願い事は聞きません

高岩 沙由

ニアピン勝負

 私、藍森紬は朝早くから浮かれていた。

 なんなら、なかなか寝付けないほどに。


 私は都内にある500人ほどの再生エネルギーを作る会社の情報システム部に所属していて、3か月に1度、部署横断企画としてゴルフコンペが開かれている。


 正直にいえば、そのゴルフコンペが決め手となりこの会社に入ったくらい、私はゴルフが好き。


 なので来月のゴルフコンペにも当然参加するんだけど、その前に社内の希望者で練習ラウンドに行こうという話になり今日、都内にあるゴルフ場に行くことになった。


 そこはプロ大会も開かれている会員制のゴルフ場で普段ビジターは入れないのだが、時折、旅行会社を通して予約できることがあり、ダメもとで申し込みしたところ予約ができた。


 予約できたと連絡があった時から私は過去に録画していたこのゴルフ場で開かれた試合を何度もみて、イメージトレーニングをしていた。


 今日も朝から試合のビデオを見ながらイメージトレーニングをしていると車のクラクションが短く聞こえてきたので、私はビデオを止め、ボストンバックとキャディバックを肩にかけて急いで部屋を出た。


「藍ちゃん、おはよう!」


 今日の秋晴れのような、爽やかなその声を聞いた瞬間、私は先ほどまで浮かれていた気持ちが雲散霧消していくのを感じた。


「……おはようございます、榎さん。なぜここに?」


 私は作り笑いで声を掛けてきた相手に挨拶を返す。


 挨拶をしてきたのは営業部の男性で、極力近づきたくない相手だった。


「ああ、羽田さんがちょっと遅れそうだからってかわりに頼まれたんだ」


 羽田というのは私の上司にあたる人で、だから今回安心して送迎をお願いしたのに……。


 私がどんよりとした気持ちで立っていると、榎さんはつかつかと近寄ってきた。


「キャディバックとボストンバック、持つよ。貸して?」


「ああ、いえ、大丈夫です、運べますので」


 作り笑顔のまま断わりを入れた私は榎さんの横を通るようにして青い車に近づき、後ろにキャディバックとその横にボストンバックを置かせてもらう。


「じゃあ、車に乗って」


 その言葉に私は迷うことなくドアを上げて助手席の後ろに乗り込んだ。


 ばたんと、後ろ側のドアを閉める衝撃が伝わってきたあと、榎さんが運転席のドアを開けると私の顔をみて苦笑いしている。


「助手席でよくない?」


「他の方を助手席に乗せてください」


 私は笑顔を固定してこたえるとシートベルトを締める。


「藍ちゃん……」


 榎さんはため息をつきながら運転席に座りシートベルトを締めると静かに車を走らせる。


「なんで帰らなかったんだろう、私」


 窓から外を見て私もため息をついて小さく呟いた。


「……藍ちゃんって、僕のこと避けているよね?」


 榎さんが心なしか寂しそうな声で私に質問している。


「いえ、まったく」


 それは嘘。


「社内で噂が出た時から避けているような気がするんだけど……」


 榎さんが泣きそうな声を出しているが私は乾いた笑いを返す。


 私が榎さんと極力近づきたくない理由がその噂なのだ。


 事の発端は途中入社の榎さんが私にシステム関係の質問をしてきた時のこと。


 私は普通に話していただけのはずなんだけど、色目を使っていたと陰で言われ、榎さんに気があると独身女性から勝手に敵対視され時に嫌がらせもされる。


 そんな状況だから、社内の噂が落ち着くまでは近づかないように細心の注意を払っていた。


 その原因を作った榎さん、年齢は27歳、営業成績もトップで、すらりとした長身で顔は今売れているイケメン俳優に似ているとあって、社内の独身女性たちがこぞって口説き落としにかかっているけど、浮いた噂は全くない。


 私も榎さんはイケメンだと思っているが、付き合いたいという気持ちは全くない。


 だから、とっとと誰かと結婚するなり、交際宣言をしてくれ、といつも心の中で叫んでいた。


 車内ではそれ以降話も弾まずにどんよりとした気持ちのままゴルフ場に到着する。


 車からキャディバックとボストンバックをおろすと榎さんの動向を確認しからフロントへと向かう。


 チェックインし、ロッカーのカギを受け取ると榎さんに、のちほど、と声を掛けて女子ロッカーへと向かった。


 お気に入りのゴルフウェアを身に着けクラブハウスを出たところで、今日の練習ラウンドの参加者を待つ。


「羽田さん以外にも営業部の男性も今日くるはずよね?」


「先にスタートしていて、って」


 考え込んでいた時にふいに榎さんから声を掛けられて危うく悲鳴を上げそうになる。


「えっ!? どういうことですか?」


「えっ、まんまの意味だよ?」


 榎さんが不思議そうな顔をして私の顔を見ている。


「到着にもう少し時間が掛かりそうだから、スタートできるなら、始めちゃって、て。さっき連絡がきてた」


「え、えと、どのくらい遅れるとか……」


「渋滞に巻き込まれているから、ちょっとわからないって」


「そ、そうですか……」


「練習はする? と言ってもスタート時間は10分後だけど……」


 榎さんの言葉に私は覚悟を決めた。


「いえ、落ち着いて練習できないので1番ホールに向かいます」


「OK。じゃあカートに乗って1番ホールに向かおうか?」


「はい」


 私はしぶしぶと用意されたカートに向かい、持ってきたクラブのチェックをして乗り込む。会社の関係者の人がいないことを願いつつ。


 今回はOUTコースの1番ホールからスタートとなるが、通常、このゴルフ場はキャディ付だが、ビジターの場合はキャディがつかず、クラブの選択、距離、アドバイスなどは自分達で行う。


 そのためカートも自分達で運転していくことになり1番ホールの指定の場所まで榎さんがハンドルを握る。


 到着したところでドライバーと3番ウッド、ボールを持ってティーグラウンドに向かう。


 先客はおらず、ティーグラウンドもそんなに荒れていないように見える。


「1番はレギュラーティで350ヤード、やや左曲がりのコースだね」


 榎さんがスコアカードを見ながら呟く。


「僕が先に打ってもいい?」


「はい、どうぞ」


 私はそれだけ伝えるとティーグランドの端の方、榎さんから見えない位置に移動する。


 榎さんはバックティーに陣取ると場所を確認してウッドティーを地面に刺し、その上にボールを乗せる。


 ウッドティーの右横にドライバーを静かに降ろすと一旦コースを見てすぐにボールに視線を戻す。


 流れるようにドライバーを振り上げ、ぶん、という音が聞こえそうなほどの速さでボールをとらえ飛ばしていく。


 ボールが飛ぶ方向を目で追っていくとフェアウェーやや右側にボールが落ちて転がっていく。


 榎さんはボールの行方を見守り前方に飛んでいったウッドティーを拾い上げている。


「ナイスショット!」


「ありがとう。やっぱり最初の1打は緊張するね」


 私の掛け声に照れたように笑いながらティーグランドから降りてくる。


 すれ違うように私はレディースティーへと向かう。


 ティーグラウンドはまるっきり平らではなく、若干の凹凸がある。


 その凹凸を避け極力平らな場所でスタンスが取れるように足裏に神経を集中させ慎重に決める。


「ここだ」


 小さく呟き、プラスチック製にティーを地面に刺しボールを乗せてコースを見る。

 やや打ち下ろし、フェアウェーは左側に曲がりその先にグリーン。


 ボールを乗せているティーを挟んでコースを正面に見るとフェアウェーのどこに置くか頭の中にイメージを描く。


 イメージを明確に描くことができた時に移動し、スタンスをとる。


 再度コースを見て最終確認すると、ドライバーを軽く握り直し、振り上げていく。


 ボールとヘッドがぶつかった衝撃と共にボールが空中へと放たれる。ボールを目で追っていくとイメージ通り、フェアウェーど真ん中へと落ち、少し転がっていく。それを見届けると前方にとんだティーを拾い上げる。


「ナイスショット! 噂に聞いていたけど、かなり上手だね」


 ティーグラウンドから降りて榎さんの元に行くとキラキラの笑顔で軽く拍手しながら迎えてくれた。


「あ、ありがとうございます」


 イケメンのキラキラ笑顔にドキドキしながら私は返事をした。


「榎さんはコンペ初めての参加なんですよね?」


「そうなんだ。藍ちゃんと同組になれるといいんだけど……」


 カートに乗り込みながら会話をしているが、絶対お断りしたい。


 同組になりませんように、そう願いながら2打目の場所へカートを走らせた。


 OUT9ホール終えたところで羽田さんたちの状況を確認したけど、電波が悪いのか確認が取れなかった。


 私は途方にくれながら休憩もとらずにINコース10番ホールへと向かいプレイを続けた。


 スタートして2時間近く。やっと最終18番ホールに到着する。


 私は終わってしまうのが物足りないような気がしながらもティーグランドに上がりコースを確認する。


「藍森、ここでニアピン勝負しない?」


 スコアカードでグリーンのピンの位置を確認している時に榎さんから声を掛けられ慌て振り向く。


「ピンに近いところにボールを置いた方が1つだけお願いを聞くの」


 榎さんが今までのにこやかな表情から一転して真剣な表情で話している。


 私は再び、コースを見る。パー3、レディースティーからは190ヤード。池越えの上にフェアウェーがかなり狭く、両側にバンカーが配置され、ラフに捕まってしまえばアプローチが難しくなる。またここのグリーンは奥に行くほどカップまでのラインが読みづらかったはず。


 だから、グリーン手前のフェアウェーにボールを置きグリーン前方に切られているカップ手前に置かないといけない。


「じゃあ、僕からいくから」


 私の返事を聞かずに榎さんがバックティーに向かう。


 私はティーグランドからおりてどのクラブで打つかを考える。


 その間、榎さんはバックティーからボールを放ち、私は軌跡を目で追う。


 やはり、考えていることは一緒。フェアウェー真ん中に置きアプローチ勝負に持ち込む。


 私は3番ウッドを手にするとティーグラウンドに立つ。


 深呼吸を繰り返し、タイミングを見計らってクラブを振り上げ、ボールを空中へと放つ。


 ボールは意図したとおり、バンカーに挟まれたフェアウェーの真ん中を転がっていった。


 2打目、私のボールが榎さんのボールより手前にあるため、先に打つ。


 ここからグリーンまで20ヤードほど。ピッチングウェッジを肩幅程度の範囲で振りながら慎重にイメージを描いていく。


 ――浅く、表面の芝だけを軽く払うように打つ。


「よし」


 イメージできたところでボールの右側にピッチングウェッジを置き、静かに小さくふり、ボールを払う。


「あっ」


 イメージよりも深く振り払ってしまったようで芝と一緒に土が少しボールと一緒に舞い上がる。私は足で土を慣らしながら榎さんのアプローチを見守った。


「返事はしていませんが、私の負けですね」


 グリーンを見ながら榎さんに声を掛ける。


 私のボールはカップから1m程のところ、榎さんはカップから50センチほど。


 それぞれ、カップに沈めてパーとなったところでラウンドが終了する。


「返事はしていないのですが、ちなみに榎さんのお願いってなんでしたか?」


 グリーンからおり、パターを手に持ってカートに向かいながら榎さんに質問してみる。


「藍森」


 カートに到着すると、私の正面に立ち真剣な表情で見つめてくる。

 私はなぜかどきっとしたまま榎さんの顔を見つめた。


「僕と付き合って」


 耳を疑うような言葉が榎さんから聞こえていた。


「お断りいたします! お疲れ様でした!」


 私はそれだけ言うと、手に持っていたパターをカートのキャディバックに入れると榎さんを置いてさっさとクラブハウスへと向かった。顔が熱いのを感じながら。

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願い事は聞きません 高岩 沙由 @umitonya

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