第49話 ラクーンの休日①

――聖歴1547年/第2の月・下旬レイト

―――時刻・昼前

――――レギウス王国/王都貧民街/薄汚い路地裏

――――――ダークナイフ使いの勇者『ラクーン』


 街というのは、ある程度の規模になると必ず貧民街スラムが自然発生する。

 そして街が大きくなればなるほど指数関数的に貧民街スラムも大きくなり、区画として街の一部分を形成するまでに至る。

 この王都サントゥアリオはその最たる例――というより、もっとも代表的と言えるだろう。


 ――俺は今、そんな王都サントゥアリオ貧民街スラムにやって来ている。

 王都サントゥアリオ中央から最も遠い西端イーストエンドに位置し、奥に進めば進むほど汚く、薄暗く、雰囲気が悪くなってくる。

 中央通りの華やかさがまるで虚偽のように。


 ……本当に、ここに来るのは本当に久しぶりだ。

 10年近くも前、先代に付き添って王都サントゥアリオに来た時以来になる。


 道を覚えているか、或いは都市整備で道が変わっていないか不安だったが、ここはあの時からなにも変わっていない。

 汚れた衣服に身を包んだ浮浪者が道端に座り込み、ボロ切れのような上着を着た子供たちが徘徊する。

 ここの人口のほとんどは貧困層、移民、そして華やかさの陰で落ちぶれていったかつての中流階級の者たち。


 ――心が落ち着く。

 かつての俺は、こういう場所の住人だった。

 アンダーグラウンドの世界に生き、陽の当たらない水面下で息をする。

 肥溜めにも近しいところでナイフの刃を研ぎ、飯に在り付くために人を殺す。


 暗殺者アサシンの中には中流階級や上流階級の暮らしに憧れる者も少なくないが、俺はこんな場末のような貧民街スラムが一番心安らぐ。

 たった1度しか来たことのない場所なのにそう感じてしまう辺り、リリーたちが暮らすような明るい世界に馴染むには、まだ時間がかかるのだろう。


「さて、記憶が正しければこの辺りだったはずだが……あの老人は、まだ生きているだろうか」


 しばらく貧民街スラムの裏路地を進んだ俺は周囲を確認し、緑色のドアが付いた建物を見つける。

 そこにはなんの看板もないが、ドアに小さく〝シガレット・ハウスCigarette House〟と書き殴られている。


 ――よかった、まだあったか。

 俺は躊躇することなく、緑のドアを開けた。


 ――――中に入ると、そこは極めて簡素な煙草屋だった。

 商品棚と呼べるかも怪しい場所に幾つかの煙草や葉巻が置かれ、無造作に値札が置かれている。

 商品の数は少なく、マトモに商売をしているようにはとても見えない。

 そして、そんな煙草屋の奥には――


「……見ねぇ顔だな。ここは子供ガキが来るところじゃねぇよ。身包み剥がされたくなきゃ、とっとと帰んな」


 使い古した煙管キセルから白煙を吹かす、ヨボヨボの老人の姿があった。

 老人の背中はすっかり曲がり、身体は骨と皮ばかりのガリガリで、髪は真っ白。

 だがその眼光は鋭く、並の盗人など裸足で逃げ出しそうなほどの強面だ。

 そんな老人はこちらをギロリと睨むが、俺はツカツカと店の中に踏み入り、


「……〝我ら同胞、黙して語らず。されどまなこに焼き付ける。血の盟約に従い、隣人に刃を振り下ろせ〟」


 合言葉・・・――を使った。

 その瞬間、老人の目の色が変わる。


「おお……随分と懐かしい言葉を聞いたモンだ……。おめぇ、ギルドの人間か」


「もう10年前になるか、俺が先代に連れられてここに来たのは……。あの頃、俺はこのカウンターよりも背が低かった」


「――! まさか、あん時の……! こりゃあ……見違えたな……」


 どうやら、老人の方も俺を覚えていたらしい。

 いや、忘れるはずもないか。

 ここは歳幾ばくもいかない子供の来る場所ではないし、ましてや暗殺者ギルドの先代ギルドマスターが連れてきた子供とあっては、その印象は強烈だったことだろう。

 老人はしばし考えるような素振りを見せた後、


「……ここじゃ立ち話もできそうにねぇな。奥へ入んな」


 老人は座っていた椅子から苦しそうに立ち上がる。

 どうやら足腰が悪いらしい。

 10年前はこうではなかったと思う。


 彼はキャンドルホルダーの蝋燭に火を灯すと、傍に立て掛けていた杖を取り、奥の扉を開けてくれる。

 俺は老人の後に続き、薄暗い店の奥へと進む。


 どうやら奥は地下へと続いているらしく、扉の先は階段になっていた。

 俺と老人は段差を1歩ずつ下りながら、


「そうか……あれから10年になるのか……俺も歳を取っちまうワケだ……」


「確か、先代とは親し気に話していたな。個人的な繋がりでもあったのか?」


「まあな、あの方には随分と世話になったモンよ。王都サントゥアリオで仕事する時にゃ、贔屓ひいきしてもらったりなぁ。あの頃は良かったなんて言いたかないが……」


「その口ぶりだと、今は良くないように聞こえるが」


「時代が変わったのさ。ギルドの首領ボスも新しくなって、暗殺者アサシン共のやり口も変化した。これまでは暗器の調達なり情報屋インフォーマントなりで居場所もあったが、今じゃギルドが組織コミュニティ内で全部揃えちまう。おめぇだってよく知ってるだろうが。老いぼれロートルは、もうお呼びじゃないってよ」


 ――そうこう話している内に俺たちは階段を下り切り、地下の小部屋へと辿り着く。

そこは真っ暗でなにも見えなかったが、老人は部屋の蝋燭にキャンドルホルダーから火を移す。

すると、部屋の中が明るく照らし出された。


 部屋の中にあった物――それは壁一面に飾られた、暗器の数々。

投げナイフ、吹き矢、煙幕玉、鎖帷子、丸薬、毒薬……果ては小型クロスボウや武器内蔵の義腕・義足まである。

 それらが所狭しと置かれ、まさしく暗殺者アサシンのための武器屋と化している。


「これは大したものだ。昔は、ここまでは見せてもらえなかったな」


「そりゃ子供ガキが使うモンじゃねえからな。あの方だって、おめぇに買わせるために連れてきたワケじゃなかろうよ」


 老人は部屋の隅に置かれた木箱に腰掛けると、深くため息を吐く。


「……おめぇ、名前はたしかラクーンって言うんだろ? 少し前に、ギルドから情報が流れてきたよ」


「……なら、全部知っているのか」


「ああ、おおよそはな。おめぇは今やギルドのお尋者だ。その首にゃとんでもねぇ額の賞金がぶら下がってる。ギルドの暗殺者アサシン共は、シャカリキになって探してるはずさ」


「ならどうする? 俺の居場所を伝えれば、ギルドの中で返り咲けるかもしれんぞ」


 少しカマをかけてみるか、そう思って試すように聞くと、老人は首を横に振った。


「おめぇはあの方の忘れ形見だ。恩を仇で返すほど、もうろくしちゃいねぇよ。それに今のギルドマスターは気に入らねぇしな」


「だがそこまで情報が回ってるとなると、アンタの身にも危険が及ぶかもしれん」


「いいんだ、俺のことは。見ての通り、俺はもうすっかり老いぼれた。ここ最近は、引退することばかり考えてたくらいだ。……おめぇが匿ってくれってんなら、潜伏先くらい用意してやる。最後の仕事にゃ丁度いい」


 そこまで話を聞いて、俺は「おや?」と思った。

 どうやら彼は、俺が庇護を求めてここまで来たと思っているらしい。つまり今の俺がどういう立場にいるか、知らないということだ。


 ……都合の悪い情報は不必要に漏らさない――まったく、どこまでもあのギルドマスターらしい。


「なにか勘違いをしているな、俺は助けてもらうために来たんじゃない。ここにある暗器を買うために来たんだ」


「――なに? そりゃ別に売ってやるが……まさかおめぇ、ギルドとるつもりか?」


「だから勘違いをするな。今の俺にとって、殺すべき相手は暗殺者ギルドではない。奴らだって、おいそれとこちらに手出しはできんだろう」


「?? 一体どういう――」


「こういうことだ。――〝神器顕現じんきけんげん〟」


 いつものように、俺は右手を掲げて唱える。

 そして金色の光と共に――神器ダークナイフが現れた。


「――!? おめぇ、そりゃまさか――ッ!」


「わかってもらえたか、ご老人? コレの〝神技しんぎ〟を使えば、店まで尾行されることはありえない。それでも脅迫が来たら、こちらも〝組織に最も都合の悪いやり方で機密情報をバラす〟と伝えろ。あとは、アンタが売る気があるかどうか次第だ」


 俺の【神器じんき】を見た老人は、しばらく口をポカンと開けて唖然としてたが、


「ハ……ハハハ……そうか、そうかい……あの方が育てた暗殺者アサシンが……たまげたよこりゃ……長生きはしてみるモンだなぁ……。そんなの見せられちまったらよぉ……老いぼれの心に火が点いちまうじゃねぇか」


 堪え切れないとばかりに、彼の口から笑いが漏れ出る。


「では――」


「ああ、いいぜ。欲しいモンを言ってみな、なんでも用意してやる。それから、俺は〝ご老人〟じゃねぇ。暗殺者アサシン共は俺を〝イゼルオール〟って呼ぶんだ、覚えときな暗殺者の勇者アサシン・ヒーロー

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