第11話
「お嬢さま、もうすぐ到着いたします。体調はいかがですか?」
馬車に揺られながら、向かい側の席に座ったジェシカがにこやかに語りかけてくる。彼女は車内でも、ローゼ捜索の資料を整理してくれていた。
「ありがとう。体調はいいわ」
このところ私は、苦手な馬車に乗り込んで修道院を訪ね歩いていた。目的は、ローゼの足取りを探るためだ。
王城から帰ってきてからいうもの、すぐにローゼ捜索にまつわる資料を確認し、彼女の行方を捜し始めていた。そうはいっても婚約の準備などでどうしても手を離せない時間があるため、私が直接探しに行けるのは王都内に限られていたが、捜索隊が探しにくいであろう令嬢向けの店や修道院を中心に探し回っていた。彼女自身を見つけられるとは思っていないが、何か手がかりがあるかもしれない。
……もっとも、護衛騎士と一緒にいるのなら、修道院に立ち寄っている可能性は低いかもしれないけれど。
資料を確認したところ、ローゼが姿を消した時期と同じ頃に、彼女の護衛騎士も消息を絶っている。偶然か、はたまたローゼが護衛として連れて行ったのかわからないが、もしも一緒に行動しているのだとしたら、男女が一緒にいられない修道院には立ち寄っていないだろう。
それでも、わずかな可能性の芽を潰すために、こうして私が行ける場所には直接赴いて情報を集めている次第なのだ。
「これから向かう修道院は、どなたでも修道女として受け入れる方針を掲げている場所です。二百年ほど前、王女さまも入られたことがあるとか……」
「その話は私も聞いたことがあるわ。直接お邪魔するのは初めてだけれど……」
もし、ローゼが見つかって、すべてが元通りになったとき、身代わりの私を誰も必要としなくなったら、その修道院は私の居場所になってくれるだろうか。
考えるだけでずきずきと胸が痛んだが、呼吸を整えてすぐに意識の外に追いやった。今は、ローゼ探しが先だ。
「……しかし、よろしかったのですか? 王太子殿下のお誘いを断ってしまって……」
「……いいの。今は、お顔を見てお話しできないわ」
ジェシカにも、当然事情は伝えていない。あの夜私が盗み聞いてしまったことは、今も私の胸の内に留めていた。
「……おふたりの間に、何があったかは存じませんが……早く、元通りになることを願っております。このところのお嬢さまは、本当にお幸せそうでしたから」
「元通り、ね……」
どこまで遡れば、私たちは正しく「元通り」になれるのだろうか。あの話を聞く前か、はたまた事故に遭う前か、どこまで戻っても、殿下とローゼが幸せになれる道が見つからない気がしてならない。
それもそうだ。私という障害物があって、どうしてふたりが幸せになれるだろう。最初からローゼが殿下の婚約者に選ばれていれば、こんな悲劇は起きずに済んだのに。
まもなくして、馬車が修道院の前に止まった。ジェシカを引き連れて、さっそく修道院の中へ入る。
修道女の案内に従って、私たちはまず院長室へ挨拶に伺った。院長は意外にもまだ年若い清楚な女性で、私たちの訪問を心から歓迎してくださった。
寄付金と挨拶の品を納め、私はさっそくローゼを探している旨を伝えた。このところ私が修道院でローゼの情報を探っていることは噂になっているのか、院長はすぐに資料を見せてくれた。
「……残念ですが、妹さんがこちらを訪れた記録はありません。白金の髪に空色の瞳という目立つ容姿ならば、もしも立ち寄っていた場合、修道女の誰かが記憶しているものと思いますが‥…そのような話もなく」
「……そうですか。ありがとうございます」
ここにも、手がかりはなかったようだ。もともと強く期待していたわけではなかったが、成果が得られないことにすこしずつ焦りを覚え始めていた。
「せっかくいらしたのですから、よろしければ礼拝堂をご覧になってください。……特に『氷の礼拝堂』は、お嬢さまにお似合いです」
不思議な言い方をする院長だ。意図を捉えきれずに曖昧な微笑みを浮かべながらも、こくりとうなずく。
もともと礼拝をしてから帰るつもりでいたので、せっかくならば勧められた礼拝堂へ足を運んでみることにした。
「……すこしの間、ひとりで祈るわ。ジェシカはここにいてくれる?」
「承知いたしました」
案内された「氷の礼拝堂」は完全な密室のようだった。誰かと鉢合わせてふたりきりになる心配もない。
重厚な扉が閉まっていく音を背後に聞きながら、こつり、と礼拝堂の中へ足を踏み出す。その名の通り、床は氷のように磨き上げられ、心なしか部屋の空気はひんやりとしているように思えた。息をするたび肺が浄化されていくように思うほど、神聖な空気だ。
ゆっくりと祈る時間ができたら、体が回復したことに対する感謝を捧げようと思っていたが、今は心からそんな気持ちで祈れそうにもない。
指を組んで、そっとまつ毛を伏せる。暗がりの中では、不思議とすぐに願いを思い浮かべることができた。
……ローゼが早く見つかりますように。
そして、私の恋慕うあの方が、幸せになれますように。
わずかにまつ毛を上げて、小さく息をつく。
願ってみたはいいものの、複雑な気持ちは拭いきれない。
……彼の「幸せ」の中に、私はきっといないのに。
複雑な思いで、月影のような銀色を思い起こす。自主的に彼を避けている今でさえ、こんなにも寂しいと思ってしまっているのに、いつか彼の「幸せ」のために私はちゃんと身を引けるのだろうか。
そのままどれくらい、祭壇の前で指を組んでいただろう。
あるときふっと背後から、甘い花の香りが香った。
この絡み付くように香り立つ匂いは、嗅いだことがある。
……白百合の香り?
「……アメリア?」
誰もいないはずの背後から、青年の声が響いた。甘く、優しい響きの心地の良い声だ。
私が呼ばれたわけでもないとわかっているのに、気づけば体をひねって、背後を振り返っていた。
「……っ!」
そこには、見慣れぬ紺色の外套を纏った、黒髪の青年がいた。驚いたように見開かれた両の目は、とても珍しい紫紺色だ。甘く整った顔立ちは、誰の目にも優しげに見えるだろう。
彼を見て、嫌悪感を抱ける人間はきっといない。現に私も、ひとりきりの礼拝堂に現れた彼を怪しむより先に、どこか懐かしいような感覚に囚われてならなかった。
「アメリア……」
こつり、と青年の靴音が響く。
そこでようやく私は、青年との距離を保つように一歩背後に引いた。見知らぬ青年とふたりきりになってしまったこの状況に、一気に脈が早まっていく。
だが、青年は私の混乱などすこしも気づいていないかのように幸せそうに微笑んだ。
「アメリア……帰ってきてくれたんだね」
その言葉と同時に、彼は一粒の涙を流した。礼拝堂のステンドグラスに透けた陽光が、涙の粒を淡く照らし出す。その泣き方があまりに綺麗で、彼はひどく現実離れした存在に見えた。
「……どなたかと勘違いされているようですが、私はアメリアという名前ではありません」
彼と言葉を交わす前に、ジェシカを呼びにいくべきだと頭ではわかっているのに、答えずにはいられなかった。それだけ、青年を放っておけなく思ってしまったのかもしれない。
私の言葉に、彼ははっとしたように身を震わせた。どこか夢みがちに見えた紫紺色の瞳に、すっと明確な光が宿る。
「……君、アメリアの幻影じゃないんだね」
「幻影、ですか?」
耳慣れない単語だ。祭壇を背にしたまま、小首を傾げて問いかけてしまう。
「……ここで祈っていると、たまに見えるんだ。僕の心が創り出したものなのか、魔術の名残なのかはわからないけど」
「魔術……って」
質問にもならない言葉を繰り返してしまう。知らぬうちにかなり後ずさっていたようで、背中に祭壇が当たる感触にはっと顔を上げた。
……そもそも、おかしいわ。この礼拝堂の入り口はひとつだけなのに。
礼拝堂に入ったときには、誰もいないことを修道女たちやジェシカに確認してもらっている。その後、唯一の入口はジェシカと護衛騎士で守ってもらっているのだから、彼らに気づかれずに侵入できるはずがないのだ。
ぞわり、と肌が粟立つのがわかった。
ゆっくりと近づいてくる青年の雰囲気は、よく観察すればするほど人間らしくないと感じてしまう。
……それこそ、精霊や魔物がいたら、きっとこんな感じだわ。
お伽噺の存在を思い起こしてしまうくらいには、彼はどこか異質だった。それでも、やはりうまく警戒できない。逃げ出そうと思えない。
「自己紹介が遅れたね。僕は、リーンハルト・ルウェイン。普段は幻の王都で暮らしているしがない魔術師だよ」
にこりと穏やかに笑いながら、彼はぱちりと指を鳴らした。いつのまにかその手には、見事な白百合の花束が握られている。
「お近づきの印にどうぞ、アメリア――じゃなかったね。今の名前はなんて言うの?」
青年はごく自然な仕草で私の目の前に迫っていた。優しげな微笑みからは私を害する気持ちは伝わってこないが、つかみどころのない人だった。差し出された白百合の花束を、おずおずと受け取る。
……幻の王都……それに、ルウェインって。
ちらり、と背後の祭壇を盗み見る。王都の修道院や教会はすべてルウェイン教のものだ。その名は遠い昔に、王国の発展に尽力した魔術師の姓からとられている。幻の王都というのも、今では伝承上の存在でしかない魔術師が暮らす街として語り継がれている場所だ。
「名乗りたくない? じゃあ今回もアメリアって呼ばせてもらうね」
言い淀んでいるうちに、青年はにこりと微笑んで自分で決着をつけてしまった。下手に名を明かすよりは、いい選択かもしれない。
「それで、君はどうしてそんなに泣いているのかな? ルウェインの姓を持つものとしては、祭壇の前でそんなふうに泣かれると放っておけなくなるんだけど……」
言われて初めて気がついた。いつのまにか頬が涙で濡れている。祈っているうちに、涙を流していたのかもしれない。
「……妹が、いなくなってしまったのです。どれだけ探しても手がかりひとつ見つからず……途方に暮れて祈っていたところで、あなたに声をかけられました」
本来ならば見知らぬ男性にこんなことを打ち明けるはずもないのだが、このひとが妙に人間離れしているせいか、王国のしきたりや風習を持ち出すのも不自然なことに思えた。
「妹さんを捜しているのか。じゃあ、僕も手伝うよ。多少時間はかかるかもしれないけど、生きていれば見つけられるはずだ」
「え……?」
思わずまじまじと青年の顔を見上げてしまう。青年はにこりと微笑んで、私の髪に手を伸ばした。思わずびくりと肩が跳ねる。
「魔術で使うから髪の毛を一、二本もらってもいい?」
「……髪の毛を、ですか? え、ええ……」
流石に長い髪を切り落とすと言われたら躊躇いを覚えるところだが、それなら別に構わない。殿下からもらったアネモネをかたどった髪飾りを外し、後ろでまとめていた髪をするりと下ろす。そのまま青年に指示されたとおりに、一、二本引き抜いて差し出された羊皮紙の上に載せた。
「亜麻色の髪も優しい色合いで綺麗だね」
何と比較してそう言ったのかわからないが、曖昧に微笑んで受けながした。「アメリア」というひとの髪色を思い浮かべたのだろうか。
青年は私の髪を包むように羊皮紙を折り畳むと、先ほど白百合の花束を持ち出したときのように指を鳴らした。たちまち、羊皮紙は青紫色の炎に包まれ、きらきらと輝く灰になる。
青年はそれを一瞥して、穏やかな笑みを浮かべた。
「とりあえず、大体の位置はわかったよ。向こうに転移してから、もっと細かな居場所を突き詰めよう」
「それはつまり、妹は生きているということですか……?」
「そうだね」
その一瞬だけは複雑な感情も忘れて、ぱっと光が差したような気がした。
ローゼが、生きていた。最悪の事態は避けられている。
「……よかった。ありがとうございます、魔術師さま」
「お礼を言うのは早いよ。まだ見つけていないんだし」
青年は床に落ちた灰をまたしても魔術らしき力で消し去りながら、くすくすと笑った。
「……魔術師さま、見ず知らずの私にどうしてここまでしてくださるのです?」
いくら敬虔な祈りを捧げていたからと言って、ここまでしてもらう道理はないはずだ。戸惑いながら尋ねれば、彼は視線を伏せてなんてことないように告げた。
「そうだな……君が『運命の人』だからかな」
「え……?」
私の戸惑いに、彼はただ意味ありげな笑みだけを浮かべた。
「それより、今は君の妹を捜しに行こうよ。泣くほどに会いたいひとなんだろう?」
そう言い終わるや否や、青年は私の手を取った。手を引かれた拍子に、手に持っていたアネモネの髪飾りが床に落ちてしまう。
「あ……」
それに手を伸ばす前に、気づけば視界いっぱいに淡い光が満ちていた。ふわりと、体が浮き上がるような不思議な感覚を最後に、私はふっと意識を手放したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます