第37話 私のお家②

 リリーの言葉が俺を止めた。

 方向転換して身体を90度横に向け、進行方向を見えるようにする。

 すると――そこには、こじんまりとした小さな教会があった。


「ここが……」


「はい――私のお家です」


 リリーは言葉通り家に帰るような軽い足取りで、教会の敷地へと入っていく。

 そして教会の正面扉を開き、


「マザー、いらっしゃいますか? マザー・カタリーナ?」


 聖堂の中へと入っていく。

 すると――祭壇に向かって祈りを捧げる1人の修道女シスターの姿があった。


「……ええ、おりますよ。お帰りなさい、シスター・リリー」


 修道女シスターは祈りを終え、こちらへ振り向く。

 ――年齢はおそらく40代後半。

 ブラウン色の髪と薄い灰色の瞳、それと色白の肌を持ち、容姿が整っていることもあってそれなりに若々しく見える。

 身体的特徴から見るに、おそらくリリーと血縁関係はない。

 彼女の母親ではないだろう。


「ただいま戻りました。お身体の具合は如何ですか?」


「ここ最近は、容体が少し落ち着いてきたかしら。それとあなたが留守の間、教会も変わりありませんでしたよ。ただ、私も含め皆心配していました」


「ふふ、ついさっきその洗礼・・を受けてきた所です。色々と多めに頂いてきましたから、教会の皆で分けてください」


 リリーは手にしていた紙袋を近くの椅子の上に置く。

 それを見て、俺も同じように大量の紙袋をゆっくりと置いた。

 やれやれ、俺もようやくこのクソ重い紙袋の束から解放された……


「あらあら、いつもありがとうね、本当に助かります」


「いえ、お気になさらず。――ところで、お父様は……」


 リリーが尋ねると修道女シスターは表情から笑みを消し、首を左右に振る。


「……そう、ですか。まだ夢を見ておいでなのですね」


「ええ……けれど、どうか気を落とさずに。あのお方には神々の祝福がありますもの。きっと目を覚まされますわ」


「? リリーの父親も、具合が悪いのか?」


 俺はリリーに聞いてみるが、彼女はどこか焦ったように両手を振るう。


「い、いえ! 少し床に臥せっているだけですから……」


「そ、そうか……?」


 ――なんだろう?

 何故か微妙にはぐらかされた気もするが……

 などと思っていると、修道女シスターが物珍しそうに俺へと目を向けてくる。


「シスター・リリー、そちらの男の子は……」


「彼はラクーン。神々から〝ダークナイフ〟を授けられた【神器使い】です。アルニトでは、彼に命を救われました」


「まあまあ、シスター・リリーと同じ【勇者】様なのね」


 もう何度目かわからない、リリーによる俺の紹介。

 カタリーナという女性は穏やかな顔で近づいてくると、静かにお辞儀をする。


「初めまして、偉大なる【勇者】様。私はカタリーナ、カタリーナ・ルターと申します。シスター・リリーが留守の間、このドミナ教会の管理を任されている者ですわ。彼の地では彼女を助けて頂き、感謝致します」


 丁寧な物腰で感謝を述べるカタリーナ。

 確かに彼女は若く見えるが――どこか儚さというか、弱っている印象を受ける。

 さっきの会話から察するに、なにかの病に侵されているのだろう。

 言いたくはないが……そういう人間は、もうあまり長くない。


「いや、俺はそんな大したことは……」


「わかりますよ、あなたは強い方。……でも、少し〝陰〟をお持ちかしら」


「――!」


 ――瞬間、俺の警戒心は瞬間沸騰の如く高まる。


 …………いや、落ち着け。国や組織ラオグラフィアには俺の経歴がバレているのかもしれんが、それ以外の人間が俺の過去を知っていることはまずない。

 もし知っているとすれば、それは暗殺者ギルドに関わる人間だけ――だが、この女には俺と同じ匂い・・・・を感じない。

 むしろここでダークナイフを抜いては、逆にこちらの正体を露呈するだけ、か。


「あら、ごめんなさい。警戒させるつもりはなかったの。ただ……ほんの少しだけ、あなたからは夫と同じモノを感じて」


「夫……だと?」


「ええ、今はもう亡くなってしまったのだけれど。心に優しさと強さを持って、だけど苦悩と大罪を背負って生きてしまう。あなたも、そういう人じゃないかしら」


「……知ったことを言う。俺とアンタは、たった今会ったばかりだろう」


「ふふ、歳をとって天国が近づくとね、色々と人のことが見えてくるのですよ」


 カタリーナはこちらに背を向けて、祭壇のステンドグラスを見上げる。

 リリーはそんな彼女に僅かに近づき、


「マザー・カタリーナ、あなたの旦那様は……」


「ええ、それはもう熱心な宗教家でね。『フォルミナ聖教会』から腐敗をなくすんだって民衆に触れ回って、一時は反乱運動にまで発展してしまった。望まずして多くの血が流れ、あの人は罪と後悔に苛まれて……結局、夫は『フォルミナ聖教会』を――いえ、世の中を変えることはできなかった。まだ、あなたたちが生まれる前のお話ですよ」


 罪と後悔――確かに、俺の中にもあるモノだ。

 暗殺者アサシンとして大勢の人間を殺したことを、俺は後悔している。

 そうしなければ生きられなかったとしても、結局今になって残るのは罪の意識だけ。

 暗殺者アサシンと宗教家ではなにもかも境遇が違うが――人の血を流して〝陰〟を背負う、という点だけは同じなのかもしれない。

 カタリーナは言葉を続け、


「新しき【勇者】様……あなた様も世の中を――〝世界を救いたい〟とお考えですか?」


 俺に尋ねる。

 世界、か……そんなもの、答えは1つだ。


「いや――俺は世界の救済などに興味はない。この世界が滅びようが魔族に支配されようが、知ったことじゃない。そもそも、俺なんぞが世界を救えるとは思えん。【神器】があろうが神の加護があろうが、個人の力には所詮限度がある」


 そう、俺は所詮暗殺者アサシン崩れだ。

 人を殺すしか能がない、薄汚い野良犬だ。


 そんな奴が、世界など救えるワケがない。

 そんな奴に、世界は救われてはならない。

 ただ――それでも――


「ただ……それでも誰か1人くらいなら守れる、と思う。こんな俺でも、大事な人のために戦うことはできるんだ。俺は、そのたった1人に笑顔でいてほしい。それだけが――俺の戦う理由だ」


 そうだ――俺みたいな、こんな暗殺者アサシン崩れでも、きっと誰かを守ることはできるはずだ。


 その誰かを守って、結果的には命を落とすかもしれない。

 でも、俺はそれでいい。

 だからそれまでは、彼女・・と一緒にいたい。

 願いなんて、それだけなのだ。

 俺の答えを聞いたカタリーナはクスっと笑って、こちらに振り向く。


「そうですか……大局を顧みず、大成を望まず……如何に神々のご加護があれど、人の身にはそれくらいが丁度いいのかもしれませんね。あなた様なら……夫が乗り越えられなかった苦悩を、越えていけるのかもしれません」


「そうか、よくはわからんが」


「ふふ、それで良いのです。ところで――あなた様が守りたい人とは、一体どなたでしょう?」


「決まってる、リリーだ」


 即答で言い切る。途端、顔を真っ赤にするリリー。


「ふぇ!? ちょ、ラ、ラクーン!?」


「〝自分のために生きてほしい〟と言ったのはリリーだろう。なにもおかしいことは言っていないが」


「そ、それはそうですけど、そんな堂々と……っ!」


「あら――あらあらあらあら、あらまあ」


 頬に手を当て、ニヤニヤと笑い始めるカタリーナ。


「それはそれは、シスター・リリーが殿方をお連れするなんて珍しいとは思いましたが……それでは、お祝いをしなくてはなりませんね」


「ちがっ……! 彼とはまだ、そういうのでは――!」


「あらあら、〝まだ〟なんですね。それは楽しみです。ああハレルヤ、今日は良い日だわ。食材もたくさん頂いたことだし、今日は皆でパーティーにしましょう。他のシスターも呼んできます」


「あ……あぁ~~~……」


「きゅん」


 スタスタスタと奥の部屋へ向かうカタリーナの背中に、リリーはへなへなと腰砕けになりながら手を伸ばす。

 残念ながら、カタリーナが待ってくれる様子はない。

 そんな状況を見て〝ドンマイ〟と言うかのように、金色のモフモフがポンっと小さな前足でリリーの肩を叩く。


 それにしても、〝ぱーてぃー〟とはなんだろう?

 よくわからないが、リリーの手料理が食べられないのはそれはそれで残念だ。

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