第3話 堕落の村
リナはあれから自室に籠って膨大な量の文献から「死の魔法」について調べ上げているらしい。
無駄なことを……。文献というのは過去にあった物事に対する記述しか記載されてなどいない。仮に記載されていたとしてもせいぜい数百年が関の山だろう。愚かな。
本来であれば、何か私も食さないと使った力は回復はしない。だが、こちらには飼いならした家畜がいる。
和馬だ。
「俺ってそんなにやばいものだしたの?」
焦っているのがてにとるようにわかる。市の魔法とやらが使えるせいか、安物の古い縄で縛りあげられて身動き一つとれない和馬は床に座り込んだまま隣室でバタバタと動き回るリナに話しかけることしかできない。
「どの文献にも乗ってないのよ。もしかしたらあるのかもしれないって探してみてるんだけど」
二人ともこの二日何も食っていない。和馬が栄養を取らないと、私もただでは済まない。腹が空く。日ごろは和馬から栄養を賄っているが、その和馬が何も食わないとなると……。
この村特有の作りの玄関ともいえる木製で円状の扉が少し開いて、例の小娘が現れる。私が思う一番入手しやすく、家畜でいう一番うまい肉が取れる時期の子供……。
「お昼まだ?」
聞くにこの小娘の親は実の娘の存在を否定しているらしい。すべてを。食事もとらせず、家にも入れず、名前も呼ばず……。私が言うのも筋違いだが悪魔以上の悪魔だ。人間とは愚かで面白い生き物だ。
「リナ、俺もそろそろ何か食わしてもらわないと……。俺のその右手から出たなんかの正体を探る前に俺が飢え死にしてしまう。縄をほどいてくれとまでは言わないからさ」
「……そうね。確かに。カズマのその能力の正体が何なのかわからないけど、少なくとも私たちに今のところ害はない。食事にしましょう」
……久しぶりの食事にありつけると思ったのだが、まぁいい。
和馬は二日ばかり食事を抜いただけの癖に思うように立てないらしい。縄を解くような力も残されていない。這いつくばかりのその姿は犬のようで実に滑稽だ。
しばらくするといつものスープの匂いが和馬の這いつくばる床にも漂ってきて、和馬が腹が空く。
「カズマ、二日ご飯食べなかったくらいで動けないの?」小娘が和馬に聞くそのそぶりが私に聞いてるようで腹が立つ、いや、腹が空くというべきか。
「俺もなんだかよくわからないんだが、とりあえず食わしてくれないか? 足どころか腕にも力が入らなくてな」
起こされて口元に食事を運ばれる様たるや……最早死にぞこないの隠居じゃないか。
いつもの豆のスープとパン。ある程度腹にたまったものの、私の力がみなぎるほどではない。せいぜいこの家畜が命をつなぐ程度のエネルギー。
「カズマのその魔法のことは何かわかったの?」
「いや、何も……。でもそんなに危ういものでもないだろ。こうして何ともなく二日生きてるんだから」
「要因がわからないものを安易に信用できないのよ。大体の場合、詠唱破棄で唱える呪文は何かしらのデメリットが存在する」
ほう、小娘の癖に知ってるじゃないか。
「デメリット?」
「そう。基本的には威力や効果が薄まったりするんだけど、カズマのそれは最大値がわからないから余計にね」
「カズマ……死なないよね?」
「物騒なこと言うなよ。まだ俺には叶えたい夢があるんだから」
「夢?」
その夢に翻弄されて、裏切られて死を選んだお前が今更夢を語ろうっていうのか?
「作家になりたい」
「作家ってあの小説とか物語書いたりするあの?」
「そう」
和馬はいたって本気だった。和馬が筆を折って首を吊るあの日まで、熱心にパソコンに向かってはため息ばかりをついて、書いては消していた。無駄なあがきをと思いながら、私はその光景を眺めていた。見てみたかったのだ。希望を胸に人知れず苦悩する人間の末路を。そして和馬は首を吊った。すべて、私の予想通り。ただ、ここにきてもう一つ私の好奇心を刺激する種が生まれる。
「私、カズマの書いた小説読んでみたい。だって、私の知らない世界から来たんでしょ?」
そう笑うリナに、カズマは呆けていた。期待されている。その実感がまだよくわからない。浮足立つ感情に、感覚が着いていけない。
私は、見て見たくなった。これまで同族にいたぶられ、自信を蔑んできた人間が突如力を持つとどういう化け物に変化するのかを……。もう少し、観察をしてから和馬の体を……。
「でも、リナ。和馬は天使さんなんでしょ? お空の話を書かれてもだれもわからないよ?」
……天使!? 和馬が!? いや、この場合、カズマについた私に言っているのか。……滑稽。実に滑稽な話だ。
本来なならば、腹を抱えてのたうち回るように笑い転げいているころだが、生憎今の私は実態を持たない。感情だけが上気して、浮足立つ。
「悪いが、俺にそんな力があるとは思えない。現につねられると痛むし。腹もこうしてすいている。天使とかそういう類の物じゃない。普通の人間だ。その魔法とやらもたまたまでてしまっただけで、俺はひっそりと生きていければそれだけでいい」
はいつくばって飯を食らうその姿は、もはや人間というよりは家畜に近いじゃないか。
「そうかーじゃあ、今年は私がお祈りしてくるね? 村のへいおんとほうさく」
「え!? ニーナってもうそんなとしだっけ?」
「なんかねぇ。今年から5歳にするんだって。そんちょーさんが言ってた」
「言ってたって……! 復活祭はもう明日よ? 森の泉に行って身を清めたりしなきゃ間に合わないわよ!?」
「今年からそれもいいんだって。おいのりをして、みんなの今年一年のへいおんを祈ったらそんちょーさんがおとうさんとおかあさんにぷれぜんとくれるんだって」
「プレゼント?」
「そう。私にもくれるんだってさ。それでなんでも好きなものを買ってもらえって」
金か。わかりやすいな……。
小娘はよほどそのことが嬉しいのか、スープを啜りながらよく話をした。帰り際でさえ同じ話をしてから帰路についた。
その日、リナは二日ぶりに和馬の鎖をほどいた。
「……いやな予感がする。なんとなくだけど」
村の守護神たるルシフェルがこの村に姿を現したのが数百年前。奇しくも和馬と同じ、空から墜落するように地面に激突した。そしてこの村に巣食う魔を退け、この村の人々に平穏を与えた。以来この日を祝日として祈りを捧げ、途方もない大きさのパンを焼く。すべては大天使ルシフェルのため。
私の知る限り文献にはそう記されているはずだ。
そして今日、そのルシフェルの再生を願うこの村の祭りが始まる。
朝、祈りの娘として森の大樹に礼拝をするニーナが現れた。
いつも自分をいたぶる両親が珍しくニーナを抱きしめたらしい。嬉しさからか泣いていたとも。ニーナはようやく自分でも両親の役に立てると笑っていた。
例年なら、祈りの娘が返ってくるなり盛大な踊りで歓迎されて村で収穫したもので作った祈りの娘の好物が振舞われる。
が、今年はそうはいかないらしい。
急に曇り始めた空を見たリナが何かに感づき、村長の襟元を掴んで叫ぶ。
「これは一体どういう真似だ!?」
空を見上げた和馬は、視界の端から聞こえるリナの怒声に我に返った。
そしてさらに空を見上げ、目をこすった。今自分が目にしている光景を現実とは受け止めたくないらしい。だが、目をこすっても頬をちぎろうとも目の前の空の光景は何も変わらない。
私が見るに低俗のではあるが、間違いなくドラゴンだ。自分の庭の様に気ままに泳いでは、村人に自身の存在を誇張するようにあえて群れで太陽の光を遮っている。
村長はあの小娘を売ったのだ。明日をも知れぬ日々に耐えかねた村長は、小娘一人を魔王に差し出すことでわが身を守ったのか。滑稽。実に滑稽。実体のない私が笑うなどと出来はしないが、昔の様に体さえあれば腹を抱えて笑っている。
ここに腰を抜かして一歩も動けぬ和馬もそうだ。人間、所詮恐怖心に打ち勝つことなどできはしない。まして、目の前に自分の経験してきたものと次元の違う光景が広がっていればなおの事。
だから私はこの愚かにも愛おしい和馬という人間を喰ってやることにした。今、ここで私が和馬の体を喰い私が私としてよみがえる……。
「ニーナ……」
和馬は走り出した。私の予想を裏切って。
なんの感情も私は抱いてなどいない。この事実に私自身の計算が混じっていたわけではない。感心と驚きが私の中で混在し、フラスコの塩水をかき混ぜた時の様にすべてが均一に混ざり合った結果、私の中で感情が消えたのだ。
私が人間に対して関心……? 私もいつの間にか和馬に影響を受けているとでもいうのか。
「ちょっ。カズマ、森は向こう! もう! あんた何にも知らないくせに!!」
村長を尋問するのは後回しのようだ。村人たちは、現れた魔物から村を守ろうと各々弱いなりに奮闘をしている。その人垣を縫うように二人は件の森へと駆けていく。
案の定。といったところか。
私の想像より明らかに惨い。カズマはその場で硬直し、その場で嘔吐した。
リナは、直視できずに泣き崩れていた。
ニーナは大樹に括り付けられ、体中をついばまれていた。体にできた無数の小さい傷口からは鮮やかな血が泉のように湧き出ている。
が、表情は笑っていた。
赤子は、生まれた瞬間泣いている。
この世に生まれたことに絶望し、再び人として生まれたことに。
「ニーナ……」
そう口にできた和馬は死ぬ間際に考えていたことを思い出した。
人は生まれた時から泣いている。なら、死ぬときはどういう顔をするのだろう……?
和馬は思っている。
ニーナはきっと不遇な環境に生まれながらも、幸せを感じ、人に感謝し、そして最後には人の役に立てると信じていたに違いない。だからこうして安らかな死を自ら迎えたのだと。最期まで誰かの幸せを願っていたのだと。
傍らに巨石が落ちたような音がして、和馬の頬に微弱な風が抜けていく。
魔物は、生きた人間しか食べはしない。
「……ドラゴン」ずいぶんと和馬の頭の位置から下の方から声がすると思えば、リナは腰が抜けて動けないらしい。
……面白いことになってきたじゃないか。
和馬は今までさんざんもてあそばれてきた。嘘をつくこと知らない和馬はまんまと騙され、使われ、捨てられた。守りたいと思っていたものも守れなかった……。リナはそんな事情を知ることもなく、和馬に叫ぶ。
「戦って! カズマの力なら……あの力なら追い払える!」
和馬はニーナの遺骸に絶句していた。確かめることもせずにそうとばかり決めつけるこいつの悪い癖だ。
仕方のないやつだ……。
私は和馬の心に話かける。魔物は……。
「生きた人間しか、食わない……」
そう、だから小娘は……。
「生きてる!!」
「カズマ!!」
これは私の実験だ。これまで人に蔑まれ、認められてこなかった人間が「チカラ」を持つとどういう化け物に変化するのか。私はそれに興味がわいた。
和馬の感情が高ぶるにつれて、私はそっと力を置いていく。だが、今私が持ち得るすべてではない。そんなことをしてしまえば、このおもちゃは形を成すことが出来ななくなる。
右肩から徐々に、和馬を私の色で染め上げていく。白から灰色へ、灰色から黒へ。
放て。そして見せて見ろ。私にお前の「悪魔」を。
和馬は私の指示を無視して、ドラゴンへ向かっていく。低俗ではあるが、和馬の5倍の大きさはある。
「リナ。ニーナはまだ生きている。俺があいつの気を引いているうちに、早くこの場所から離れろ」
「でも……」
「魔王、倒させたいんだろ? 肩慣らしと言ってみようじゃないか」
ドラゴンの咆哮。懐かしいが、私にとってはこんなもの。
「「赤子の鳴き声同然」」
尾を掴み、地にたたきつける。地面は穿ち、木々が鳴いた。
常軌を逸した腕力は、私が少しだけこの間より力を付与してやったおかげだ。
だが低俗ではあるが、相手の体には丈夫なうろこがある。打撃ではほとんどダメージを与えることなどできまい。
が、和馬は私の想像を超えてダメージを当てえていた。
「利いたか? これを死の魔法とかっていうらしいぞ」
ドラゴンの動きが明らかに遅れている。
直に触れることで、より深く強い力を浸透させる……!
などと思っていたのだろう。
和馬の目の前に伏せるドラゴンの口元からは火がちらついては、爆ぜている。知る由もあるまい……。こいつは、ドラゴンという種族は。
「ダメ! よけて!」腰が抜けたままのリナが吼える。が、
聞こえるより早く、和馬は全身火だるまになっていた。悶え、苦しみ泣くことさえままならない。
案外つまらない幕引きだった。私が着いた男はこんなにも脆く、脆弱な奴だったとは……。
私の実験はここでお終いだ。残念ながらおもちゃは壊れてしまった。和馬が死んでしまった先の私のことは私にもわからない。ただ、私には「生」というものがない。在ったことはあるが生まれてなどいない。だから死ぬとは違う。ただそれだけの事。
ーーまだだ。俺は、やれる……。
消えかかっていた私の存在が、強く揺らいだ。
和馬が、存在を知らないであろう私の意識をつかんで離さない。
ーー人は生まれてくる時、泣きながら生まれてくる。だから死ぬ時ぐらいは笑っていたかった。俺は、死ぬときに泣いていた。後悔していたんだ。だから今回は、今回だけは……!
和馬は私の力を宿した右腕を盾にすることで炎を「殺していた」
馬鹿の一つ覚えというやつか。和馬はそのままドラゴンの方へと歩みを寄せる。
そして、炎に耐えきった和馬はドラゴンに掌をあてがうと一気に力を解放する。私もそれに同調する。これから育つ和馬の中の悪意のために。
ドラゴンは叫びを上げる暇もなく、枯れていく。
「おぉ……間に合わんかったか」
せっかく殺しの余韻に浸っていたというのに、ムードを殺してくれたのは先ほどの村長だった。ずいぶん急いできたのか、額からは汗が吹き出し息も絶え絶えだ。
「村長……! どうして今頃来たんです!? いまさらあなたにできる事なんて」
「出て行ってくれ……、申し訳ないが魔王様に逆らった者たちをこの村に置いておくわけにはいかんのだ」
この男……どこまでも性根の腐ったやつだ。私はしばらく動けそうにない。力をずいぶん使ってしまったのと、和馬と同調したおかげで和馬の受けたダメージもこちらに半分来ている。殴りたくても、実態もない。和馬は、黒焦げの状態で立ったまま気絶している。
私がそのまま眠りにつこうとした瞬間、何かがはじける音がした。
「何が復活祭よ! ルシフェル様がいないと魔王も怖いっていうの? いいわ。今から魔王退治に行ってあげる。ただし、もうこんな村には戻ってきてあげない。魔王の城はさぞ絢爛な宝物でいっぱいでしょうし、どこか大きな町にでも引っ越させてもらうわ」
破裂音は村長を平手で殴り飛ばしたリナの仕業。実に滑稽だ。
私は最後の力を振り絞る。ここで力を使うとおそらく一か月は出てこれないだろうが、今はそんな事よりも一刻も早くその魔王とやらの顔を見たい。
私の名前はルシフェル。かつてこの村で天使と呼ばれていた者。
「行くわよカズマ。どうせ生きてるんでしょ? 歩きなさい」
今は翼はなく、天使でもない。地に落ちてしまった私を神は見放した。
和馬は起きないしばらく起きないだろう。だから私が奴の力になる。少なくとも、しばらくの間は……。
リナはニーナを担ぎ上げ、村長を残し去っていく。その姿に村長自身も何も言わずに見ているしかない。
私は、村長を殺しはしなかった。
魔王を倒した暁に、再びこの村を訪れたときこいつは一体どんな顔をするのだろうか。考えてみるだけでも滑稽な話だ。
悪魔の右手神の左手 明日葉叶 @o-cean
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