第4話 経験者として
私が悩んできた偏見と差別、誹謗中傷および、ヘイトスピーチは決して、障害者サイドだけの問題ではない。
コロナ禍になり、感染した人が偏見や差別、誹謗中傷にさらされ、今まで味わったことのない、閉塞感に、多くの人が身近になりつつある今、差別や偏見、誹謗中傷は時として、その当事者の心に大きな傷を与えるということを忘れてはいけない。
今までは、差別を無意識のうちに行っていた人もいつ、自分が言葉の被害者になるのか、全くもって、分からないのが、差別と偏見、誹謗中傷の恐ろしいところだ。
最近になって、多くの著名人が精神疾患をカミングアウトした、というニュースを聞いて、私は『誰だって心が弱くなるときはある』といい意味で痛感した。
こんな明日さえも、不透明な世界を生きる私たちに残された方法は、じっくりと身を構えて物事を見定めることなのだ、と思う。
現在、多くの若者がコロナウイルスによって青春を奪われ、未来の希望さえも見えてこない、毎日に脅えている。
私は十代だったころ、学校に行くのも拒まれ、勉強してもその対応さえもしてもらえず、閉鎖病棟の床頭台で独学をしていた。
オンライン授業での教育課程が実施されている中、自力で勉強するのが、どれほど大変なのか、私は経験者としてよく知っている。
しかし、参考書と教科書を片手に噛み砕きながら、独りでやる勉強は後で絶対に役に立つ。
それだけは自信をもって言える。
ただ、今の若い世代は下手をすると、私が失った青春時代よりも多く失うかもしれないのだ。
閉鎖病棟でずっと入院していた、私でさえも後に転入した通信制高校(日本放送協会学園高校)の卒業式は、NHKホールで行えたし、小さいながらも体育祭や文化祭も経験した。
外出したときでさえもマスクははめていなかったし、楽しいときもそれなりにはあった。
中学時代は中高一貫校に在籍していたので、生の高校生活も近くで見ていたし、高校の修学旅行は行けなかったがその分、中学校ではそれなりに多くの青春は謳歌できたからだ。
毎日、中止、中止、中止、という二文字を聴くたびに胸を痛めた。
神様はかつての私が受けたような、不幸を今の若い世代に与えるなんて、何て酷薄なんだろう、とつい言いたくなった。
感染症は人を選ばない。
どんな境遇の人だろうが、感染症は選ばない。
私たちはこんな時代を生きている。
一人一人がこの過酷な時代を生きている。
そのために不安と憂鬱への対処法には何があるだろうか。
私が編み出した憂鬱撃退法。
EMDRを受診するに合わせて、私は認知行動療法の一環としてこれらのルーティンを実践している。
自分の癖を振り返り、現状に希望を見出す実践法。
最初は小さな一歩でも構わない。
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