第2話「それぞれの苦悩」

「……こうして、狼男はお城に住まう呪われた薔薇のお姫様と出会うのです」


 絵本の第1話を読み終えた母親は子供たちの頭を撫でる。


「狼男さんは冒険者なんだね。お父さんと一緒だわ」


 娘は狼男の挿絵を指さしながら言った。


「狼男さん、お城の中に勝手に入っちゃったんだ。それ、いけないことじゃないの?」


 息子は純粋な疑問を母親にぶつける。


「本当はいけないわ。王様とか、国の偉い人が住んでいる人がいるお城の中に勝手に入っちゃったら捕まって怖いお仕置きをされちゃうのよ」


「お母さんのお仕置きより怖い?」


「さあ、どうでしょうね」


「むー。そこはちゃんと教えてよー」


 息子は頬を膨らませながら言った。


「それにしても狼男さん、とても素敵な言葉をお姫様に言ったのね。お姫様が欲しかったのかもしれない言葉を、当たり前のように言っちゃうなんて、それこそ王子様みたいだわ」


「ええ。自分の事で悩んでいたお姫様を気遣ったわけじゃなく、彼にとってはそれが当たり前だったから、そう言っただけ。きっと、それだけで良かったのよ」


 母親は微笑みながら、外の満月に目を向ける。


 丸い月は親子を優しく照らす。夜は始まったばかりで子供たちが眠る様子はまだない。


「ねぇ! 狼男さんとお姫様はその後どうなったのかしら?」


「また会うんだよね?」


 二人は本の続きを迫る。


「ええ。でもそれはちょっと先。まずはそこに至る前のお話を聞かせてあげるわ」


 母親は栞を取り、次のページを開く。






 狼男と薔薇の姫の出会いは、どっちかと言えば偶然によって生じた出会いだったのです。


 ちょっとマヌケな彼が投げかけた、その言葉は薔薇の姫が足を伸ばすきっかけになるのにはとても十分で、彼女にとっては奇跡のようでした。


 おかげでいつも後ろ向きなお姫様はちょっとだけ前を向いていけるようになり、少しはマシになったと思うぐらい。


 そんなことはつゆ知らず、狼男はお城から無事に抜け出していつものの宿へ直帰。


 色々とお疲れの彼は人の姿になることも忘れて、お散歩帰りのように自分の部屋へと転がり込みました。


「あー……。死ぬかと思ったー……」


 ふかふかのベッドの上に倒れ込んで、狼男は深いため息と共に一安心。


「というか、あのお姫様の距離感の詰め方がとんでもなすぎるだろ……。危機感の概念どこいったって感じだよ。オレ以外の人狼だったら、それこそどうなっていたことやら」


 狼男はお姫様について愚痴っぽく独り言をつぶやきました。


 何しろ普通の人間にすら怖がられてしまう狼男の姿を目の当たりにしても、焦ったり怖がったりするどころか、全然怖がらないのです。


 これには流石の彼も拍子抜けです。びっくり!


 人狼が人間の社会においては異物であることを彼は身をもってよく知っているからこそ、お姫様の反応がわけがわからなくて意味がわかりませんでした。


 人間に危害を加えるつもりなんてこれっぽちもない彼だからこそ大丈夫だったかもしれないけれど、自分以外だったらもっと大変なことになっていただろうともわかっています。だからこそお姫様の反応が理解できません。


「……。でも、確かに人間にあの力はちょっと持て余すかもしれないだろうなぁ」


 だからと言って、一度関わった相手の事を簡単には忘れないのが彼の長所。興味のない相手の事はすぐに忘れるか覚える気も起こさないのが彼の短所。


 生まれ持った力のせいで周囲と疎遠になってしまって、ずっと独りぼっちになってしまっているお姫様の事が頭の中から離れません。


 自分にもよく当てはまるような……似て非なる境遇だったからこそ、お姫様の孤独を人一倍わかってしまうのです。


「怖くないのですか、か……」


 あんな、体を震わせながら恐る恐ると聞いたお姫様の言葉は、狼男に彼女の存在を覚えさせるには十分でした。


 それは、自分の出自自体も色々と複雑であることを自覚しているからであり、あの涙で彼女の気持ちを察してしまったからで。


「……咄嗟に、あんなこと言っちまったけどなぁ」


 別れ際に口走った「君の友人として、もう一度会いに来る」なんて、こっぱずかしいことを思い出して顔を赤くしてしまって、布団一枚を被って誤魔化します。体がおっきいからあんまり意味ないけどね!


 でもしょうがないのです。あんなふうに「もう一度会えるか」なんて言われたら、ああやって返事するほかありません。


「オレたちも大概だが、人間たちも色々と面倒だな……」


 どこ行っても、強い力を持つが故に起こる色々な問題は似たり寄ったりだとため息をつき、明日に備えて眠ろうと目を閉じました。





◆◆◆





 次の日。


 柔かく暖かな日差しが窓から差し込み、アンブラは目を覚ます。


「殿下。朝にございます」


 いつもののように、アンブラに仕える侍女、ミーナが部屋に入ってきた。


「あ、ごめんなさい、ミーナ。先に起きちゃった」


「あら、殿下。もうお目覚めに? これは珍しい。昨夜ゆうべ、寝付けなかったのですか?」


 アンブラは元々眠りが深く、いつもミーナが起こしても中々起きないことが多かった。


 それなのにミーナが起こしに来た時にアンブラが起きているということは珍しく、正直ミーナからすれば大事件であった。


「いいえ、そういうわけじゃないんだけど。ちょっとだけ、良いことがあったからかしら。妙に目が早く覚めてしまったわ」


「……? よくわかりませんが、早起きは良いことです。こちらに洗顔用の水を用意してあります。どうぞ」


「ありがとう」


 アンブラはゆっくりと寝台から出て、ミーナに用意してもらった桶の水で洗顔する。


 ――――――昨日の夜の出来事を、ふと思い出す。


 あれはまるで嘘みたいな、物語のような出会いだった。


 きっと偶然ではあったかもしれないけれど、あの時に出会った狼男とのお話はとても充実していて、今まで生きてきた人生で一番楽しかった。


 一つ一つ、鮮明に覚えている。


 自分の呪われた力によって作られた妖精郷世界を綺麗と言ってくれた。自分でも気づかなかった、自分が欲しかった言葉をくれたおかげで、気持ちを少しだけ前に向かせてくれた。


「……うん。あれは、夢じゃないんだ」


 洗顔を終え、噛み締めるように、ふと声をこぼす。


 夢のような時間だったけど、あれは絶対に夢なんかじゃない。


 アンブラは少しだけ前向きにそう思う。


「殿下?」


「なんでもないわ。服を用意してくださる?」


「はい。既に用意しております。本日の陛下との謁見えっけん、何があるのでしょうか?」


「父上が考えることです。多分ですけど、隣国のフェムノス王国の事についてかもしれません。私には関係ないことですが」


 今日行われるであろう、父であるルプランス王国国王との謁見えっけんでの内容について、アンブラは吐き捨てるように言った。


 今までもアンブラ自身の力を恐れ、常に距離を取りながら事務的な話しか声をかけてくれた覚えがない彼女からすれば、国王である実父は血の繋がった他人でしかない。


「(でも、フェムノス王国との関係がこれ以上悪化するのは父としても好ましくないはず。どこかで互いに妥協案を出さないといけないでしょう……)」


 王国が抱える問題の一つとして、ここ最近力を増してきているフェムノス王国とルプランス王国との間に小競り合いが頻発しているのだ。


 国境近くには「深き森」という、人狼が出ると噂されている森があり、どういうわけか不可侵領域と化している。ルプランス王国とフェムノス王国が戦争状態になっていないのは、この不可侵領域があるおかげだと噂されている。


 仮にだが、もしも本格的に戦争になってしまえば双方に多くの死者が出てしまう。元々、古くより仲が悪かった国なだけに交渉でどうにかなるのか怪しい所ではあるが、どちらにせよ避けられない問題であった。


「(そうならない方法があるのなら、それを実行してほしい所なのですが。私に出来ることと言えば、助言のみですもの)」


 次期国王としての立場が決まっている兄がいるし、特に自分は周囲からうとまれている女であることを身に染みて理解しているアンブラは、とにかく戦争が起きないように助言をすることしか出来ないし、そこまで深く関わろうとも思わない。


 用意された公務用のドレス……黒薔薇の意匠いしょうのあるドレスに着替えを終えたアンブラはミーナを伴って部屋を出た。


「殿下。お待ちしておりました」


 部屋の外に出ると、礼服をまとい、腰に一本の剣を携えた騎士がいた。


 オールバックのブロンドの髪の端正な顔立ちに戦場で負ったと思わしき大きな縦の切り傷が頬に刻まれており、アンブラより頭一つ分身長が高い。体格も礼服を押し上げるほど鍛えられた筋肉質の大柄で、一目で彼が騎士であることがわかる姿をしている。


「オーブ。今日も早くからごめんなさいね」


「いいえ、殿下。お気になさらず。これが自分の仕事ですから」


「ええ、わかっているわ。今日も色々とお願いね」


「承知いたしました」


 オーブと呼ばれた騎士はお辞儀をして、廊下を歩くアンブラの後ろに控える。


 この騎士の名はオブスクリタス・コグワーズ。通称「オーブ」と呼ばれている騎士である。


 幼少の頃からアンブラに仕えている騎士であり、王家に近い騎士の家系である「コグワーズ家」出身であり、アンブラの従者兼守護騎士として仕えるためにペイジとして仕え、勉強をして、そして騎士としても名を上げてきた男だ。


 ルプランス王国ではその年に生まれた王族に近い貴族、もしくは騎士の家の子を同じ環境下の中で育てることで強い繋がりを作ることで結束力などを高めるという方針を取っていた。


 オーブもそうした王家の方針で育てられた騎士であり、アンブラに仕えるために育てられたと言っても過言ではない。


「殿下。何か、良いことでもあったのですか?」


「え?」


 廊下を歩いている途中、オーブはそんなことをアンブラに聞きだした。


「何と言いますか。珍しく、普段より顔色が良いような気がしまして」


 普段、従者としてアンブラの顔色をよく見ているオーブは小さな表情の変化にも気づける。過去には彼女が風邪を引いた時も熱で顔色が悪くなっている所を見つけてすぐに医者を手配したこともある。


「……それって、普段私の顔色が悪いという意味なのかしら? 貴方のその目には常に顔色が悪い私が映っているのかしら?」


「い、いや! そういうわけではないのですが……」


 アンブラの目力と凄みにオーブは慌てて取り繕う。


 しかし、心配性なあまり彼は少し空気を読まない所がある。言葉選びを間違うともいうが。

 

 幼少の頃からオーブの事をよく知っているアンブラは、子供の頃からそんな性格を理解していることもあり、いつまで経っても治らない彼の空気の読めなさや言葉選びの下手さにはうんざりしていた。


 それこそ百年の恋も冷めると言ったぐらいに。


「そう。ならいいわ。少しだけ、夢見が良かっただけだから」


「は、はい」


 普通の人ならそれぐらいの事でと思うかもしれないが、アンブラ自身普段から表情を動かすことなく、他人に笑顔を見せたことなんてほとんどない。


 彼女の苦悩に理解をしていても、それを態度で示したことがないことから、オーブはそういう意味でアンブラからは信頼されても信用されていない。公務が終わればミーナを含め最低限の身の回りの世話しか任されず、そういう意味では彼はアンブラからも煙たがられているのである。


「(たまたま私より三年先に生まれただけで従者になっただけの男ですもの。……どうでもいいわ)」


 そんなこんなで彼女はオーブに対して特別な感情とか、そんなものはこれっぽちもないので、態度では「良き主」として振舞っていても内心では疎ましく思っているのが実情。


 このこともアンブラは周囲から白い目で見られている要因の一つでもあり、表向きに渾名あだなされる「薔薇の姫」も「自身に仕える従者たちも寄せ付けにくい」という皮肉的な意味でそう呼ばれているのだ。


「アンブラ殿下。国王陛下がお待ちでございます」


「どうも。入れてちょうだい」


 玉座の間に通ずる扉の前に着いたアンブラは見張りの騎士に行って、扉を開けるように命じた。


 重い両開きの扉が二人の騎士によって開かれ、ゆっくりと玉座の間に入る。


「国王陛下。アンブラ・ロサ・ルプランス。ここに参りました」


 玉座に座る、彼女の父にして現ルプランス王国国王、グレイ・ロジェ・ルプランスにアンブラはお辞儀をして挨拶した。


「うむ。よくぞ参った。アンブラよ」


 娘の丁寧かつはっきりとした挨拶に、グレイは朗らかに言った。


 豊かなひげを持ち、恰幅かっぷくの良い姿ながら娘にも継承されている鋭い目力は慣れている人であれば畏怖いふするであろう迫力に満ちている。


「今日、お前を呼び出したのは他でもない。フェムノス王国に関する事だ。わかっておろう?」


「はい。我が軍とフェムノス王国軍の国境警備隊の間で小競り合いが頻発ひんぱつしているという話は既に宮中だけではなく、市井しせいにまで及んでいると聞いております。国王陛下の言う通り、このままエスカレートをすれば本格的な武力衝突になりかねないでしょう」


「(そんなの、初めからわかりきっていることでしょう。バカバカしい)」


 わかりきっている言葉を言われ、アンブラは内心うんざりしていた。


 アンブラの言う通り、ルプランス王国とフェムノス王国の国境警備隊が小競り合いをしていることは宮中どころか王都の市井にまで話が広まっていて、軍事衝突が起きるのではないかと不安になっているなんてことは、アンブラからすれば想定通りだと思っている。


 ルプランス王国は冒険者が集う国でもあるし、そういう国外情勢のことは冒険者ギルドを通して話が広まるのは当然。アンブラ自身も冒険者ギルドに僅かながら人脈があり、情報収集をしているのでよくわかる。王城を出なくてもそれぐらいのことはすぐにわかってしまうのだ。


「そこでだが、軍事衝突に発展せず、双方にとって利益のある形に落ち着くかもしれぬ方法があるのだ。この方法についてはフェムノス王国の方でも同様の話が来ており、我が国でも最大限出来うる妥協点だきょうてんなのだ。心して聞いてほしい」


「……それで、私をお呼びになったのですか。それで、ご用件はどのような?」


 どうせろくでもないこと。もしくはくだらないことを言うのであろうと思い、アンブラは心の準備をする。


「うむ。――――――そなたに、フェムノス王国の次期国王に指定されているエヴァンジェロ王子に嫁いでもらいたいのだ」


 ――――――ああ。本ッッッ当にくだらない。


 アンブラは諦めと呆れに、内心で盛大なため息をつくのだった。






 王都「ヴィルヌーブ」のアイテムショップ「ラ・ベル」にルゥは訪れていた。


 冒険者ギルドで仕事を請け負おうとしたが、今日は依頼の数が少ない上にどうも気分が優れないという理由でこの日は珍しく冒険者は休業にすることにした。


 ほんのわずかな浮いた金でアイテムショップの「ラ・ベル」でやってきて、朝から交流用のテーブルで唸っていた。


「おいおい。今日、冒険者業は店じまいなのかぁ? 暗い顔しやがってよぉ」


 店長のボーモンが片手にジュースの入ったコップを持ちながら、テーブルにただ座っているだけのルゥに絡む。


「や、やだなぁ。オレはいつも明るいルゥだぞ? 暗い顔なんてしていないさ!」


「いやいやいや。全然明るくねえから。まるで死者の弔いに訪れた人みたいになっているぞ」


「……あ、あはは。や、やっぱそう見える?」


 無理やり笑顔を見せても長い付き合いであるボーモンにとって、彼が嘘を言っているのは丸わかりだった。


 ルゥは嘘つきではあるが、他人を傷つけるような嘘は言わない。逆に言えば彼は自分自身を傷つけるような……自分の気持ちに嘘をつくようなことを言わない。


 元が人狼で、そして生まれつき有する純粋なその在り方により、自分を偽るという行為が出来ない。いや、その必要性がないと言った方が正しい。


 だからこそ、ボーモンは彼が嘘を言っているなんてことを見抜くことなんて造作もない。


「まあ、ねぇ。あの綺麗な薔薇の正体を見に行こう! なーんて息巻いて城の中に侵入したと思ったら、まさかの王女殿下に見つかっちゃってねぇ」


「マジか! それ大丈夫なのか?」


「まー、なんというか。何故かそのお姫様にお話相手に付き合ってほしいなんて言われてね。うん。奇妙な夜の親睦会しんぼくかいだったよ。そのまま帰ってもいいとか。オレが言うのもアレだけど、彼女結構浮世離うきよばなれしているよ」


「それ、他の連中に言ったりしていないよな?」


「そりゃあ言うわけないさ。なにしろ笑い話にするためのジョークが思いつかない! 衛兵の耳に入ったら、それこそ独房行きってヤツだよ」


 無論、王城に無断で入ったとか、言い訳も何もなく極刑に処される確率は高い。最近の情勢の悪化で隣国フェムノスの手の者とか言われてもおかしくないのである。


「……ま、なんだ。変な人間だった」


「変な人間? どういう意味だそりゃ」


「あの薔薇。お姫様の崇高なお力の産物ってヤツでさ。まあ、ざっくり言うと古き妖精の残滓(ざんし)だ。あれは」


 つまり、ルプランス王国王族の血統に伝わる、妖精の異能そのものであるということだ。


 王城に定期的に咲き乱れると噂の薔薇の庭園。アンブラ王女が持つ「妖精郷」の力であるとルゥは要約して言った。


「ま、マジかよ。やっぱりあの噂ってホントだったってことか」


「ん? その言い方だと、噂の更に確信を得たって感じ?」


「ああ。これでも俺は学者を目指していた身分でな。妖精の力について調べたこともあったんだ。その調べものの中でこの国の王族の持つ特別な力は妖精から受け継がれてきた、魔術でも何でもない正真正銘の異能だってことをな」


「……アンタ、それでよく王家に目をつけられなかったね。逆に心底尊敬してしまうよ。オレが今まで会った人間の中で」


 呆れるように溜息をつきながら言った。


「そりゃあ嫌味か?」


「いやいや。嫌味じゃないさ。言っただろ、逆に尊敬するって。無謀ともいうか、何というか。人間は危険な事に首を突っ込まないタチだと思っていたからさ。尚更だよ」


「違ぇねえ。だがなぜ“そうしたいのか”を知るためにお前さんも冒険者になったんだろ」


「うーん、そう言われると弱いなぁ」


 ボーモンに言われ、ルゥは乾いた笑いを漏らす。


 元々人狼と人間の価値観は全く異なる上にルゥは普通の人狼ではなかった。それ故に危険なものに対する感覚が薄く、視座の高さと環境故に理解が出来なかった。


 人間でなくても生物であれば大なり小なり未知のものや自分より強大な存在に対する恐怖はあるものだ。しかしそれがないルゥにとって、逆に未知のものや強大な存在というのは純粋な興味の対象でしかない。


 彼が冒険者になったのも、常に危険な事に身を晒す冒険者を知ることで彼なりに人間を理解しようとしているのである。


「まあ、ルゥ。愛しの貴方! 今日はここにいたのですか?」


「げっ」


 アイテムショップの中に入った人物を見て、ルゥはあからさまに嫌悪感のこもった声を出した。


「おお、『狩人』イレーナ・ガステノス! 今日もまた一段と美しい!」


「きゃあああ! イレーナ様ぁ! 私にサインをくださーい!」


「……はぁ」


 ルゥに声をかけた女冒険者の登場にアイテムショップは黄色い声で一杯になり彼は急激に不機嫌になる。


「ははは。人気者はこれだから辛いわね。だがファンサービスは後にしてちょうだいな。私はちょっと彼に用があるのですから」


 黄色い声援を受ける女冒険者こと、イレーナ・ガステノスは他の冒険者や市民たちに笑顔を向けながらルゥに近づいてきた。


 狩人らしいローブやその下に身に着けられた道具の数々。背には彼女の武器であるボウガンが紐で固定されていて、矢筒には魔術的な刻印が刻まれた矢がたくさん入っている。


「やれやれ。君みたいな人気者が一人で休業中の一介の冒険者に何の用かな? 滅多にしない休業日なんだ。さっさと用件を言ってくれないかい?」


「ふふ。そんな不愛想な君も素敵よ。あ、でもあれこれと言うのは君に相応しくないわね。単刀直入に言いましょう。ルゥ、私と一緒にパーティーを組まないですか?」


 宣言通りの単刀直入な申し出。ここだけに限らず、冒険者ギルドを有する王都のどこにでもある出来事イベント


 しかしイレーナが言うと違う。


 彼女は王都の冒険者でも屈指の実力者。「狩人」を異名として呼ばれるほどの冒険者として名を馳せている。更に王国軍にもその技術を提供し、フェムノス王国と過去に交戦した際もたちまち翻弄して撤退に追い込んだこともある、まさに「英雄」として、多くの人々に愛されている存在だ。


 その名声は、ルプランス王国にとって敵国でもあるフェムノス王国出身であるということを打ち消すほどに。


「このやりとり。何度目になるかわからないけど、変わらず答えは一緒さ。君もよくわかっているだろ? 君のような一流の冒険者なら、オレみたいなそんじゃそこら辺の冒険者なんかではなく、それこそ実力のある人と組むべきだと思うんだけどね」


「そう謙遜けんそんしないの。確かに、私と釣り合う冒険者はそうそういないでしょうね。だけど、私は君こそ私のパーティーに相応しいと思って誘っているの。君の事を高く買っているし、誰よりも認めているのよ?」


「それはおかしな話じゃないかな。少なくとも、オレは君のような有名人の前で実力を見せた覚えはない。実力もお高いわけじゃない平凡な男さ。ちょっと嘘つきで陽気なだけが取り柄の半人前だぞ? 他を当たったほうがいいんじゃないかな」


「確かに君は嘘つきかもしれないわね。その評判はよく聞いてますとも。でも……」


 イレーナはそう言うと、ルゥのすぐ隣に座った。


「本物の嘘つき狼さんとなれば、話は別でしょう? 君の事は、私もよーく知っているのよ」


「!」


 周囲に聞こえないように喋る彼女の言葉にルゥの表情は変わる。


「……おかしいな。なぜわかる?」


「私の目はちょっと特別でね。相手のを見抜く目を持っているの。これのおかげで何度も命を救われたわ」


「『払飾ふっしょくの魔眼』……。聞いたことはあったけど、君がそれを持っているわけか」


「そう。つまり、貴方の正体なんて最初からもうバレバレ。仮に貴方が人狼であることがバレると都合が悪いでしょう?」


 イレーナの持っているという「払飾の魔眼」は、文字通り相手の虚飾きょしょく、魔術的な擬態ぎたい、変装の下にある正体を可視化して視ることが出来る魔眼だ。それは人狼の擬態も同様であり、周りから見ればルゥは人間の姿をしているように見えているが、イレーナの視界には常に人狼姿のルゥが映し出されている。


「確かに、オレの正体がバレるというのは色々と都合が悪いかもしれないねぇ。うん、確かに都合が悪い。それはそれで考えようだ」


「なら……」


 それを同意と受け取ったのか、イレーナのルゥの肩に手を伸ばそうとした。


「――――――だが、調子に乗るな。人間」


「……!」


 その時、ルゥの雰囲気が大きく変わる。


 両目はいつものの碧眼ではなく、爛々らんらんと赤く輝く《どうこう》の裂けた目をしており、眼前の女を射抜くように睨みつける。


「え、何? なんか変な感じが……」


「おい、植木鉢の花が妙に揺れているぞ!」


 それだけではなく、まるで周囲の草木……ボーモンが植えた植物や通り植えられている樹が揺れるような動きと圧が放たれていることに気づき、店内は軽く混乱する。


「このオレを勧誘する? 我が正体を見破った挙句、それを周囲に伝播でんぱしようという愚かしい考えを自ら露呈した時点で貴様はオレの信を無くしたも同然。――――――なんじ戯言ざれごとは聞くに能わず。我が怒りに触れたくなければ、即座に消え去れ」


 その口調は普段の陽気な男のものではなく、気品すら感じられるような、自然と大地の雄大さを物語るような威圧感の込められた声色だった。


「――――――」


 その圧を間近で受けたイレーナは冷や汗をかき、真剣な表情で受け止める。


 同時に彼の言葉に嘘偽りがないことを本能で感じ取っていた。仮にこのまま押し切ろうという姿勢を見せれば、彼はその本性を露わにし、目の前の女を八つ裂きにするだろう。


「ええ、わかったわ。今日はちょっと景気が良くないみたい。また、改めて勧誘をさせてもらうわ」


 イレーナが椅子から立ち上がると、ルゥはそれを見計らったように圧を解除した。


 周囲はいつも通りの雰囲気に戻り、植物も樹も何もなかったように大人しくなった。


「あ、そうそう。一つだけ言っておきたいことがあるわ」


「……なんだ?」


 出て行こうとした時、イレーナが再びルゥの方に振り向く。


「ここ最近、人狼の動きが妙に活発なのよねぇ。フェムノスの方もやけに騒がしいみたいで。まあ、貴方がこれを些事さじと受け取るか大事おおごとと受け止めるかは知らないけど」


「……」


「さよなら。――――――また会いましょう?」


 イレーナはそう言うと、店を出て行った。


「おい。あのイレーナの言葉って……」


「ああ、わかっているさ。多分だけど、実家の方で何かあったのかもね」


 ボーモンの問いにルゥは軽く言うが、その表情は極めて真剣なものだった。


「で、どうするんだ。お前は?」


「どうするも何も。事の成り行きを見守るだけさ。そういうのがイヤだから、あの森を出て行った。今だってそれは変わらない。……もしものことがあったとしたら、それまでのことさ」


「……そうか」


 ルゥの事情をそれなりに把握しているボーモンはそれ以上何も言えなかった。


 人間では解決が出来ない、人狼のコミュニティの中の問題。その問題と環境故にルゥは自らの意思で森を抜け出し、人狼社会の中より複雑な人間社会の中に身を投げ出した。


 その手助けをしたのがボーモンであり、その責任があるからこそ、彼はルゥの選択に口を挟むようなことはしない。


「悪い。今日はちょっと宿に帰る。少しばかり休んだ方がいいかもしれない」


「おう。お代はツケておくぜ」


 ルゥはテーブルから立ち上がり、そのまま店を出て行った。


 その足で真っすぐ宿に戻ったルゥは二階の自分の部屋に入る。


 長いこと宿住まいをしている彼で常に生活費もギリギリな彼ではあるが、妙に疲れてしまって、あまり動きたくないという感覚になっていた。


「……これが、だるいということか」


 森を出る前まで一度も感じたことのない感覚。自身の精神状態に由来するものから来る疲れだと改めて再認識をして、ベッドに体を投げる。


 いっそのこと、人狼の姿に戻って森の中を走り回ってしまおうかと考えた時。


「――――――聞こえますか。ルステラ様。わたしです」


「――――――アモレェか」


 聞き覚えのある女性の声が、自分の本当の名で壁越しに呼びかけられた瞬間、ルゥは目を見開き、ベッドから機械的に体を起こす。


「以前言ったことを覚えていないのか。次、オレの縄張りに入ったら承知しないと言ったはずだが」


「はい。承知しています。ですが、お耳に入れておきたいことがございまして。ここにまかりこしました」


「……お前がそう言ってここに来るということは、重要な案件だな。申してみよ」


 ルゥは声色と雰囲気を変え、壁越しにいる人狼の女……アモレェに言った。


「はい。……フェムノス王国に不穏な動きがあります。国境警備隊が我らの領域に侵入を始め、挑発行為を繰り返しており、一触即発の状態です」


「フェムノスが……。ここ最近は大人しくしているとは思っていたけど、連中は一体何を考えているんだ? イヤな予感がするな……」


「ええ。そして、氏族長……。リュカオン様よりルステラ様に伝言がございます」


「……父が?」


 森を出てからもう何年も父の名前を出されたルゥは眉間にしわを寄せる。


「森に戻ってきてほしいとのことです」


「同じことだ。オレはもう森には戻らない。何度も言ったはずだ。以前ラヴァーがこっちに来た時も同じことを言ったぞ。先に言っておくが、オレは今更ヴィルカシス氏族に戻るつもりはない。今のオレには、この国でやりたいことがあるからな」


 やりたいこと。


 今この場で咄嗟に思いついた言葉だが、なぜそんな言葉が出てきたのかわからない。人間社会で人間というものを学びたいからではなく、ただだけが出てきた。


 胸の中でジリジリとくすぶるその感情が何なのか。どう言語化したらいいのかわからないが、ただやりたいことだけが口から出てきた。


「……ルプランス王国の王城の方でもある話が出ております。フェムノス王国が動き出しているのも、それが原因かと」


「何? どういう話だ?」


「はい。――――――アンブラ王女とフェムノス王国の次期国王、エヴァンジェロ王子との婚約が決定しました」


「――――――なん、だと?」


 アモレェからその言葉が口に出て、ルゥは自分の心臓の機能が止まりそうなほどの衝撃に襲われたのだった。

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ルプランスの朝日 平御塩 @12191945

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