思い出した。そういえば、初めて作った鱗鈿細工は今日網に掛かった人魚の鱗と同じ瑠璃色だったか。深い海を思わせるような鱗を贅沢にあしらった髪留め、かみさんに告白するために作ったんだ。
「正人、家についたら良いものを見せてやろう」
◇
万和2年3月3日付け 野国日報
漁師殺害事件
丈部町内の漁師・
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。