おう、カトリーヌ!

商社城

第1話おう、カトリーヌ!

1559年2月某日

パリの夜はしんしんと冷える


馬車が物々しく、しかし静かに、郊外のとあるシャトーに到着した。


先頭に立って入っていくのは

小柄で小太りな中年女性。

白黒のモノトーンと地味であるが、

その所作から一般庶民では決してない事が分かる。

彼女は部下を引き連れ、シャトーの地下に進んだ。


シャトーの地下に降りる階段途上

女性は部下に確かめる

「ぬかりはないか?」

「はい、王妃様」

・・

彼女は仏王妃カトリーヌ・ド・メディシス。

部下は実家メディッチ家から付き従ってきた熟練者ども


“メディシス“という名の通り

彼女はフィレンツェの豪商メディッチ家出身であり王家ではない


なので「卑しい商売人の娘が何故フランス王の正妃に❓」と

結婚このかた20年間、宮殿内でずっと蔑まれた。


器量も決して美しく無い

夫であるフランス王アンリ2世からも愛されず、

王の心は侍従ディアンヌ・ド・ボアチエに奪われていた


何たる屈辱!

結婚初夜から20年間ずっとだ

ディアンヌが美しくカトリーヌがそうでは無いからか?


そんな理由で財産までも

王妃が保有すべき

あのロワール渓谷に佇むシャトー・ド・シュノンソーもディアンヌに献上し

あらゆる行事にもアンリ2世の傍らにはディアンヌが付き従い

王妃なのにカトリーヌはその後ろに従う


「ディアンヌ!ディアンヌ!ディアンヌめ!」


もう一度言おう

カトリーヌは結婚後20年間も

夫が仏王に即位してから12年間も


公的行事では

つまり公衆の面前では

夫アンリ2世の傍らに立つ事は許されず

ディアンヌが、さも王妃かのように、立ち居振る舞い

その後ろに地味な王妃カトリーヌが侍従のように付き従ってきたのだ


なのでこうして夜中、宮殿を抜けても

「誰も関心を払わないんだわ」

今夜も王はディアンヌの寝室だ

・・

「さあ、屈辱を晴らそうぞ!」


地下に降り立つとカトリーヌの前に怯え跪く老人の姿が見えた


部屋は蝋燭だけの灯りで、カトリーヌの顔を見せぬように配慮されている


「そちの名は?」

「ミ、ミ、ミ、ミシェル、ノストラダムスです。ああ。どうか、どうか、命だけは・・・」


この態度にカトリーヌは満足し言い放つ

「よし、分かった。インチキ占い師よ。

ここに筆と紙がある。これから貴様が占い、書いて封をしてその者に渡せ。

内容は『気力漲る王が、馬上から転落し死ぬ』とな。良いか?理解したか?」


震えながらノストラダムスは、筆を取る。

すると震えが止まり、姿勢を正し目を閉じたまま一気に書き上げ、封をし、カトリーヌの部下に渡した

この筆を手にした後のノストラダムスの変化に誰も気が付かない


蝋燭はすぐに吹き消され、カトリーヌ一行は出ていく

・・・・

さて、それから半年後の7月10日のパリ。

長く戦ったスペインとの和平の祝いの宴。

和平と言ってもフランスは敗戦国だ。


なのでカトリーヌの娘、そうアンリ王の長女エリザベート14歳を

敵国スペイン王フェリペ2世に差し出す

つまりこの結婚がスペインとの和解の印だ


恒例の馬上試合が始まる

これは王自身が、自らが神の化身で不死身である事を示す為に、

王族・貴族達大観衆の前で

甲冑に身を固め

馬を走らせ槍を付き合うという、

一見危険だが、王が勝つよう仕組んだ茶番試合だ


カトリーヌの標的は愛人ディアンヌではない。

愛する夫アンリ2世を殺そうとしている。

それも娘の結婚式の日に


愛する?と言ったがカトリーヌは夫を愛してなどいない。

愛してるふりをしているだけだ


馬上試合の仏王の相手はスコットランド貴族のモンゴメリー伯。

彼には槍を上に向ける事なく、つまり逃げる事なく、まっすぐに王アンリ2世の胸を突くよう言い含めている


「これで決着だ!」

カトリーヌの積年の恨みが晴れ、全てを手に入れる瞬間が来るのだ!


アンリ2世の馬に毒を含ませている。

彼女の熟練者達は何匹も馬を殺し、毒の分量と効き目の時間は実証済だ。


さあ、両者馬を走らせた。

カトリーヌは固唾を飲む。


槍を合わす瞬間、目論見通り王の馬は倒れそうに


カトリーヌは「よし!これで!」と興奮する


しかし王の巧みな綱裁きで、何と馬が立ち直り両者相打ちに!


「しまった!しくじった!」カトリーヌは思わず立ち上がった。


「そうだ、占いには何と?」

ノストラダムスがしたためた封を開けた

そこに書かれていた内容にカトリーヌは

「なんと!そんな・・」


試合会場では息を切らしながらアンリ2世は

「モンゴメリーよ、もう一回だ。」


何も知らないモンゴメリー伯は「王よ。もうやめにしませんか?何か不吉な予感がします」

「何を言うモンゴメリーよ。儂の方が劣ると申すのか?もう一度だ、モンゴメリーよ!次は負けぬぞ」


仕方なくモンゴメリーは応じる。

異例のやり直し、第二試合が始まった。

しかし、毒を盛られた馬はもう耐えきれない、

両者が槍を交わす瞬間に仏王の馬は倒れ、

モンゴメリーの槍はアンリ2世の右目を貫いた


カトリーヌの思惑通り馬上試合の事故?で夫アンリ2世は死んだ。

こっそり毒を盛って暗殺されたのではない。

皆の、敵国スペイン王も見てる前での事故死。

完全犯罪成立。

まさか普段目立たぬ王妃カトリーヌが主犯とは誰も思うまい。


しかし1度目で仏王は死ぬ手筈であった・・・

2度目があったのは奇跡・・・。

アンリ2世がもし再試合を断ればカトリーヌの失敗だった。


ノストラダムスは何を書いたのか?

「若き獅子は老王に打ち勝てぬ

いくさの庭にて一騎討の果てに

二度目に若き獅子は黄金の檻の中の

右目をえぐり抜かん。むごき死を老王に捧げん」


カトリーヌは封に紙を丁重に収めた

「“・・・二度目に若き獅子は黄金の檻の中の右目を・・・” ノストラダムス、あの老人が?預言通りではないか・・・・」


ノストラダムスは始末される事なく、生涯に渡って彼女の密かな助言者となる


さて仏王の死で、愛人ディアンヌは何もかも失った事を悟る。

もう彼女がカトリーヌの前を歩く事はない。

シュノンソー城もカトリーヌに渡さねばならないだろう。

いや、彼女自身が処刑死される可能性だってある


カトリーヌはもうディアンヌを見ていない。彼女を置いてその場を颯爽と立ち去ろうとした。

すると背後から

「おい、そこの商人の女。下がらぬか!何年、宮廷に仕えて居る?まだ礼儀も知らぬのか!」


振り返ると無礼な声の主はすらっとした美少女


「ああ、こいつが居たか!」カトリーヌは心で舌打ちをする


彼女の名はメアリー・スチュアート。カトリーヌの長男フランソワ妃で当時18歳。


つまり、アンリ2世が崩御した事で、

長男フランソワが仏王となり、メアリー・スチュアートが王妃だ。

カトリーヌはもう王妃でなく、王母であれば、メアリー王妃の序列が上


メアリー・スチュアートの無礼な発言は、悔しいが間違ってはいない・・。


・・・

1559年7月10日 

カトー・カンブレシスの和の宴

カトリーヌ・ド・メディシスは本性を現し、

メアリー・スチュアートが抬頭。


英国女王エリザベスの好敵手2人が現れた瞬間でもある。


カトリーヌはその後、馬上試合が行われたトゥールネル(小さい塔)の古い宮殿を取り壊す。

「あの人(夫アンリ2世)が殺された不吉な場所だから」

ともっともな理由でだが、実際は、殺人の証拠を確実に消す為だ。


そんな理由で間もなく建設されたのが

現在も残るテュルリー宮殿。


さて、

苦労知らずの小娘メアリー・スチュアートの後ろにカトリーヌは引き下がり退場、


その手にはマキャベリーの「君主論」を持ち心で諳んじる

『第18章

王たるもの信義遵守が不利ならば破棄せよ。

しかし、周囲には信義を全うする立派な人物に見られるべし』


次のターゲット、メアリー・スチュアートの背中を見ながら。

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