第358話 ULキャンプです! その三

 九月の日差しがご主人様とメイドロボを照らした。ようやく暑さもおさまり、汗をかかずに自転車を漕げるようになった。八又はちまた産業から無断で借りた電動自転車ならなおさらだ。微かなモーター音を響かせながら、爽やかな朝の土手を走った。


「ふぅふぅ、いや〜きもちいい!」

「今年は暑かった分、程よい日差しが最高ですね!」


 荒川の河川敷は広く、大きな広場や野球場、テニスコートなどが整備されている。

 河川敷とは川と堤防の間にある開けた場所のことだ。普段は市民の憩いの場になっているが、大雨や台風がきた時は災害を防ぐ役割を担うことになる。この河川敷に水が溜まることにより、洪水を防ぐ仕組みだ。

 そのような災害がない平時の有効利用として、誰でも河川敷は自由に使用していいことになっているのだ。


「ぶんぶーん、ちりりん、ちりりん」


 勇ましい音を口から発しながら子供用電動自転車を漕いでいるのは、赤いサロペットスカートが可愛らしい少女、紅子だ。


「ぶーん、黒乃〜、はやく〜」


 紅子は目の前を走る黒乃を急かした。背後からはメル子がその様子を見守っている。


「紅子ちゃん! あまり速度を出したら危ないですよ!」

「ぶーん、へいき〜、ちりりんりん」

「ちゃんと私の後ろについてくるんだよ」

「は〜い」


 三人は縦一列になって荒川の土手を進んだ。今日は休日のため、ランナーやレーサーが細い道を行き交っている。河川敷にはピクニックにきた一家、どこぞのスポーツサークル、立派なトレッキング装備に身を包んだご老人の集団などがひしめいている。

 だが、黒乃達が目指す先は人気のない寂れたエリアだ。


「キャンプ、たのしみ〜」

「ふふふ、今日は子供でも気軽に楽しめるモーニングキャンプだからね。ULキャンプの中でもさらに装備が少ないザブトニングだし、のんびり川キャンを楽しもうよ」

「謎の単語の連発でわけがわかりません!」


 これらの用語について説明をするのが順序であろう。

 諸兄らはデイキャンプという言葉はご存知だろうか。お泊まりなしの日帰りキャンプのことである。それに対しモーニングキャンプとは午前帰りのキャンプのことだ。朝出かけて昼には帰る。圧倒的にお気軽なキャンプなのだ。

 そしてULキャンプとはUltra Light、超軽量キャンプのことで、装備重量を徹底的に軽くするスタイルのキャンプだ。その中でもザブトニングは超ULともいうべきもので、テントも寝袋も椅子もなにももっていかない。座布団だけで楽しむキャンプスタイルを言う。

 実際黒乃とメル子が背負っている小さなリュックサックは総重量三キログラムしかない。ギア、水、燃料、食料、全てを合わせた重量だ。

 川キャンとはその名の通り、川辺で楽しむキャンプだ。山に登る必要もないし、お金を払ってキャンプ場にいく必要もない。自転車で近所の河川敷にちょちょいで到着というわけだ。



 やがて三人の自転車はヨシが生い茂る人気のない河川敷にたどり着いた。夏が終わり、成長しきったヨシの林をかき分けて進む。既に何回か訪れているので獣道のようなものができていた。少し進むとぽっかりと開けた場所にでる。目の前には荒川の水面。周囲はヨシの林。都会から隔絶されたようなこの穴場スポットがキャンプ地だ。


「ふぅふぅ、やっと到着」

「つかれた〜」

「紅子ちゃん! さあ、座布団に座ってください!」


 メル子は背中のリュックを下ろすと、中から座布団を取り出した。地面に敷き、その上に腰を落とす。するとどうであろう。急に世界が広がったように感じた。視点が低くなることで、自分が小さな獣になったような気分になるのだ。空は広がり、川が迫ってくる。自然と一体化したのだ。

 三人は足の疲れが癒えるまで、しばらく座布団の感触を楽しんだ。


「もはやお馴染みのザブトニングですね」

「これがないと始まらないからね」

「黒乃〜、おなかへった〜」


 紅子に促され、黒乃とメル子は調理の準備に入った。


「ご主人様、今日はなにを作るのか聞いていないのですが……」

「今日はね、紅子のリクエストでカレーだよ」

「カレーすき〜」

「キャンプの定番メニューですね!」


 リュックから道具を取り出した。小さなチタン製の焚き火台、固形燃料の缶、円筒形のクッカー、そして食材だ。


「えーと、私の方はご飯を炊けばいいのですね? カレーはご主人様が作ってくださるのですか?」

「そうだよ。黒ノ木家特製カレーを作るからね。楽しみにしてよ」

「はい! あれ? 紅子ちゃんも大きなリュックを背負っていますが……なにが入っていますか?」


 紅子は体の大きさには似合わないほどのリュックを背負ってきていた。今は大事そうに胸に抱えている。鼻歌を歌い、リュックのチャックを開けた。すると中から出てきたものは、体長六十センチメートルの小熊ロボであった。


「ワトニー!?」

「ぶぶぶぶ! きゅいー」


 メル子は紅子の手から小熊ロボを奪い取ると、思い切り抱きしめて頬擦りをした。


「ワトニーを連れてきてしまったのですか!?」

「モンゲッタもいっしょにキャンプする〜」


 ワトニー、またはモンゲッタ。

 マッドサイエンティストロボであるニコラ・テス乱太郎によって生み出された小熊ロボだ。夕方に放送しているアニメに登場する巨大ロボ、ジャイアントモンゲッタのパイロットだ。


「かえして〜」紅子は再びモンゲッタをメル子の手から奪い返すと、もふもふの毛皮に顔を埋めた。



 いよいよカレー作りが始まった。

 キャンプのド定番であり、子供にも人気のメニューだ。どう作っても美味しく、かつ個性も出しやすいというありがたい料理だ。


(調理の動画は作者のX/Twitterにあるので合わせて見てね)


「まずは食材を切らないとね。メル子、タマネギとニンニクのみじん切りをお願いね」

「お任せください!」


 メル子は折りたたみ式のまな板を広げると、その上に食材を並べた。小さなナイフにもかかわらず、恐ろしい速度で食材を刻んでいく。


「メル子〜、すごい〜」紅子とワトニーは横からそのスゴ技を覗き込んだ。

「メイドロボですから!」


 その間、黒乃は焚き火台を設置した。チタンの板を組み合わせるだけの簡素なものだ。それをカレー用と肉用の二つ準備する。

 固形燃料缶の蓋を開けて、メタルマッチで着火した。それをそれぞれの焚き火台の中に置く。片方にはクッカーを乗せ、片方には鉄板を乗せた。


「ご主人様! 野菜が切れました」

「ありがとう。じゃあ次は肉を焼いてもらおうかな」

「カレーの中に入れるお肉ですか……デカっ!?」


 黒乃が手渡したのは豚ヒレのブロックであった。


「このお肉はどう切りましょう?」

「そのままでいいよ。丸ごと焼いて」

「丸ごと!? お肉の丸焼き好きですねえ」

「肉は丸ごと焼いてなんぼでしょ」


 メル子はトングで肉塊を摘み、鉄板の上に乗せた。途端に自然界では絶対発生しないような小気味よい音が河川敷に流れた。

 黒乃はクッカーに油を引き、謎の食材を入れた。こちらも油が跳ねる軽快な音が踊った。


「カレーにマッシュルームですか!?」

「ふふふ、これが黒ノ木家流」

「きのこ〜」


 メル子は肉をこまめにひっくり返して焼いた。徐々に焦げ目がついてきた。黒乃も必死にマッシュルームを炒めているようだ。色が変わり、黒くなり始めている。


「ご主人様、炒めすぎでは!?」

「マッシュルームは焦げる寸前まで炒めるのだ」


 そこにすかさずニンニクとタマネギのみじん切りを投入する。軽く色がつくまで炒めたら、水を入れ二十分煮込む。


「ふぅふぅ、よしよし。ここまできたら一段落。じゃあメル子、肉をここに入れて」

「まだ切っていませんよ?」

「丸ごと入れて」

「肉塊をそのまま煮込むのですか!?」

「うむ」


 メル子はトングで肉を摘むと、恐る恐るクッカーの中に入れた。


「すごい〜」

「ハッハッハ、カレーは豪快にいかないとね」


 肉を煮込んでいる間、炊飯を行う。鉄板をどけ、水に浸した米が入ったクッカーを代わりに乗せる。


「お米はお任せください!」

「頼んだよ」

「ライス〜」


 しばしのんびりとした時間が戻ってきた。グツグツとカレーが煮える音、炊飯の圧力でクッカーの蓋が揺れる音、どちらもなぜか心を落ち着かせた。


「そろそろ仕上げかな。最後にカレールーを入れて十分間煮込む」

「ご飯が炊きあがりました! 十分蒸らせば完成です!」


 黒乃がカレールーをクッカーに入れると、途端に情景が変わった。荒川がガンジス川になったのだ。水面に目を凝らすとマッチョメイドとマッチョマスターがバタフライで通り過ぎていった。これは現実だろうか?


「ああ、ああ。カレーの香り、たまらん!」

「美味しそうです! ……あれ?」


 メル子はなにかに気がついたのか、プルプルと震え出した。


「どした?」

「ご主人様……大変です!」

「なにが?」

「このカレー……おジャガが入っていませんよ!」

「入っていないね」

「今からスーパーで買ってきます!」


 メル子は立ち上がって走り出そうとしたが、黒乃がメイド服の裾を摘んで引き止めた。


「メル子……黒ノ木家のカレーにはジャガイモは入っていないんだ」

「おジャガが入っていない!? そんなバカな!? おジャガが入っていなければカレーではありませんよ! 買ってきます!」

「メル子、受け入れなさい。カレーにジャガイモはいらないんだ」


 メル子は顔を真っ赤にして食ってかかった。


「ハァハァ、信じられません! おジャガのないカレーが、果たしてカレーと呼べるのでしょうか!?」

「メル子〜、おちついて〜」

「きゅいー」


 紅子とワトニーに嗜められ、メル子は座布団に座った。


「ハァハァ、わかりました。ご主人様がそこまで言うのなら、試してみようではありませんか。ハァハァ」


 とうとう黒ノ木家特製カレーライスが完成した。

 小さな器にライスを盛り、そこにルーをかけながらいただくスタイルだ。ルーはややシャバシャバしており、ニンニクとタマネギは完全に溶けている。見える具はマッシュルームと巨大な肉塊のみ。


「「いただきます!」」


 三人と一匹は一斉にカレーをかっこんだ。


「んん!? 美味しい! 美味しいです!」

「うまうま〜」

「きゅっきゅ」


 ルーは酸味と少しばかりの苦味を感じる。強めに炒めたマッシュルームの力だ。それは香ばしさに加え、複雑な旨みを滲み出させていた。


「これがマッシュルームの効果ですね! ニンニク、タマネギの旨み。さらに肉塊から溢れるワイルドな旨み!」

「黒乃〜、おにくもたべたい〜」


 紅子はクッカーの中の豚肉をよだれを垂らして眺めた。


「ほいよ。ガブっといきなよ」


 黒乃は肉塊をトングで摘み、紅子の前に差し出した。


「お肉を共有するシステムですか!?」

「そうだよ、みんなでかじりつこうよ。家族なんだからいいでしょ」


 紅子は肉にかじりついた。煮込まれた肉は繊維が柔らかくなり、前歯でさくりと噛みちぎられた。肉汁とカレーが合わさり、この上ない満足感が口の中に広がった。


「うま〜」

「どれ、ご主人様もいくか」

「私にもください!」

「ぶぶぶぶぶ」


 皆でバクバクと肉にかじりつく。肉は一瞬でこの世から消え失せた。


「ふ〜、メル子、どうよ?」

「なにがですか?」

「ジャガイモなくても美味しいでしょ」


 すっかりそのことを忘れていたメル子は一瞬スプーンの動きを止めた。


「確かに……マッシュルームのプリプリ食感があるので、ひょっとしたらおジャガのホクホク食感とぶつかってしまう気もします」

「でしょう?」

「でも、あった方がいいとは思いますけどね!」

「メル子〜、がんこ〜」


 一行はカレーを完食した。メル子が紅茶を淹れ、一息ついた。

 紅子は黒乃の膝の上で、ワトニーはメル子の膝の上でうたた寝をした。川の流れと雲の流れと時の流れを全身で味わった。

 これがモーニングキャンプ、これがザブトニングだ。


 一行は綺麗に後片付けをしてから帰路に就いた。





 川辺のアシの林から金髪縦ロールのお嬢様と、金髪縦ロールのメイドロボが現れた。


「オーホホホホ……カレーかぶりですのー……」

「オーホホホホ……おフランスのカレーを召し上がれですのー……」


 二人は誰もいない河川敷で呆然と立ち尽くした。


「出てくるタイミングを逃しましたの……」

「一家団欒に割って入れませんでしたの……」


 荒川の水面をスパイシーな香りがどこまでも漂っていった。

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