第29話 戦い終わって②

――聖歴1547年/第2の月・上旬アーリー

―――時刻・朝

――――レギウス王国/辺境の街アルニト/中央交差点広場

――――――ダークナイフ使いの勇者『ラクーン』


 ……明るい。

 まず初めに感じたのはそれだった。

 瞼を閉じていてもわかる、太陽の明るさと暖かさ。

 これまで気にしたことなんて一度もなかったけれど、今日だけはこの光を待ち侘びていたような気がする。


 ……柔らかい。

 次に感じたのはそれだ。

 この感触はなんだ?

 太陽の光とは異なる温もりがあり、包まれるような優しさがある。

 そんな包容力を、まるで枕にしているような……


「ん……」


 俺は少しだけ瞼を開く。

 初めは焦点が合わなかったが――視線の先に女性の顔があることに、すぐ気付いた。


「……おはようございます、ラクーン。気分は如何ですか?」


 まるで聖母のような――いや、聖母そのものと言ってもいい朗らかな笑みを浮かべた修道女シスターの顔が、そこにはあった。


「リリー……また会えたな……」


「ええ、また会えて良かった。神々に感謝しなければなりませんね」


 煤汚れたリリーはそう言って、俺の頭を優しく撫でる。

 どうやら俺の頭は彼女に太腿に乗っているらしく、膝枕をされている状態らしい。

 背中に伝わる感触は石畳のそれとは違うから、おそらく長椅子ベンチにでも横たわっているのだろう。


「俺は、生きているのか……どうして……」


「【神器】のお陰ですよ。【神器使い】は特殊な力や身体強化のみならず、並外れた治癒能力を獲得するんです。とても酷い状態でしたが、既に怪我は治り始めていますよ。まさしく〝神々の奇跡〟――ですね」


 ああ……そういえばリリーの神器モーニングスターで殴り飛ばされた時も、割とすぐに痛みが引いたっけ。

 あれほど瀕死の状態でも生き延びるとは……まさに神の力は偉大、か。

 こればかりは、神の恩恵に感謝しないといけないな。


「ところで魔族は……街は、どうなって……ぐうっ!」


「あっ、まだ動こうとしちゃダメですよ! 治りかけとは言っても、完治には程遠いんですから! あと数日は安静にしてなきゃ……」


 無理矢理動こうとした俺を、リリーは自身の膝の上に押し戻す。

 確かにファット・アーマーと戦っていた時と比べれば痛みも気分の悪さも減少しているが、それでも身体を起こそうとするだけで激痛が襲う。

 彼女の言う通り、これはしばらく身動きがとれそうもないな。

 はぁ、とため息を漏らす俺を見たリリーは、


「もう……ほら、私の膝の上からでも、街の様子は見えますよ」


 そう言って顔を上げる彼女に釣られ、俺も頭を傾けて遠くを見る。すると、


「包帯が必要な人はいるか!? 怪我人がいるなら手を貸すぞ!」


「北の方でまだ火が出てる! 鎮火を急げ!」


「お、俺は怪我人だが傷は浅い。できることがあるなら手伝わせてくれ!」


 そこにあったのは、生き残ったアルニトの住民たちが互いに手を貸し合い、助け合っている景色だった。

 骨の化物スケルトンの姿も肥えた化物ファット・アーマーの姿もなく、朝日の下で救助活動や消火活動を行う人々の生気溢れる姿だけがあったのだ。

 リリーはそんな彼らを愛おしそうに見つめ、


「わかりますか、ラクーン……あなたが守ったんですよ、この街の人々を」


「俺……が……?」


「そうです、あなたは初めて、誰かのために戦ったんです。だから、こうして生きている人々がいる。それに、私も生き残ることができました」


 リリーはもう一度こちらを向いて、俺の前髪を優しく指で払う。

 俺の目が、顔が、よく見えるように。


「……もう一度、改めてお礼を言います。ありがとう、あなたは――あなたこそが、真の【勇者】です。皆にとって、そして私にとっての、本当の〝勇者様〟……」


 太陽ですら霞んで見えるほど暖かく、そして朗らかな彼女の微笑。

 そんな眩しすぎる光景を、俺はまっすぐ見つめていられなかった。


「……違う、俺は【勇者】なんかじゃない。俺はこの街を助けようとなんてしちゃいなかった。俺はただ、〝答え〟が知りたかったんだ。俺の生きる意味が、生きていてもいい理由が欲しかった。だから……リリーに会うためだけに、俺は戦ったんだ」


「私……に……?」


 そうだ――結局、俺は自分のために戦った。

 己の目的のためだけに。

 戦いの最中で、俺は街のことなんて考えていなかった。

 ファット・アーマーに喰われた住民だって見殺しにした。俺自身は、誰も救えなかった。

 やっぱり、俺が誰かのために暴力を振るうなんて無理なのだ。

 どうせ俺は――


「そうですか……ではラクーンは、私のために・・・・・戦ってくれたのですね」

「なに……?」


 その発言にドキリとして、俺は彼女の顔を見直す。

 すると彼女は〝あなたがなにを考えてるかなどお見通しです〟と言わんがばかりの見透かした目をしていた。


「そういうことになりません? ラクーンは私に会うために私を助けて、私を生かすために街を守ってくれた……ほら、結果的には自分以外のために戦えている。こう言えば、ひねくれ者・・・・・のあなたでも納得できるでしょう?」


「い、いや、それは……」


「いーえ、納得してもらいます。あなたは私とアルニトのために戦ったんです。誇ってください。それから……」


「……それから?」


 リリーは少し間を置いて――もう一度、言葉を発する。


「――〝答え〟を教えてあげます。ラクーン、あなたに〝生きる目的〟がないというのなら……これからは、私のために・・・・・生きてはくれませんか?」


「リリーの……ために……?」


「そうです。世界のためでも、見知らぬ誰かのためでもありません。私のために……私には、あなたが必要です。不器用で寂しがり屋で、自分の中の殻に閉じこもりがちで……でも本当は優しさと強い心を持っている、そんなあなたが必要なのです」


「! だ、だがそれじゃリリーは重荷を抱え込むことになる。アンタは修道女シスターで、俺は暗殺者アサシンで……それに俺は恨みを買い過ぎてる。俺なんかと一緒にいたら、リリーまで危険な目に合う」


「知りません。【神器使い】になった時から、危険なんて覚悟しています。だからもしラクーンが危ない目に遭ったら、私が助けてあげます。それに、もし私が危険な状況になっても、またラクーンが助けてくれるって信じてますから」


「う……そ、そもそも俺は暗殺者アサシンとして育てられてきたから、リリーみたいに普通の生き方なんてできない。だいたい、俺はリリーが思ってるような人間じゃ――」


「私は人の心がわかるって、前にも言いませんでしたっけ? 誤魔化せませんよ。それに普通の生き方を知らないなら、私があなたと一緒に暮らして、普通の生活を教えます。文句あります?」


「うぅ……」


 どうしよう、言い返せない。

 初対面の時から押しが強い娘だと思ってはいたが、これは一度言い出したら聞かないタイプだ。相当な頑固者である。


 なんて説き伏せたら………………いや、違う。

 そうじゃない。

 言い返せないんじゃないんだ。

 言い返したくないんだ。


 だって――――彼女の言葉は、きっと、俺が本当に聞きたかったモノだから。


「だから……どうか生きてください。生きて、私のために戦ってください。私があなたの罪を背負いましょう。私があなたの懺悔を聞きましょう。他の誰もが赦さなくとも、私があなたを赦しましょう。ラクーンの人生は、ここからもう一度始まるのです。私と共に……」


「リリーと、一緒に……?」


 それは――それはきっと、地獄への旅路だ。

 彼女を光の世界から、仄暗い闇の世界へ引きずり込む道のりだ。

 彼女は俺なんかとは違う。

 天使のような笑顔で他者と接し、皆を幸せにしてくれる。

 俺とはなにもかもが正反対だ。

 リリーが天使だとすれば、俺は死神だ。

 ただ――それでも――


「リリー、俺は、俺は――!」


「はい、おしまい」


 ぱふ、っとリリーは俺の口を手で塞ぐ。


「むごっ!?」


「違いますよ、ラクーン。私が聞きたいのはそういう言葉じゃありません。欲しいのは、たった5文字の簡単な言葉。言えますよね? さん、はい」


 満面の笑みでそう言って、口元からぱっと手を放す。

 俺は存分に言い淀んで――


「あ……う……その…………あ、ありがとう・・・・・……」


 なんとか――――言えた――――


「よく言えました。それでいいんですよ、それでいい……」


 リリーは、また俺の頭を撫でてくれる。

 ――暖かい。

 心からそう感じたのは、生まれて初めてだ。

 赦されるというのなら、こうしていてもいいのなら――もう少しだけ、このままで――



「――――きゅーん!」



 そう思った矢先、俺の顔面にフサフサモフモフな物体がのしかかってきた。

 それも聞き覚えのある鳴き声と共に。


「か……カーくん! 無事だったのですね!」


「きゅーん! きゅきゅーん!」


 俺の顔の上でリリーに撫でられ、喜びを露わにするモフモフ。

 そして、そのすぐ後には――


「か……カーくん……待ってほしいっスよ……ウチは体力ないんスから……!」


「チャット、あなたも! 良かった……!」


「ふぇ……? って、リリー様……リリーさまぁっ!!!」


 トタタタタ――ドスンッ、ガシィ!

 という綺麗な音で、こちらに走ってきて、俺の身体の上に乗り、リリーに抱き着いた者がいる。

 チャットとかいう丸メガネの少女だ。


「怖かったっスよぉ~! 寂しかったっスよぉ~! 教会の鐘の場所まで登ったはいいものの、すぐに教会の周りがスケルトンだらけになってぇ~! 中央交差点で砂煙が上がってからはリリー様が見えなくなるし、心配でも降りられないしでぇ~!」


「あ、あはは……そうだったんですね……」


「でもでも、見えた限りはリリー様の活躍をしっかりばっちり記録しておいたっスから! それに中央交差点で無双した後は、南門で防衛戦を繰り広げてたんスよね!? でっかい火の手が上がったんで、すぐわかりましたよ! そんで迫り来る高等魔族をぶっ飛ばして、太陽が昇るまでスケルトンたちを駆逐しまくって、そんで街の救世主となった――大筋はこんな感じでオーケーっスね!? ぶっちゃけ南門の辺りはよく見えなかったんで、ほとんど予測でスけど!」


「……うーんとね、チャット、あなた北門の方角は見てたかしら?」


「いや~、それが教会の位置からだと、ちゃんと見えたのが中央だけでして。東西でもなにかあったらしいってのはわかるんスけど……」


「そっかー、とりあえずあなたの予測はだいぶ外れてますよ。それと……早くそこから退いた方がいいわ。この街を救った本当の勇者様が、とっても苦しんでるから」


 カーくんも退きましょうね、と金色のモフモフを俺の顔から動かすリリー。

 ようやく普通に息ができるようになった。


「はぇ……?」


 チャットは素っ頓狂な声を出して、下を見る。

 その直後、彼女の絶叫にも似た悲鳴が広場に木霊した。


 ――たぶんこんな感じが、これからの俺の日常になるのだろう。

 騒々しくなりそうだ。騒がしいのは好きじゃない。


 でも……これがリリーの与えてくれる日々だというのなら――悪くないと、そう思える。




【ダークナイフ】の神器性能スペック

登録No.66:ダークナイフ

速度型スピード・ランクE』

 種類:短剣

 全長:35cm

 重量:400g

 神 格:E ■

 攻撃力:E ■

攻撃範囲:E ■

攻撃速度:C ■■■

 生存率:E ■


ラクーンの〈加護〉:『不明』

ラクーンの〈神技〉:『縮地ゼロ・シフト

 現在地から別の地点へと瞬時に転移する。つまり瞬間移動を可能とする。目視できる範囲であれば転移できるが、地形を把握していれば見えていなくても転移可能。

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