第32話 サントゥアリオ①

 王都サントゥアリオに到着した俺たち一行は、正門を潜ると都入りの手続きを済ませ、大通りを歩いていた。

 リリーやチャットはともかく、経歴が経歴だけに俺は都入りの時点で足止めを食うかと思っていたが――俺自身が【神器使い】だということを証明すると、一切の追求なく通してくれた。

 証明と言っても、ただ【神器じんき】を出して見せただけなのだが。


 【神器使い】は1人1人が治外法権であり特別待遇だという話は聞いていたが、もはや顔パスならぬ神器パス状態である。

 さらに随伴してくれた王国軍の連隊がかさばる荷物を預かって、後で届けてくれるという。

 完全な要人VIP扱いだ。


 そうして身軽になり、今現在は王都の中を歩いているのだが――凄い人の多さだ。途方もなく。

 大通りは老若男女でごった返し、活気と生気に溢れている。

 アルニトなどとは比べ物にならない。

 人の多さと建物の数だけでも、文字通り桁が2つは違うのではないか。


「いや~、この人の波こそ王都って感じでスよねぇ。帰ってきたって感じっス!」


「ふふ、そうね。私はアルニトみたいに静かな所も好きでしたけど。ラクーンは王都に来るのは初めてでしょうか?」


「いや、1度だけ来たことがある。もうかなり昔の話だが。それにしても驚いた……」


「人の多さにですか? 王都サントゥアリオは世界有数の大都市ですからね。地方から来られた方は皆驚かれます」


「いや、そこではない。なんというか……どうしてこんなに活気があるんだ? 今はもう魔族との戦いも始まっていて、世界が滅亡の危機に瀕しているんだろう?」


 俺が真っ先に違和感を覚えたのがそこ・・だ。

 道行く人々に、まるで危機感がない。


 元暗殺者アサシンとしての癖で、つい周囲の話し声に聞き耳を立ててしまう。

 運が良ければ使える情報を得られることもあるし、逆に自らに尾行や追手が付いてもいち早く気付けるからだ。

 周囲に意識を張り巡らせ、情報を整理し、武器とする。

 こと都市部となれば、情報量が明暗をわけることが多い。

 だからすれ違う人々や通り沿いの商店などに、いつも通り聞き耳を立てていたのだが――誰も彼も、ほとんど魔族の話をしていないのだ。

 もし話していたとしても、冗談めかして言うくらい。


 もしかしたら、今夜にでも王都ここに魔族が攻め入ってくるかもしれない――誰も、そんな風に考えていないのだ。

 例えばアルニトなら、もっと街に悲壮感が漂っていた。

 不思議――を通り越して、不気味ですらある。


「ああ……そりゃ簡単でスよ。これまで王都サントゥアリオは、一度も魔族に侵略されたことがないからでス」


「そう、魔族が初めて『地上グラン・ワールド』に出現した時から、たったの一度も。だから王都に住む人々には、逆に安心感があるのでしょう。〝王都サントゥアリオは絶対に安全だ。だから自分たちに危害が及ぶことはない〟……皆がそう思っているのでしょうね。それに魔族が現れ始めたと言っても、物資の流通はまだまだ余裕がありますから……」


「なるほど、王都の奴らにとって〈終末戦争ラグナロク〉は対岸の火事ってことか」


 それは納得だ。

 三度も魔族との戦争を経て、一度も立ち入らせなかった、まさに聖域。

 そこに住めること以上の安心感はないだろう。


 確かに王都サントゥアリオは全方位を城壁に守られた城塞都市で、城壁の高さ・厚さだけでもアルニトの比ではない。

 その周りもおよそ30ヤード28mの水堀が作られ、橋を使わなければ城内へ入ることはまず不可能だ。

 王国軍主戦力も駐屯しているだろうし――なにより、ここには俺やリリー以外の【神器使い】もいるのだろう。

 あらゆる意味で〝世界で一番安全な場所〟と言えるはずだ。


 ただ……元暗殺者アサシンの感覚で言えば、そういう場所こそ殺りやすいのだが……

 そんなことを思いながら歩いていると、


「あ! リリーお姉ちゃん!」


 そんな子供の声が、騒がしい通りに響いた。


「ホントだ! リリー様だ!」


「リリーお姉ちゃーん!」


 続けて、3人の子供がこちらに駆け寄ってくる。

 男の子2人に女の子が1人。そのうちの女の子が、リリーの足に抱き着いた。


「リリーお姉ちゃん、お帰りなさい!」


「まあ、ライジェル! ただいま、元気にしていましたか?」


「うん、もちろん! カーくんもお帰り~!」


「きゅ~ん♪」


 女の子はニコニコとした笑顔でリリーや金色のモフモフを見上げ、元気よく返事する。続いて男の子2人が近寄って、


「お帰り、リリー様!」


「お帰りー!」


「ハンスとボンも、変わりないようですね。神々のご加護に感謝しないと」


 そう言って、男の子2人の頭を〝よしよし〟と優しく撫でるリリー。

 どうやら彼女たちは見知った間柄らしい。


「私がいない間に、教会になにか変わったことはありました? 皆元気でやっています?」


「あったりまえじゃん! でもさでもさ、いきなり教会からいなくなっちゃって、ビックリしたんだよ! 心配したんだから!」


「あ、あはは……それは色々大人の事情がありまして……」


 彼女たちがそんな会話をしていると、今度は町娘や主婦などもリリーを見つけて近づいてきた。


「リリー様、お戻りになられたのですね!」


「辺境で魔族と戦われたと聞きました! お怪我はありませんか!?」


「おお……また貴方様とお会いできることを、神々に感謝致します……!」


 すぐに住民たちに囲まれてしまうリリー。

 彼女はそんな彼ら1人1人に声をかけ、


「ええ、ええ。私は大丈夫です。皆が健やかであることが、私の支えになるのですから。さあ、祈りを捧げましょう。皆に神々の祝福があらんことを……」


 リリーは胸の前で指を組み、いつものように祈り始める。それに合わせて、彼女を囲う住民たちも静かに祈り始める。

 いつも間にか、井戸端会議ならぬ井戸端祈祷会が始まってしまった。


「かぁ~、相変わらずの人望っスねぇ、リリー様は。羨ましいと思いま――……って、なにしてるんスか?」


「……周囲を警戒している。こうしている間にも、何者かがこちらを狙っている可能性があるからな」


 俺はリリーたちに対して完全に背を向け、辺りに目を凝らしていた。

 人通りの多い場所で立ち止まり、あろうことか複数名で人溜まりを作るなど、悪目立ちが過ぎる。


 そもそも俺は暗殺者ギルドから追われる身だ。

 彼らなら、俺が王都サントゥアリオに入ったという情報を得ている可能性が高い。

 となれば、今この瞬間にも追手の暗殺者アサシンがこちらを観察しているはずだ。

 俺自身に危険が迫るなら、別に構わない。

 だがもしリリーに危害が及ぶようであるなら――決して、断固として容赦しない。

 俺は彼女と共に行くと決めたのだ。

 建物が複雑に入り組む都心部は、暗殺者アサシンにとって絶好の狩場だ。

 さて、どこから覗き見ている……?

 もし――俺が殺る側なら――――


「ラクーン、ラクーン? どうしたのですか?」


 ひょい、っと突然俺の目の前に現れるリリー。

 俺は驚いて、僅かに身体を仰け反らせた。


「い、いや、周囲の警戒を……」


「あ、わかりました。ああやって人に囲まれるのは自分には無縁だ――とか、自分には眩し過ぎる――とか思ってたんじゃないですか? ダメですよ、そういうのに早く馴染まないと。ラクーンはもう【勇者】なんですから」


 〝さあ、ほら〟と、リリーはぐいぐいと俺の腕を引っ張る。

 なんだか盛大に勘違いをされているが、誤解を解く暇もなく――


「皆、彼が新しい【勇者】ですよ。アルニトの戦いで、私は彼に命を救われたのです」


 そう言って、集まっていた者たちの前に俺を突き出す。


「「「――」」」


 奇異な物を見る目が、俺に集まる。

 ――最悪だ。

 この感覚は堪らない。

 暗殺者アサシンが大衆の目に留まり、大勢に顔を覚えられるなど、ほとんど〝死ね〟と言われるのと同義だ。

 不快と嫌悪感で胸がつかえるほどだ。


 嫌だ――――怖い――――

 彼らの目が――――視線が――――


「あ……いや、その……俺は……」


 背中を冷や汗が伝い、すぐこの場から逃げ出そうとした――その時、


「おお、あなた様が! あなた様がリリー様を助けてくださったのですね!」


「感謝致します、新たな【勇者】様! あなたは救世主です!」


「神々に感謝を! 【勇者】に栄光を!」


 集まっていた全員が俺の手を取り、一様に感謝の言葉を述べていく。

 中には目尻に涙を浮かべる者もいる始末だ。

 彼らの行為に俺は呆気に取られ、少しの間茫然としてしまった。


「ふふ……わかりますか、ラクーン。あなたはもう、昔のあなたじゃない」


「リリー……これは……?」


「皆があなたを照らしてくれます。もう日陰にいる必要はないのです。……どうですか、多くの人々から感謝される気持ちは?」


 感謝――?

 思えば、見知らぬ誰かに感謝されたのは初めてだ。

 これまでの人生で誰かに感謝されたことなんて、何度あっただろう。


 ああ……そうか、これは――不思議な心地だな。

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