第12話(ルイス視点)

「レイラが、消えた……?」


 それは、あまりにも衝撃的な知らせだった。書きかけていた書類にペンのインクがじわりと広がっていくのがわかったが、頭の中が真っ白になってそれどころではない。


「はい。護衛の話では、完全に密室の礼拝堂から、忽然と姿を消したそうです……」


 後にはこれが、と騎士はきらりと煌めくものを差し出してきた。アネモネの花を模るように宝石が埋め込まれたその髪飾りは、確かに僕がレイラに贈ったものだ。


「血痕や争ったような形跡はありませんでした。修道院には口止めをしましたが……アシュベリー公爵令嬢がどこへ消えてしまったのか、まるで検討がつきません」


 騎士から髪飾りを受け取り、宝石を指先でなぞる。この髪飾りが似合うと褒めてから、彼女は僕に会うたびにこれをつけていた。他にも彼女の綺麗な亜麻色の髪を飾るものはたくさんあるだろうに、これだけを使い続けていた。


 それを見て、心がじわりと温かくなるような幸せを感じていたころがひどく懐かしい。


 このところのレイラは、どこか他人行儀だった。まるで恋人同士と言っても過言ではないほどに距離を縮められたと思っていたのに、それを嘲笑うかのように明らかに彼女は冷めていた。


 ……何がいけなかったんだ。


 どうにかして関係改善を図ろうとしても、あからさまに避けられ続け、悶々としていた矢先に失踪とは。レイラもなかなかやってくれる。


 やり場のない苛立ちと、彼女を失うかもしれない恐怖で、心がぎしぎしと軋むように重かった。


 思わずぎゅう、と髪飾りをきつく握りしめる。留め具が外れていたのかぷつりと皮膚が切れる感覚があったが、頭の中はレイラで埋め尽くされていてそれどころではない。

 

「王都に……いや、王国全体に秘密裏に捜索隊を放て。彼女を害した疑いのある者がいれば、事情を吐かせたのち残さず殺していい。彼女を見つけ次第、公爵家よりも先に僕のもとへ連れてくるんだ」


「かしこまりました。……アシュベリー公爵令嬢を見失った者たちの処罰については」


「……その中にレイラの侍女もいるのか」


「はい。令嬢付きの、ジェシカという侍女が」


 ふと、温室でのお茶会の中で、レイラが小さな微笑みを浮かべて、僕に語ってくれた言葉を思い出す。ひだまりのなかで、彼女の亜麻色の髪が黄金色に輝いていてとても綺麗だった。


 ――ジェシカは、私にとっては親のようにも思っている侍女です。彼女がいたから……つらいことを乗り越えてこられました。


 その「つらいこと」の中に、僕との婚約も含まれているのか、とは聞けなかった。


 小さく息をついて、瞼を閉じる。目を開けていても、閉じていても、いつでも彼女は僕の脳裏にいた。


「密室からの失踪だ。……彼らに過失はない」


 伏せていた騎士の視線が、意外そうにこちらに向けられるのがわかった。


「……かしこまりました」


 騎士が退室すると、室内は完全な静寂に包まれた。書きかけていた書類はインクと血の染みでもう使い物にならない。

 

 レイラは、どこへ行ってしまったのだろう。


 ぽたぽたと滴り落ちる血を眺めながら、うまく働かない頭で考える。


 彼女が攫われて傷付けられているかもしれない、と怯えるのと同じくらい、この失踪が彼女の意思によって行われたものであることを恐れている。


 せっかく目覚めたのに、再び僕の婚約者という枷をつけられて、本当はずっと苦しく思っていたのだろうか。僕を含めたなにもかもから逃げ出したくて、姿を消すという方法を選んだのだろうか。


「……許されるはずがない」

 

 ことり、とアネモネの髪飾りを置いて、吸い寄せられるように壁際に歩みを進める。


 執務室の壁には、レイラに会えなかった二年の間にすこしずつ描かせた彼女の肖像画がずらりと飾られていた。


 彼女が眠っている間はこの絵が心の支えだったが、このところは絵の存在など忘れるほどに、レイラと心を通わせられていると思っていたのに。


「……馬鹿だなあ、君は」


 優しくしてこの想いが伝わらないのならば、この先僕が取る手段はひとつだ。傷ひとつ付かぬよう大切に扱ってきたつもりだが、僕から逃げ出すつもりならもういいだろう。彼女を傷つけることよりも、彼女が僕の目の届く場所からいなくなることのほうがずっとずっと恐ろしい。


 そっと、肖像画の中のレイラに手を伸ばす。現実のレイラは、額にくちづけても、頬にくちづけても、顔を真っ赤にして小さく震えているのが可愛かった。


 ふたりきりの温室で、彼女が告げた甘い言葉を思い出す。


 ――……この先の未来のどの瞬間にも、あなたがいてくださいますように。


「レイラは嘘つきだ」


 今、この瞬間も、僕らは一緒にいないのに。たとえレイラの意思に反して失踪していたのだとしても、僕のものでありながら、他の人間にやすやすと時間を奪われていることが許せない。レイラの意思であるならば、なおさらだ。


 気づけば肖像画には、僕の血がべっとりと付着していた。よほど手のひらが深く切れていたらしい。


 肖像画が台無しになってしまったが、もうどうでもいい。


 僕は、本物のレイラをこの手に取り戻す。


「……絶対に、逃がさない」

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