第36話 私のお家①

 結局あの後、書類には〝ラクーン・アルスターラント〟とサインして【神器使い】の登録手続きを済ませた俺は、今現在再びリリーと共に王都サントゥアリオの通りを歩いている。


 コリンからは「ラクーン様には~他にも説明することがたくさんあるので~また明日お越しくださいですよ~。それからリリー様にも渡す物があるので~一緒にいらしてくださいね~」と言われて、一旦追い出されてしまった。


 登録の申請や認識票クラス・タグの発行などに関しても最低で一晩はかかるらしく、現状では特にできることもないのだとか。

 居住部屋に関しては宿舎の鍵を貰えたので、寝泊まりの場所には困らなそうだが。


 一応チャットのいる『神器記録管理局エジレック』とかいう部署にも顔出してみたのだが、アルニトの報告やコリンから丸投げされた仕事などで案内役チャットが手一杯になってしまっていたため、こちらも出直そうということになった。


――まあ正直、【勇者】だからといきなり女王と面会して激励を受ける、みたいな面倒くさい儀式をさせられなくてホッとした。

 本来なら女王への謁見を許されるらしいのだが、今は『国家連合ナショナル・ユニオン』の代表会議で他国へ行っているため不在なのだそうだ。

 お目見えするのはまた今度になるらしいが、そういうのは面倒くさいので永遠に機会は訪れなくていいと思う。


 そんなこんなで――俺とリリーは、2人で街の中をぶらついている。

 時刻はまだ夕方で人通りも多く、夕食の買い出しから帰る主婦たちの姿や、酒場に繰り出す男たちで賑わいを見せている。


「ふふ、久しぶりにゆっくりできそうですね。ラクーンは、この後のご予定はあるのですか?」


「いや、特に。そもそも無一文の状態では、なにもできんだろう」


 本音を言えば、暗器の類を調達したい。

 運が良ければ昔先代が使っていた闇市ブラック・マーケットが残っているだろうし、ないならないで調達方法を考える。

 ただそれも、金があるのが前提の話だ。

 資金を工面してくれるのなら使ってやろうと思ったが、時間がかかると言われては手の出しようがない。

 つまり、今の俺は完全に時間を持て余している。

 やることと言えば、リリーについていくことくらいだろう。


「そういうリリーは、なにかあるのか?」


「本当は『フォルミナ聖教会』の教皇庁に赴かないといけないのですが、急を要するほどではありませんから。あとは教会のマザー・カタリーナにご挨拶して……あっ、夕飯の食材を買い揃えなければいけませんね!」


 とても楽しそうに予定を語るリリー。こうして見ると、本当にどこにでもいる少女のようだ。

 リリーは隣を歩きながら。俺の顔を覗き込んでくる。


「ラクーンは、夕食をどうされるおつもりなのですか?」


「考えてない。別に一晩くらい食わなくても平気だしな」


「まあ! ダメですよそんなの! ラクーンは育ち盛りなんですから、しっかり食べないと! そうですよねカーくん♪」


「きゅーん!」


 いつものように彼女の肩に乗る金色のモフモフが〝その通り!〟とばかりに鳴き声を上げる。

 するとリリーはトタタっと俺の前に回り込み、


「では、私が夕食を作って差し上げます! 一緒に食べましょう!」


「い、いやしかし……」


「決定です! ではベロウ・ポート市場に向かいましょう♪」


 リリーはぐっと俺の腕を掴むと、そのまま小走りを始める。

 俺はそんな彼女に引っ張られるまま、足を走らせた。


 人混みを避け、誘われるままに走る。

 目の前には、俺にとって大事な人がいる。

 これは――この感覚は、なんだろう。

 とても不思議で、ふわふわとした気持ちだ。

 こんなのは感じたことがない。

 高揚感、とでも言うのだろうか。

 心のどこかで〝暖かい〟と感じるのだ。


 俺はその正体もわからぬまま、独特な心地良さに身を任せていく。

 そうしてしばらく走ると、多種多様な食材が並ぶ市場に辿り着いた。

 入り口の看板アーチに書かれた文字を見るに〝ベロウ・ポート〟という名前の市場らしい。


 そこは道の左右に大小様々な露店が並び、果物、野菜、肉、魚――食材と呼べる物はなんでも置いてある。

 他にもブレッドパン専門店、乳製品チーズ専門店、香辛料スパイス専門店、調味料専門店、軽食屋……果ては煙草タバコ屋や服屋、他にも様々な生活雑貨がぎっしりと並べられ、色とりどりのカオスな空間と化している。

 リリーはそんな空間の中の、とある青果店の前で立ち止まった。


「ベンおじさん、こんばんは」


「お? おお、リリーお嬢ちゃんじゃねぇかい! 久しぶりだねぇ、元気してたかい」


「勿論です、この通りピンピンですから!」


 リリーと青果店の店主は知り合いらしく、親し気に挨拶を交わし合う。

 店主は少しだけ顎髭を生やした、体格のいい中年男性だ。


「しっかし、【勇者】のお勤めご苦労様だねぇ。噂で聞いたぜ? 辺境のなんとかって街に魔族が出て、えらい目にあったってよ。俺ぁ心配で心配で……」


「ふふ、相変わらず心配性ですね。大丈夫、私には神々のご加護がありますから。ベンおじさんも、お身体に気を付けてください。お酒ばっかり飲んでちゃダメですよ!」


「おっと、ハハハ、女房みたいなこと言われちまった。それで、今日はなにを買ってってくれるんだい?」


「ジャガイモとキャベツとオニオン、それとひよこ豆と……あとはブロッコリーとアスパラガスをください。教会にも差し入れるので、少し多めに」


「よしきた! ちょっと待ってな」


 店主は威勢よく返事すると、いそいそと野菜を紙袋に入れ始める。

 だが途中でチラリと俺の方を見ると、


「そういや、今日は見たことない顔を連れてるな。どなた様だい?」


「彼はラクーンといいます。新しい【神器使い】で、アルニトの街で私を助けてくれた恩人なんですよ」


「お! まさか【勇者】様たぁ、こいつぁ失礼しやした! ご無礼、勘弁ください!」


「いや、はあ……」


 店主の威勢に押され、気の抜けた返事しかできない俺。

 今までこういうやりとりをあまりしてこなかったから、どうしていいかわからん。


 などと思っている内に、俺たちの目の前に大きな紙袋が突き出される。

 野菜がたらふく詰まった、パンパンな紙袋だ。


「新たな【勇者】様の誕生を祝って、大目にサービスしときましたぜ。持ってってくんな」


「ありがとうございます。ラクーン、少しの間持っていて頂けますか?」


「え、ああ、構わんが……」


 俺は店主から紙袋を受け取る。

 【神器使い】の身体能力があるから軽々と持てるが、リリーくらい華奢な少女が持つには厳しいくらい野菜が入ってるぞ、これ。

 いやまあ彼女も【神器使い】なのだが。


「えっと、お金お金……」


「ちょっと待ちな、リリーお嬢ちゃん。コイツもサービスだ」


 店主は財布を取り出そうとするリリーを止めると、もう一つ紙袋を渡してくる。

 頼んでいないはずの、たくさんの果物が入った紙袋を。


「え? でも――」


「いいからいいから、受け取ってくれよ。……魔族との戦いで俺たちにできることはなんもねーけどよ、皆がリリーお嬢ちゃんの心配をしてるのは本当なんだ。せめてこれくらいのことはさせてもらわねーと、それこそバチが当たっちまわぁ。だからこれ食って、また元気な姿を見せてくれよ。そしたら俺たちも安心して……安心……うぅ、うおぉーんっ!」


 な、なんだ?

 突然泣き出したぞ、この店主……?


「やっぱり俺は反対なんだ! リリーお嬢ちゃんみたいに良い子が、魔族と戦いに行くなんてぇ! でも【神器】が選んだってことは世界の救世主で……! 俺ぁやるせねぇよぉ! もう俺が魔族をぶちのめしてやるよぉ、ちくしょーめい!」


「べ、ベンおじさん、落ち着いて……」


 大量の涙を噴出しながら、わんわんと泣く店主。

 どうやら、本当に心の底からリリーを心配していたらしい。

 うむ、この人物は信用できそうだ。


 ――なんとか店主を泣き止ませたリリーは「もうタダで持ってってくれぇ!」と言い出した彼に無理矢理代金を手渡し、また必ず来るからと慰めてその場を後にした。

 それからもパン屋や肉屋など色々な店に回ったが、どこの店主も似たような反応でリリーを迎え、大量のサービスを付けてくれた。


 ……リリーは以前幸運ラックが高く保たれる〝加護スキル〟を持っていると言ったが、どうやらそれは関係ない。

 これは彼女の人間性によりもたらされるモノだ。


 この大都市の住人に、どれだけ彼女が愛されているのか、よくわかった。

 やはり彼女は俺なんかとは違う、と再認識したと同時に、皆に笑顔を見せる彼女に言い表せない感情を抱いたのも、事実だった。

 ……そんなこんなで、市場をひと通り回って少し人通りの少ない道を歩く。


「ご、ごめんなさいね、ラクーン。思ったより荷物が多くなっちゃって……」


「かまわん。が、重い……というか、前が見えない……」


「きゅきゅーん!」


 大量の荷物食材を両手に抱え、手提げ袋を腕に通して垂らし、それでも持ちきれない分をリリーに持ってもらっている。

 もはや積み木が如く紙袋が身体の前に積み上げられているため、全然前が見えない。

 オマケに身体能力が上がっていても、とてつもなく重い。

 この量はヤバいだろう、普通に考えて。

 しまいには金色のモフモフに笑われる始末だ。


「私は王都ここで生まれ育ったので、お店の人なんかは大概知り合いなんです。だから皆に心配されちゃって……」


「それは良いことだ。彼らは皆、本気でリリーを慕って、心配する目をしていた。信用できる人物は多いに越したことはない」


「それは勿論、わかるんですけど……やっぱり私が【勇者】として魔族と戦うのは、皆納得できないみたいなんです。戦いに向いてないって思われてるんでしょうか……」


 しゅんとするリリー。

 ……確かに戦いに向いているか否かと問われれば、彼女は向いていないだろう。

 多くの血が流れ、いつ死ぬかもわからない戦地に行ってほしくないという彼らの気持ちはもっともだ。

 しかし、


「それは違うぞ、リリー。彼らはリリーが戦うのに反対ではあっても、止めはしていない。それはリリーの勇気と決意が、彼らにもよく伝わっているからだ。余計なことを考える必要はない」


「そう、でしょうか……そっか……ちょっと、嬉しいです」


 リリーにいつもの笑顔が戻る。やはり彼女には明るい表情がよく似合う。

 そうして道を歩いていると、


「――ラクーン、着きましたよ。ここがドミナ教会です」

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