プロローグ02


――聖歴1546年/第11の月・下旬レイト

―――時刻・深夜

――――とある森中の川岸

――――――暗殺者アサシン『???』



「この――汚らわしい〝人殺し〟めが!」


 月明かりの照らす深夜、木の椅子に縛り付けられた中年の男は恨めしそうに言い放つ。

 男の体型は小太りで裕福そうな身なりをしており、口元には整った髭を蓄えている。


 ここは人里離れた、森の中の川岸。

 俺と中年の男の周囲には森と川と夜空だけがあり、他に人気は全くない。

 ただ暗闇と静寂と、僅かな虫の鳴き声があるだけだ。

 

 明日に縛り付けられた男の背後には、底の深い川が流れている。

 こういう川は表面上こそ穏やかで美しく見えるが、その底部は激流が渦巻いているものだ。

 身動きのとれない状態で落ちれば、まず助かるまい。


「貴様、暗殺者ギルドの殺し屋だな!? クソっ、雇い主は誰だ!」


「……」


「ワシにこんなことをして、タダで済むと思っておるのか!? ワシはかのレギウス家にも薬を献上しているジョレーム家の一員、ポンツィオ・ジョレームであるぞ!」


「……」


 中年の男は大きな声で喚き散らし、椅子に縛り付けられた手足をガタガタと動かす。

 どうやら、これがこの男の最期の足掻きらしい。


 ああ、またか――と、俺は内心でため息を漏らす。

 似たような光景は、これまでうんざりするほど見てきたから。


 貴族でも富豪でも、金と地位を持った奴は決まって死に際に名乗りを上げたがる。

 だから、一々覚えてなんていられない。

 そもそも俺には関係ないし、どうでもいい。

 名前なんて、無意味なのだ。


「ワシを殺すということは、『レギウス王国』を敵に回すということでもあるのだぞ! ハハハっ、貴様のような薄汚い殺し屋は明日にでも懸賞金がかけられて、あっという間に晒し首になるだろうよ! そうなりたくなければ、今すぐワシを解放――ッ!」


「お前の首に金をかけたのは、そのじょれーむ家・・・・・・とかいう奴らだよ」


 俺がそう言ってやると、やかましかった男の口がピタリと止まる。

 そして、見る見るうちに顔が真っ青になっていった。


「お前、奴隷の売買に手を染めたろ。罪のない人をさらって奴隷にし、他国に売り捌いた。とっくにバレてんだよ」


「そ、それは……!」


「お前は一族の汚点になる。だが公には殺せない。家名に傷がつくから、だそうだ。だから……こうして俺を手を汚す・・・・


 そう言って――俺は後ろ腰の鞘から、ひと振りのナイフを抜き取る。

 刃渡り5インチ13cmほどの、銀色の刀身を持つナイフ。

 どこにでもある、刺殺に適した形状の鉄製シースナイフだ。


 月夜の下でもキラリと光る刃を見た途端、男の顔に恐怖が滲む。


「ヒッ……! や、やめろ! 金ならいくらでも出す! だ、だから命だけは……!」


「悪いな。俺はこれしかできないんだ」


 ……そう、俺はこれ・・しかできない。

 これ・・しか知らない。


 こんなこと、本当はもうウンザリだ。

 暗殺者ギルドの飼い犬に――いや、組織の奴隷になって、「殺してこい」と言われた相手を追い詰めて、誘拐して、殺す。


 俺に選択肢なんてない。

 言われたことを実行できなければ、野良犬のように飢えて野垂れ死ぬか、あるいは裏切り者として処分される。


 いつまでこんなことを続ければいいのか?

 死ぬまでギルドの奴隷をしなきゃならないのか?

 俺は永遠に、誰かを殺し続けなきゃいけないのか?


 ああ……もうなにもかもバカバカしい。

 こうして考えるのだって、くだらない。


 俺の内心が冷め切っている中、対する中年の男はいよいよ半狂乱になって、目を血走らせる。


「クソっ、クソぉっ! 教会に癒着してなにが悪い! どうせ世の中金だろうが! 貴様は――――かひゅ」


 もう聞くだけ時間の無駄だと思った俺は、男の喉元にナイフを突き刺した。

 ゴボっ、という音を立てて、男の口と刺創から鮮血が溢れる。


「……そんなの知るか。どうせ俺には関係ない」


 そう言い捨ててナイフを引き抜くと、男を川に向かって蹴り飛ばした。

 男は椅子ごとザブン、と川へ落ちる。そのまま悲鳴を上げることもできないまま、川の底へと沈んでいった。

 一瞬だけ水面が紅く染まるが、その色もあっという間に川の流れにかき消されていった。


「……帰って、飯にしよう」


 シン、と静まり返った森の中で呟く。

 べったりと血が付いたナイフを軽く川で洗うと、布で拭きとり、鞘に戻す。


 仕事は果たした。帰ったら飯にありつける。

 ギルドが石のように固いパンと冷めたスープ用意してくれるだろう。

 それを喰ったら、あとは寝ればいい。

 そうして、忘れるように努力しよう。このバカバカしい現実を。



 ――――俺は、暗殺者ギルドに属する薄汚い暗殺者アサシンだ。

 俺に名前はない。姓もない。

 だが、ギルドの奴らは俺を〝ラクーン〟と呼ぶ。

 なんでも、俺の髪がアライグマラクーンの灰色の毛並みに似ているかららしい。


 歳は16。孤児だった俺は物心つく前に暗殺者ギルドに拾われ、もう10年以上も人殺しをして生き永らえてしまった。


 さっき殺した男は言っていた。〝神にすがってなにが悪いのか〟と。

 もし本当にカミサマ・・・・がいるとしたら、俺はそいつにただ1つだけ頼みたい。


 ――カミサマ、早く天罰とやらを与えて、俺を楽にしてください――と。

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