三 神と下手に出る青年
財布を開けたら小さいおっさんがいた。互いに目を合わせたまま硬直するこの時間はいったい何だ。店員が怪訝そうな目でこちらを見ていることに気付き、慌てて支払いを済ませた。
帰宅してから恐る恐る財布を開くと、やはりそこには小さいおっさんが鎮座している。話は通じるのだろうか。
「あの、どなたですか?」
「か、神です」
「神ィ?」
思いのほか大きな声が出てしまい、おっさんがビクッと震える。財布の中にいるということはつまり……。
「貧乏神ですか?」
「いえ、……う神です」
「何て?」
「……くびょう神です」
怯えたようにもにょもにょと喋るからうまく聞き取れない。……くびょう神、疫病神か!?
「どうしたら出ていってもらえます?」
「あっ、えと、そういうシステムは、なっ無いです」
八百万の神々なんて言うくらいだ、生活の中で遭遇することは珍しくない。でも、よりにもよって疫病神だなんて。これなら便所の神にでも遭遇して、もっとちゃんと便所掃除をしろと叱られるほうがよっぽどマシだ。
とにかく、機嫌を損ねないようにするしかない。
「神様、神様。お飲み物はいかがですか」
「だ、大丈夫です……お気遣いなく……」
「気遣いだなんてそんな、神様に尽くすのは当然でございます」
神様に対する接し方といえば恭しい態度、豪華な供物、それから敬虔な祈りだ。今すぐ出来ることといえば茶を出すことくらい。おもてなしさせろ。
「ささ、どうぞ。よろしければお饅頭もお召し上がりください」
「どうも……」
全力で笑顔を作り、お猪口に入れた緑茶と皿に適当に盛りつけた饅頭を差し出した。近所のスーパーで買った安いティーバッグと出店で買った十円饅頭だけど、こういうのは気持ちの問題だから。きっと神様もわかってくださる。
「ふーっ……ふーっ……」
「……」
「ふーっ……ふーっ……」
「……」
そんなに熱かったか……? 神様は延々と茶を冷まし続けている。そしてやっとお猪口に口をつけたと思ったら、結局飲まずに「ふーっ……」と溜息をついた。いや飲まないんかい! 飲めや! 駄目だ、相手は神様なのだからツッコミを入れるわけにはいかない。
「……。お茶が冷めるまでお饅頭でもいかがですか?」
「あの、これ……、三個のうち一つだけ辛かったり酸っぱかったりします……?」
確かにそういう駄菓子もあるけど! 三個入りのガムで一個だけめちゃくちゃ酸っぱいやつね! でもこれただの饅頭だから! 初対面なうえに神様相手にそんなドッキリ仕掛けないから!
「全部甘くて美味しいですよ。安心してお召し上がりください」
俺の返答にホッとした様子の神様は、もそもそと饅頭を食べ始める。
こんな調子で俺はこの先うまくやっていけるのだろうか。盛大な溜息をつきかけて、懸命に飲み込んだ。
それからというもの、警戒する日々が続く。どれだけご機嫌取りをしたところで、疫病神に憑かれたら多少は不運が訪れるはず。
鳥の糞が降ってくるかもしれないと思うと晴れた日でも傘は手放せない。犬を飼っている家があれば回れ右して別の道を行き、横断歩道は何度も左右を見てから慎重に渡る。魚を食べるときは骨がないか用心深く確認する。試験対策はいつも以上に丁寧に。そしてフラれるかもしれないから幼馴染の咲月ちゃんに告白するのは先延ばしにしておく。
気を張り続け数日経ったころ、心配した様子の友人に声をかけられた。
「お前さ、大丈夫?」
「んぇ? な、何が?」
「最近ずっとビクビクしてさ、何かあったんかなーって心配で」
「い、いや別に何もないけど……」
そこで気付いた。”何もない”のだ。いくら疫病神の機嫌が良いからといって、こんなにも平穏に暮らせることがあるだろうか。何かがおかしい。何かが間違っている……? そして俺は一つの可能性にたどり着く。
「ありがとう! お前のおかげで勘違いに気付けたかもしれない!」
「お? おう!」
頭から霧が晴れたような気分だ。嬉しさのあまり友人の肩を抱き、バシバシと叩く。そして再度お礼を伝え、不思議そうな顔を尻目に学校の門をくぐった。
「なんだかよくわからないけど頑張れ!」
そんな友人からの声援を背中に受けながら帰路を急ぐ。あいつには今度食堂でラーメンでも奢ってやろう。
帰宅すると神様は十円饅頭を頬張っていた。気に入っていただけたようで何より。そして勢いよく開閉したドアの音で驚かせてしまったのは申し訳ない。でも俺には確認しなければいけないことがあるんだ。
「あの、念の為もう一度お尋ねしますが……」
帰ってくるなりいきなり詰め寄ってきた俺に神様は吃驚した様子で小さく震えている。
「疫病神、なんですよね?」
「えっ、臆病神、です」
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