第3章 暗殺者と処刑人

第48話 フォルミナ聖教会

――聖歴1547年/第2の月・下旬レイト

―――時刻・昼前

――――レギウス王国/フォルミナ聖教会・教皇庁/執務室前廊下

――――――モーニングスター使いの勇者『リリー・アルスターラント』


 マスター・ヴァレンタとの模擬戦闘訓練から一夜が明け、私は『フォルミナ聖教会』の教皇庁にやって来ています。

 時刻はまだお昼前で、明るい太陽の光がとても心地良い。

 教皇庁は厳格な雰囲気こそありますがとても静かな場所で、昨日の騒ぎが嘘のよう。


 ……昨日、と言えばとても大変でした……とっぷりと夜が更けるまでコリンさんからお説教されてしまって……。

 確かに今になって考えてみれば、王都サントゥアリオの街中で家を爆破するなんて危険極まりないですよね……怪我人が出なかったから良かったものの……。


 でもまさか、小麦粉とお酒であんなことができるなんて思ってもみませんでした。

 ラクーンは本当に凄いです!

 ……ちょっとだけ、世間一般の常識に疎いのが困りものですけれど……


 さて――そんなラクーンですが、今日は別行動中です。

 アルニトでの戦いから昨日の訓練まで毎日一緒にいたので、隣を歩いてくれないのは少し違和感がありますね。

 べ、別に惚気てるワケじゃないですよ!


 私が教皇庁に1人で行くと伝えると、彼は〝少し買い物をしてくる〟と言ってどこかへ行ってしまいました。

 心配ではありましたが、問題は起こさないと約束してくれたので大丈夫……だと思います……そう信じたいです……


「それにしても、久しぶりに教皇庁に来ましたね、カーくん。なんだか懐かしい気がします」


「きゅん!」


 肩の上のカーくんに話しかけると、彼も可愛らしく同意してくれます。

 ちなみに教皇庁は基本的に動物の持ち込みが禁止なのだけれど、神獣種であり『フォルミナ聖教会』にとっては崇拝対象でもあるカーバンクルは例外的に許可されています。

 とはいえ、絶滅危惧種で世界中から重要保護対象にされているカーバンクルを同伴させる人なんて、たぶん【神器使い】の私だけなのですが……

 そんなことを考えている内に、廊下を歩いていた私はとある一室の前までやって来る。


枢機卿カーディナル――パルミディア枢機卿カーディナル・パルミディア、いらっしゃいますか?」


 コンコン、とドアをノックする。するとすぐに、


「ええ、お入りなさい」


 男性の声が返ってきます。

 高齢な男性の、優しい声が。

 私はゆっくりとドアを開け、部屋の中へと入る。


「失礼致します、パルミディア枢機卿カーディナル・パルミディア。リリー・アルスターラント、参りました」


「待っておりましたよ、シスター・リリー。さあ、遠慮せずお入りなさい」


 大きな机から立ち上がって迎え入れてくれたのは、紺色の聖職者服カーディナル・ブルーを身に纏い、お顔にたくさんのシワを作った、もう70近いお爺様。


 このお方はパルミディア・ドゥーバス枢機卿。

 『フォルミナ聖教会』の中枢である枢機卿団、その中でもたった6人しかいない司教枢機卿のお1人。

 本来、司教枢機卿というのは教皇に次ぐ最高位の階位。

 如何に神々に選ばれた【神器使い】と言えど、ましてや一介の修道女シスターがおいそれとは謁見できない存在――なのですが、私とパルミディア枢機卿は以前から懇意にさせて頂いている間柄なのです。


「お久しぶりです、猊下げいか。ご機嫌麗しゅう……」


「いやいや、堅苦しい挨拶は止しましょう。それに、私のことは以前と同じく司教ビショップと呼んでください。階位など、旧知の中で振りかざすモノではないのですから」


「それでは……司教様、リリーはただいま戻りましたわ」


「ええ、お帰りなさい。少し見ない間に、また美しい女性に成長しましたね」


 パルミディア枢機卿は私を軽く抱き寄せ、控え目にハグをしてくれる。

 そして温かく部屋の中へ迎え入れてくれた。

 私は誘われるまま、部屋の中央にある向かい合ったソファに腰掛ける。彼も反対側に座り、


「『ラオグラフィア』からの報告で、アルニトでの出来事は聞きました。魔族が現れた、と。よくぞ無事で戻られましたね」


「はい……ですが、大勢の人々が犠牲になってしまいました……私は【勇者】で、彼らを守らねばならなかったのに……」


「……多くの民が命を落とすのは、悲しいことです、あってはならないことです。ですが、それを防ぐために個人ができることには限りがある。それは勇者あなたであっても、枢機卿わたしであっても。自らを憎んではなりません」


「それは……わかっているのですが……」


 それでも、本当に救えなかったのだろうか――そう考えてしまう。

 あの時、私は私にできる全力を尽くした。

 過ぎたことを悔やんでも仕方ないのはわかってる。

 亡くなった皆の魂が、神々の下に召されることを祈るしかないことも。

 それに、私だってラクーンがいなければ命を落としていた身だ。

 どうしようもなかった――のかもしれないけれど――


「……話題を少し逸らしましょう。父君・・には、もうお会いになられましたか」


 そう聞かれて、私は首を横に振る。


「いいえ、まだお父様のお見舞いには行っておりません。1人の【勇者】として、魔族との戦いが――〈第3次終末戦争サード・ラグナロク〉が終わるまで私情は胸に秘めると、お父様の前で誓いましたから。それに……王都サントゥアリオに戻ってきた時の皆の態度で、まだ回復していないとわかってしまったので」


 苦笑し、視線を落とす。

 お父様――私のお父様は今、病室のベッドで眠っている。

 もう何ヶ月も、ずっと。

 お父様はパルミディア枢機卿と同じく、司教枢機卿だった。

 貧困や病に苦しむ人々に『フォルミナ聖教会』の教えを説いて周り、どんな人々とも分け隔てなく接して差別せず、自分に入ってきたお金はほとんど全て貧しい人々のために使った。


 『レギウス王国』のあらゆる場所に自らの足で向かう姿は多くの人望を集め、1人娘の私に対しても笑顔を絶やさず、とても優しくしてくれた。

 そんな敬愛すべき人だったけれど――今のお父様に意識はなく、寝たきりの生活を送っている。


 もしお父様の容態が変わったなら、街の人々も、マザー・カタリーナも、私に必ず伝えるはずだ。

 でも、その話題に触れる者はいなかった。

 特にマザー・カタリーナは気を使ったのだと思う。

 彼女には、私の決意を話していたから。


「そう、ですか……。父君は偉大なる聖職者です。私などより、遥かに多くの人々の心を救っておられた。シスターは彼のたった1人の娘なのですから、見舞いくらいは……」


「お気遣いありがとうございます、でも大丈夫ですわ。私もお父様に笑われない娘にならないと」


 そう伝えると、パルミディア枢機卿はとても悲しいお顔をしてくれた。

 彼はとても慈しみが深い心の持ち主だ。

 それに元々彼はお父様と旧知の間柄で、その関係で私とも親しくしてくれていた。

 とても……思う所があるのだろう。


「……シスターがまだ幼い頃は、それはもう泣いてばかりで父君を困らせていたものですが……本当に心が強くなられた。既に、自慢の娘でありましょう。あなたに神々の祝福があらんことを」


「まだまだ至らぬ身ですわ。……ところで司教様、先程話に出たアルニトのことですが……」


 今度は私が話題を切り替えると、パルミディア枢機卿も静かに頷く。


「まだ封鎖区域ではなかったアルニトに魔族が出没した……これは偶然ではありません。2月も下旬になった頃から、大陸各地で魔族の出現が報告されています。北の大国『ガルダリケ大公国』、南の大国『アマネセル南部連邦』、東の大国『ムーダン帝国』……他にも『国家連合ナショナル・ユニオン』に属する全て国が対応に追われている状態です。〈第3次終末戦争サード・ラグナロク〉が本格化するまで、もうひと月もないでしょう。まもなく――世界中が戦場となる」


「また多くの血が流れてしまう……もうアルニトのような悲劇はたくさんです……」


「『フォルミナ聖教会』に庇護や救済を求める声は、日増しに多くなっています。教会も王国聖騎士大隊である〝魔族に与える鉄槌マッレウス・マレフィコールム〟への支援を始め、できる限りのことをしていますが……とても人々の不安を払えているとは言い難い」


 王都サントゥアリオではまだまだ楽観的なムードが漂っているけれど、それは例外中の例外。

 アルニトの収容所で精神に異常をきたした人がいたように、いつ魔族が襲ってくるかわからない地域では暗い世紀末の様相を呈している。

 王都サントゥアリオへ避難してくる人も急増するはずだ。事態はずっと深刻なのだ。


「……ですが、暗い話ばかりではありません。希望を持てるお話もありますよ」


 私に気を遣ってくれたのか、再びパルミディア枢機卿が話を変える。


「希望、ですか?」


「ええ、ほんの数日前〝ラオグラフィア評議会〟から報告があったのです。――――遂に、あの【七大勇者セブンス・ヒーローズ】が全員揃った、と」


 ――その言葉を聞いて、私の中にあった暗い気持ちが一瞬で消える。


「! 【七大勇者セブンス・ヒーローズ】というのは――!」


「そうです、過去三度の〈終末戦争ラグナロク〉において〝終末の魔王〟を打ち倒し、魔族との戦いを終焉へと導いてきた〝7つの【神器】〟に選ばれた【勇者】たち……。【聖剣セイクリッド・ソード使いの勇者】を始めとした7人の【神器使い】が、遂に集まったのですよ」


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