第357話 稽古をします! その二

「メル子、今から稽古にいくよ」


 昼食を終え、シンクで洗い物をしているメル子は食器を持つ手を止めた。


「稽古というのは、お相撲の稽古のことでしょうか」

「もちろんそうだよ」


 メル子は食器を全て片付け終えると、エプロンで手を拭きながら床に寝転がる黒乃の前に正座をした。


「まさか、また大相撲パワーが切れたのですか?」

「うん、どうやらタイトバースで使い切っちゃったみたいなんだよね。だからまた浅草部屋に補充にいかないとね。それと浅草場所も近いからさ。そろそろ本格的に動き出してもいいかなって」

「ちょっと情報量が多くて頭に入ってこないですね」


 黒乃は日本中のロボットが異世界に囚われたタイトバース事件を解決するために、タイトバースで大冒険を繰り広げたのだ。タイトバースでの黒乃のジョブは力士すもーふぁいたー。力士として異世界で戦い抜き、そして世界を救ったのだ。その結果、体内の大相撲パワーを消費し尽くしてしまった。

 そして浅草場所とは、毎年秋に浅草寺境内で開催される女性力士による大会のことだ。黒乃は前大会、準優勝の成績を収めた。


「相撲部屋で稽古をすると、大相撲パワーが充填されるメカニズムもさっぱりわかりませんが……」

「まあ相撲は元々神秘的なものだからね。科学で割り切れないこともあるさ」

「この二十二世紀にそれで納得してしまっていいものでしょうか……」


 メル子は若干青い顔で目の前のご主人様を見つめた。


「それに今日は大相撲ロボに呼ばれているんだよ」

「大相撲ロボにですか?」

「うん、なにかあるのかなあ?」


 なにはともあれ、二人は浅草部屋へと向かった。



 ——大相撲浅草部屋。

 浅草寺の裏手にある相撲部屋。質素な和風建築の建物の中から、今日も元気に力士達がぶつかり合う音が聞こえてくる。


「たのもー」

「よろしくお願いします!」

「黒乃山! メル子さん! 待っていたッス!」


 入り口で黒乃とメル子を出迎えたのは、二メートルを超える巨体を持つ大相撲ロボだ。立派な幕内力士である。

 稽古用のマワシをしめ、身体中に砂を付着させている。厳しい稽古の様子が伺えた。

 大相撲ロボに案内されて稽古部屋に入ると、弟子達は稽古の手を止めて一斉に黒乃に群がってきた。


「黒乃山!」

「黒乃山だ!」

「いやぁー! すてき!」

「ハッハッハ、みんな稽古は頑張っているかい?」

「説明します! ご主人様は大相撲の世界ではアイドル的な存在になっているのです! わけがわかりません!」

「今日もたっぷり稽古をして、大相撲パワーを補充させてもらうよ」

「お願いするッス!」

 

 黒乃は一旦奥に引っ込むと、白ティーにマワシ一丁という出で立ちで戻ってきた。既に先程までののんびりとした雰囲気はなく、歴戦の猛者としての風格を漂わせていた。弟子達はその空気を鋭敏に感じ取り、冷や汗を流した。


「ぷきゅー! ぽきゅー! そりぇでは、稽古をはじめるっしゅお!」


 黒乃山は稽古場の土俵の真ん中に陣取った。


「さあ、だれが相手っしゅか!」

「自分がいくッス!」

「エポキシの里、どんとくるっしゅ!」

「相変わらずキラキラ四股名しこなが多い部屋ですね……」メル子は呆れて土俵の中の二人を眺めた。

「親方の趣味ッス!」すかさず大相撲ロボがフォローを入れる。


 エポキシの里は黒乃に組み付くと、遥かに大きい体を巧みに操り、フェイントをかけてから寄った。しかし黒乃山はそれを読んでいたのか、素早い足捌きで体を入れ替え、土俵の外に追い出した。


「次は自分ッス!」

「ぽきゅー! 廻天寿司! 遠慮せずにぶつかるっしゅ!」

「なぜこんな四股名を……」

「実家が回転寿司屋ッス!」


 廻天寿司は寿司を握る要領で黒乃山のマワシにそっと手を添えた。シャリを潰さないように、繊細な手つきでマワシを握る。しかし空気を充分に含んだシャリが口の中でほろほろと崩れるように、廻天寿司は地面に転がった。


「握りがあまいぎょ! 次!」

「密猟の海、いきます!」

「犯罪行為を四股名にするのはやめた方がいいかと思いますが……」

「密猟をしてはならないという戒めッス!」


 密猟の海は小兵ならではの身軽さを活かし、水中を突き進むカジキのように黒乃山の股の間をくぐり抜けた。さすがに虚をつかれた黒乃山は密猟の海を見失い、見事密猟成功かと思われた。調子に乗った密猟の海は再び股の間をくぐり抜けるべく、姿勢を低く構えた。しかしその動きを予想していた黒乃山は股の下を通る瞬間を狙って巨大なケツを落とした。巨尻の下敷きになって悶えるその姿は、網にかかった魚のようであった。


「もきょー! 次!」

「ガブリエルッス! お願いするッス!」

「シンプルに天使が出てきましたね。見た目は天使とは程遠い毛むくじゃらのおっさんですが……」

「背中の毛が天使の羽のように見えるところから名付けられたッス!」

「正気ですか……」


 ガブリエルは真正面からぶちかました。黒乃山はその巨体をしっかりと受け止める。相手の胸に顔をつけ、上手をとった。しかしガブリエルの胸毛がさわさわと黒乃山の鼻をくすぐり、盛大にくしゃみを炸裂させた。ここぞとばかりに攻めるガブリエル。だが突如奇声をあげて土俵に転がってしまった。


「どうしました!?」

「丸メガネに胸毛が絡まって引きちぎられたみたいッス」

「天使のようなデリケートさ……」


 今日一番の巨漢が土俵に入った。


「黒乃山! お相手願うッス!」

「イベリコ豚! 手加減は抜きだぞ!」

「もう単なる悪口ですよね?」

「イベリコ豚の好物がイベリコ豚なんス」

「もはや、ウンコをするからウンコ山と言っているのと変わりません!」


 イベリコ豚はブヒブヒと鳴きながら突進した。さすがの黒乃山もこの巨体が相手ではひとたまりもないと皆が思ったものの、現実は違った。


「電車道ッス! 黒乃山の寄り切りッス!」


 大歓声があがった。


「いやぁー! 黒乃山すてき!」

「黒乃山!」

「黒乃山!」

「もきゅー! もきゅー! これで全員っしゅか!?」


 稽古場に大きな拍手が巻き起こった。メル子は走りよると、黒乃山の体中に浮いた汗をタオルで拭った。

 次の瞬間、汗は凍りついた。稽古部屋に現れた浅草親方の背後にいる人物に、全員が釘付けになった。

 脂肪が少なめの筋肉が浮いた体。力士の中では平均的な身長であるはずが、その氷のようなオーラは必要以上にその者を大きく見せた。柔和な表情の奥に見える猛禽類のような鋭い眼光は見るもの全てを萎縮させた。立派な髷は王者の貫禄を備え、藍色の浴衣は圧倒的上位者の芳香を発した。

 その者は稽古場に立つと、弟子達を順に眺めやった。


「横綱!」

「横綱だ!」

藍王らんおう!」

「藍王関!」


 第九十四代横綱、藍王らんおう。スカイツリー部屋所属。出身地尼崎。

 現在唯一の横綱にして、最強の名を欲しいままにする伝説の力士である。


 弟子達は震え上がり、全員壁際に整列をした。浅草親方が口を開いた。


「みんな、聞いてくれ。藍王関が極秘で出稽古にきてくれた。こんな機会は滅多にない。存分に胸を貸してもらえ」


 親方が引っ込むと藍王は浴衣を脱ぎ捨てた。完璧に仕上がった肉体を晒しながら横綱は土俵に立った。そして足を大きく振り上げ四股を踏む。その瞬間弟子達はありえない光景を見た。満員御礼の国技館を。


「わの光もちて闇照らしあまねく世のきよげに悲しくおぼゆる」横綱は静かに言い放った。


「今、なんて言いました?」メル子が呆気に取られている間、弟子達は壁際で怯えていた。

 だれも土俵に出ていこうとしない。まるで直径4.55メートルの円に結界が張られているかのようだ。


 その時、白ティー丸メガネの力士が土俵に入った。


「むきゅー! ぽきゅー! だれもやらないなら私がやるっぴょ!」


 稽古場にざわめきが広がった。圧倒的質量感を持つ横綱と、細長い体の黒乃山の対比はあまりにも不釣り合いである。だが弟子達の心の中には微かな光が見えていた。黒乃山ならなにかをやってくれるのではないかという微かな希望が。


「汝、黒乃山なるや?」

「ぷきゅ! その通りだぎょろ!」


 横綱は腰を落とし、両腕を広げた。それを見た黒乃山は顔を赤くした。誘っているのだ。黒乃山はいつの間にか突進していた。自分でも気が付かなかったが、体が先に反応してしまった。


「黒乃山のぶちかましを喰らうにょろー! イダッ!?」


 黒乃山は土俵に転がっていた。信じられないという様子で横綱を見上げた。投げられたのではない。弾き飛ばされたのだ。


「え!? 岩!? 人間にぶつかった感触じゃないぽき!」

「我に挑みきたる幾千幾万の屍が、我に夕星ゆふつづも通ふあまぢを歩ませき」


 黒乃山は立ち上がり、再びぶちかましを仕掛けた。結果は同じであった。横綱を毛先ほども動かすことすら叶わなかった。


「ぷふぅー、神もきょ……相撲の神もきょ!」


 黒乃は地べたに這いつくばり震えるしかなかった。本物の力士というものをその身をもって実感した。大相撲パワーはこの藍王から生まれ出でているのではないかという神秘さえ感じた。


「負けたにょろ……完敗にょろ……うわおおおおおおお!」


 黒乃は地面で泣いた。丸メガネから大粒の涙がこぼれて砂に染み込んだ。拳で地面を殴りつけた。メル子は慌てて黒乃に走りより、その背中を撫でた。


「どこの世界に横綱に相撲で負けて悔しがる一般女性がいますか」メル子は呆れ顔で涙を拭いた。


「あ、お兄ちゃん! いたいた」


 突然、稽古部屋に一人の女性が踊り込んできた。細長い角メガネをかけ、頭に大きなお団子を結ったクールな女性だ。タイトなスーツと細いハイヒールはデキる女を演出していた。


「藍藍、なすれぞ此にいますがりけり」

「もう、付き人にも内緒で出かけたらダメじゃないの。スカイ親方も探してたわよ」

「げにゆるしたまへ」

「じゃあもう、帰ろう……あれ?」


 その女性は地面に転がる黒乃を見つめた。


「ん?」

「……」


 黒乃山を見つめる女性の顔がみるみるうちに青くなっていった。髪を整え直し、表情を作り、姿勢を正して黒乃に向き直った。


「オホン、どうして黒乃さん……いや黒ノ木社長がいらっしゃるのかしら?」

「んん、あれ? 藍ノ木さんじゃん」


 藍ノ木藍藍あいのきあいらん

 台東区に存在する大手ゲームパブリッシャー、ロボクロソフトの若手プロデューサーだ。フォトンを引き抜こうと画策する曲者である。


「ご主人様、どなたでしょうか?」

「藍ノ木さん。高校時代のクラスメイトだよ。今はロボクロソフトで働いてる」

「はぁ、同業者の方ですか」


 藍藍は藍王の背中を押して部屋から退散しようとした。去り際に「黒ノ木社長、新作の発売を楽しみにしておりますわ、オホホ」と捨て台詞を吐いて去っていった。



 黒乃達は浅草部屋でちゃんこをご馳走になった後、帰途に就いた。

 夕日に照らされる浅草寺を横目に見ながら静かな路地を歩いた。


「イタタ、イタタ、体中が痛い!」

「ご主人様、大丈夫でしょうか」


 メル子は黒乃の背中をさすりながらボロアパートへの道を歩いた。


「あの横綱、本当に人間なの!?」

「デビュー以来、一度も黒星がないそうですよ。大横綱です」

「イタタタ、ご主人様だってタイトバースじゃ横綱すもーきんぐだったのになあ」


 黒乃は地面に視線を落とした。心なしかいつもより歩幅が小さい。充分に補充された大相撲パワーが行き場を失い溢れ出しそうだ。


「いつか、絶対に藍王を倒してやる」


 その言葉を聞き、メル子は仰天した。


「ご主人様……」

「ん? なんだい?」

「常識的に考えて、なぜご主人様が横綱を倒さなくてはならないのか、まったく意味が不明です」

「だって、どっちが本物の横綱か白黒つけたいでしょ。相撲だけに」


 メル子は心底呆れた。

 どうやら、うちのご主人様にそんな常識は通用しないようだ。やるといったからにはやる。ひょっとしたら、そのうち本当に横綱を倒してしまうのかもしれない。


「うふふ」

「ワロてるけど」

「うふふふ、ご主人様のやられっぷりが面白くてつい」

「ええ? なによそれ」

「うふふふ」


 二人は支え合いながら浅草の町を歩いた。

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