第16話

 シャルロッテさんが手紙を出してくれた古城エルヴェは、ローゼの家から森の中の小道を抜けて、小一時間ほど歩いたところにあるのだと言う。


 ローゼと話し込んでいたこともあり、道の半分ほどを歩いた時点でお昼を過ぎていた。夕方になる前には古城に着けるだろうか。


「君もなかなか過酷な運命を背負っているんだね。さっきの話を聞いていると、僕のほうが頭が痛くなりそうだったよ」


 休憩を終え、再び小道を並んで歩き始めたとき、リーンハルトさんは切り出した。


「お恥ずかしい話です。……色々と衝撃的で、私もまだ現実のことのようには思えません」


「君に傷をつくった事故は、妹さんのせいだったんだね」


 リーンハルトさんの視線が、気遣うように額に向けられる。思わず前髪の上から傷痕を押さえながら、こくりと頷いた。


「でも、こうして目覚めることができましたから……。目覚めたあとも、お医者さまが不思議に思うほど回復が早かったのです。それこそ、まるで『魔術』のようだと……」


 本物の魔術師さまの前でそんなことを言うのもなんだか妙に思えたが、リーンハルトさんは優しく微笑んで頷いた。


「まあ、似たようなものかもしれないね。……『運命の人』は、普通の人間が死ぬような傷で死ななかったり、傷や病の回復が早かったりするらしいんだ」


 また「運命の人」だ。どうもその言葉には、私の知らない意味が含まれているような気がする。


「……リーンハルトさんたちがおっしゃる『運命の人』は、どういうひとを差しているのです?」


 思い切って尋ねてみれば、リーンハルトさんの紫紺色の瞳が意味ありげに私に向けられた。


「知りたい? 僕と結婚してくれるなら、教えてあげてもいいよ」


「え……?」


 ざあ、と小道に風が吹き抜けた。リーンハルトさんの外套と私のワンピースの裾がふわりと揺れる。


「あ……申し訳ありません。婚姻を結ぶほどに親しい相手にしか、伝えられないことなのですね」


「ちょっと違うけど、まあいいか」


 これ以上、君に重荷を背負わせるのもかわいそうだからね、とリーンハルトさんは笑った。やっぱり、不思議な魔術師さまだ。


「でも、あんな話を聞かされたあとで、君は王都に帰りたいの? 下手すれば、君も君の家も破滅を免れないような気がするけれど」


「場合によっては、公爵家の者は全員処刑されるかもしれませんね」


「まあ、そんなことになったら、僕が君を攫いに行くよ。……君となら、楽しく暮らせそうだって思ったんだ。これもきっと『好き』ってことだよね」


 確かに、好意にもいろんな種類があるだろう。私もリーンハルトさんには好感を抱いている。彼となら、きっといつまでも楽しく暮らせるのだろう。


「ふふ、求婚のお言葉を春の初めにお聞きしていたら、私の帰る場所は幻の王都になっていたかもしれませんわ」


 もういちど、殿下に深く恋をする前の私ならば、公爵家からも王家からも逃げ出して、新たな幸せを捜しにいっていたかもしれない。


 でも今は、と徐々に見えてきた古城を見上げる。


 数代前の王女が療養に使っていたという古城エルヴェは、王族も滅多に立ち寄らないと噂の寂れた城だった。


「僕らが出会うのがあと半年早かったら、きっと何もかも違っていたんだろうね。……不思議と、二百年ぶりに会えたのに、と惜しむ気持ちより、君が手に入らなかったことを残念に思っているよ」


 二百年。途方もない年数をさらりと口にしたリーンハルトさんだったが、追求することはしなかった。彼は、人の世で生きる存在ではないのだ。私が王都で生きることを諦めるつもりがないのならば、これ以上は踏み込んではいけないだろう。


 目的の古城は、目前に迫っていた。城の前には古びているものの趣のある大きな橋がかけられており、これを渡り切れば正門だ。


「ここからは、君ひとりでいけるよね」


 橋を前にして、並んで歩いていたリーンハルトさんが立ち止まる。彼とのお別れのときだ。


「はい。何から何まで、ありがとうございました。このご恩は決して忘れません」


 ワンピースをつまんで、正式な礼をとる。


 リーンハルトさんもまた、胸に手を当てて小さく礼をした。人の世に疎いと思っていたが、思えばリーンハルトさんの仕草はとても洗練されている。


 ……アメリアという方が、彼に教えたのかしら。


「時折、君の様子を見にきてもいいかな」


「はい。お待ちしております」


 魔術師である彼と正式に会うことは叶わないだろうが、彼のことだ。ちょっとした瞬間に、何気なく隣に立っているのだろう。


 リーンハルトさんの手が、私の髪に伸びる。彼は毛先をそっとすくい上げると、ゆったりとした仕草でくちづけを落とした。

 

「覚えておいて。……君がすこしでも幸せそうでなかったら、僕はいつでも君を連れて行くからね」


 そのまなざしに、初めて焦がれるような熱を見つけた気がして、不覚にも心臓が跳ね上がった。精霊や魔物のようだと思った彼も、人間らしい一面を持っているらしい。


「心強いお言葉です。ですが……きっと、私の幸せはあの方のそばにあると信じています」


 空が、紫紺色に染め上がる。リーンハルトさんの瞳によく似た色だ。


 彼はにこりと微笑んで、私の髪を離すと、視線を橋の向こうへ向けた。


「……そろそろ日が暮れてしまうね。それじゃあ、またね、レイラ」


「はい、またお会いしましょう、リーンハルトさん」


 重なっていたふたりの影が離れる。最後にリーンハルトさんの微笑みを刻みつけ、ゆっくりと彼に背を向けた。


 橋の中頃まで来たあたりで、ざあ、と強い風が吹き抜けた。その風の中に、白百合の香りを感じた気がして、半身で背後を振り返る。


 そこにはもう、リーンハルトさんの姿はなかった。まるで初めから誰もいなかったかのように、静かな小道だけが森に向かって伸びている。


 あまりに不思議なことばかりで、すべて夢だったような気がするけれど、でも、リーンハルトさんの優しい声も微笑みもありありと思い出せる。思いがけず、不思議な友人を得たものだ。


 再び正門の方を向き、ゆっくりと足を進める。今度は振り返らずに、橋を渡り切った。

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