第359話 東京ロボゲームショウです! その一
九月の日も昇らない早朝に、真っ赤なキッチンカーが湾岸を走っていた。花柄のラッピング、側面に記された『メル・コモ・エスタス』の文字。メル子の移動販売車であるチャーリー号だ。
東関東自動車道のライトが車を照らしていたが、やがて夜明けの光がそれにとってかわっていった。
「ご主人様! 空が明るくなってきましたよ!」
運転席のメル子は溌剌とした笑顔でハンドルを握っている。それに対して黒乃は……。
「ふぁふふぁあああ〜、眠い……」
黒乃は助手席で大欠伸をして頭をもたせかけた。車の少ない早朝の高速道路は猛烈な眠気を誘う。二十二世紀は交通量が減り、車もほぼ電動になっているので、目を瞑ると走っているのか止まっているのかもわからない。微かなモーター音と、整備された路面をタイヤが擦る音だけが、目的地に近づいているのだと認識させた。
「ご主人様は徹夜で作業していましたものね」
「うん……今日はうちらにとって大事な日だからね、むにゃむにゃ」
そう言いつつも黒乃は完全に寝入ってしまった。二人がキッチンカーで向かっているのは幕張メッセだ。千葉県の美浜区に存在する巨大展示場である。
高速道路を降りると、やがてトラックに前後を挟まれた。すべて本日のイベント会場に荷物を搬入するための車だ。海辺の風が吹き込む巨大な会場に吸い込まれるように、次々とトラックが飲み込まれていく。チャーリー号もそれに紛れて会場に入った。
「ご主人様、到着しましたよ」
「うぉん? ふぁああ、いいドライブだった」
黒乃はいくつかのダンボールを持ってキッチンカーを降りた。既に搬入口には多くの人が行き交っている。皆、本日の巨大イベントの準備に右往左往しているようだ。
『東京ロボゲームショウ』
1996年から毎年開催されているゲームの祭典だ。日本有数の来場者を誇り、海外からも大勢のゲーマーやメディアが押し寄せる。
大手メーカーのみならず、中小メーカー、インディーメーカーも多数出店し、ステージイベント、ブースイベント、コスプレイベントが開催される。飲食店も立ち並び、会場はまさにお祭り騒ぎ。圧倒的熱量を持つ大イベントなのだ。
「ではご主人様、私はフードコートの方へ参りますので」
「おお! 頑張ってね!」
「はい!」
メル子は車を動かし、会場の裏手の方へと回った。屋外フードコートでキッチンカーを出店するのだ。会場を歩き疲れたゲーマー達が命からがらたどり着くオアシスだ。自然と気合も入る。
黒乃はそれを見送ると、荷物を抱えて搬入口から展示場のホール内部へと進んだ。
目の前に広がるのは巨大な空間。三十メートルもの高さを誇る天井にはバルーンがいくつも浮いている。広めの通路によって区切られたブースには様々なギミックを搭載した施設が設営されていた。巨大モニター、ミニステージ、シアター、ゲームの試遊台、アトラクション、販売展示、ビジネススペース。どこでもスタッフが忙しなく動き回っていた。数時間後には開場となるため、皆ラストスパートをかけているようだ。
「いやぁ、相変わらず活気があるなあ」
黒乃が歩いているのは三つあるホールの中央、大手メーカーのブースが並ぶエリアだ。一際豪華な設備によって、見るだけでも興奮が湧き上がってくるようだ。
「えーと、この辺だったか」
その中でもさらに豪華なブースが二つある。一つは
「先輩、こちらです」
「シャチョー! 遅いデスよ!」
聞き慣れた声に呼び止められた。振り返ると八又産業のブースから手を振る社員達が見えた。ゲームスタジオ・クロノスのディレクター兼、事務兼、会計を務める桃ノ木桃智と、プログラミングロボのFORT蘭丸だ。
「おお! みんな、おはようさん」
「黒乃サン、オハヨウゴザイマス」
「アイザック・アシモ風太郎先生! おはようございます!」
八又産業の職人ロボであるアイザック・アシモ風太郎は、ブースのプロデュースもしているようだ。
八又産業の主要な事業はもちろんロボット製造であるが、その他様々な機械の製造も行っている。車、自転車、戦車、カメラ、エアコン、果てはゲーム機器までなんでもござれだ。
このブースのメインはタイトクエストで使用されたイマーシブ(没入型)マシンの展示だが、その他にも同社が手掛けたゲーム類が扱われる。その内の一つが黒乃達に託された。
「ぐふふ、いよいよ『めいどろぼっち』のお披露目だからね。みんな気合入れていこう!」
「先輩、お任せください」
「シャチョー! お手柔らカニ!」
「あれ? フォト子ちゃんは?」
黒乃は八又産業の巨大なブースの隅に設置された三メートル四方の小さな小屋に視線を移した。
「中で……寝ていますよ」桃ノ木は汗を垂らして言った。
「まだ朝早いからねえ」
黒乃は改めてゲームスタジオ・クロノスのブースを眺めた。
周囲のブースに比べてあまりにも小さいが、知名度のないゲームの扱いなどどこも同じようなものだ。遥か昔は一メートル四方しかスペースを与えられず、その中に声優さんを立たせて強引に歌わせるブースもあったほどだ。
「おーい、フォト子ちゃんいるかい?」
黒乃はブースの後ろ側の扉を開けて中に入った。その途端、アメリカンな香りが鼻を刺激した。
「おや?」
中の椅子に座り壁にもたれかかって寝ていたのは、乱れ放題の大ボリューム銀髪が眩しいムチムチの女性であった。無駄にサイズが小さいタンクトップとホットパンツからは、盛大にお肉が溢れてしまっている。
その膝の上に頭を乗せて寝ているのは青いロングヘアの子供型ロボットだ。
「ルビーじゃん! なにしてるの!?」
ルビー・アーラン・ハスケル。FORT蘭丸のマスターであり、スーパープログラマのアメリカ人だ。膝の上のロボットはお絵描きロボのフォトンである。
「シャチョー! ゴメンナサイ! ナンかついてきてしまいまシタ!」
「またかい。ほら、フォト子ちゃんも起きて」
「……クロ社長、おはよう」
「はい、おはようさん」
黒乃がルビーをいくら揺すっても、お乳が揺れるだけなので放っておくことにした。
「さあみんな! 開場までもう少しだからね! 頑張っていくよ!」
「「はい!」」
ゲームスタジオ・クロノスのブースの目的は『めいどろぼっち』の展示である。また、めいどろぼっちと触れ合えるコーナーも用意する予定だ。
既にブースの中にはあらかた荷物が運び込まれている。それを整理して綺麗に並べ直さなくてはならない。
FORT蘭丸は脚立を立てて、ブースの全面上部に看板を掲げた。フォトンと桃ノ木は、ガラスケースの中にめいどろぼっちのボディを並べた。客が殺到した時のことを考えて整理券を準備し、配布の手順を確認した。製品の事前予約も受け付ける予定だ。
「よしよし、ほぼ完成かな」
黒乃は通路に立って自社のブースを眺めた。とても小さいがこの意義は大きい。東京ロボゲームショウは世界が注目する大イベントだ。長い月日をかけて育て上げてきたつぼみが、いよいよ花開く時がきたのだ。
思えば色々あった。
繰り返される企画会議……。
「黒ノ木社長」
地獄の合宿……。
「黒ノ木社長」
富士山に登り、月に飛び、異世界にも転移した……。
「黒ノ木社長!」
「ええ? ああ、うん。だれ?」
いつの間にか目の前には一人の女性が立っていた。細長い角メガネに、頭の上で大きく結ったお団子ヘア。藍色のタイトなスーツはデキる女を予感させた。
「あれ、藍ノ木さんじゃん」
「ごぶさたしておりますわ」
ロボクロソフトの若手敏腕プロデューサーであり、黒乃の高校時代の同級生でもあり、そして最強の横綱
「どうして藍ノ木さんがここにいるの?」
「どうしてって、隣が我がロボクロソフトのブースだからですわ」
黒乃はそちらに目を向けた。今年最大の規模を誇るロボクロソフトのブースには、これでもかという試遊台が詰め込まれていた。
「ロボクロソフトは手掛けているゲームが多いからねえ」
「オホホ、どちらがロボゲームショウの話題をかっさらうか、勝負ですわね」
黒乃はぽかんと口を開けて藍ノ木を見つめた。正直なところ、大手パブリッシャーと揉め事を起こしたくはない。ロボクロソフトはライバルではあるが、クライアントでもあるからだ。ゲームスタジオ・クロノスはロボクロソフトの業務を請け負っているのだ。
「えへへ、えへへ、お手柔らかに」
「藍ノ木先輩、お久しぶりです」
背後から声をかけてきたのは桃ノ木だ。その声を聞いた瞬間、藍ノ木は猛烈な勢いで桃ノ木に迫っていった。
「まあ! 桃ノ木さん、お久しぶりね!」
桃ノ木の腰に腕を回し抱き寄せ、頬をくっつけた。
「黒ノ木社長のところでさぞご苦労をなさっていることでしょう? いつでも我がロボクロソフトにいらっしゃっても構いませんからね!」
「いえ、結構です」
桃ノ木は藍ノ木を引き離すと、黒乃の後ろにそそくさと隠れた。
「あ、じゃあ藍ノ木さん、準備があるから」
「オホホ、黒ノ木社長、正々堂々参りましょう」
藍ノ木は腰をくねらせながら自分のブースへと戻っていった。
「先輩、怖かったです」桃ノ木が黒乃の腕にしがみついてプルプルと震えた。黒乃は無情にも桃ノ木を押しのけると、ブースの前に立ち白ティーで丸メガネを拭った。
「さあ! いよいよ開場の時間だよ! 準備はいいね!」
「「はい!」」
イベントホールに開場を告げるアナウンスが響いた。通路に溢れていた各ブースのスタッフ達は一斉に自分の持ち場へと戻った。
波乱の東京ロボゲームショウが開幕を迎えた。
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