第355話 作者が倒れました!

「どうも黒乃です」

「メル子です」

「単刀直入に申しますと、作者のギガントメガ太郎先生が倒れました」

「簡単にあらましを申し上げます。某日深夜、持病である呼吸困難の症状が急激に悪化。呼吸ができなくなり、意識を失い廊下で倒れました。その際、頭を打ち負傷。すぐに意識は取り戻したものの、意識朦朧。家族が救急車を呼び、病院に搬送。検査を受けるも頭の擦り傷以外どこにも異常なし。異常がないので処置のしようもなく、朝タクシーで帰宅といった運びになります」

「詳しい話はギガントメガ太郎先生から直接伺いたいと思います」





 みなさん、こんにちは、ギガントメガ太郎です。

 瀕死状態になりながら必死に読んでいた本を紹介します。

 ネヴィル・シュート『渚にて』1957年。

 あらすじを紹介します。ネタバレを含みますのでご注意ください。


 第三次世界大戦により核戦争が勃発。何千発という核兵器が北半球で炸裂しました。その結果、北半球の人類は死滅。わずかに無事で残ったのはオーストラリアなど、南半球の都市のみです。

 しかし、放射能の脅威は容赦なくオーストラリアにも押し寄せてきています。その期限はほんの数ヶ月。人類が滅亡するまであとわずかといった状況で生き残った人々がどう生きるのかを描いた作品です。

 オーストラリアの人々は絶望して混乱の渦に巻き込まれるのかと思いきや、皆いつも通りの日常を送っているように見えます。人類滅亡が迫っているのは誰もが理解しています。それでも人々はそれぞれの仕事を続けようとするのです。

 放射能は確実にオーストラリアを覆い尽くします。人々の体が徐々に蝕まれていきます。その時、人間はなにをするのか? なにを思うのか? 一切の妥協なく、えげつない最後が淡々と描かれます。



 いったい私はなぜ自分が瀕死の状態でこんな小説を読んでいるのか? たまたまです。内容も知らずにアマゾンで適当に購入しました。いつもそうです。

 呼吸もまともにできない状態で唯一できることは、本を読むことでした。当然自分の状態と死んでゆく登場人物達を重ね合わせてしまいます。

 正直、絶望しました。自分もこんな感じで死んでいくのだろうかと思いました。



 まず私には『化学物質過敏症』という持病があります。日常に存在するあらゆる化学物質、柔軟剤、香水、シャンプー、消臭剤、脱臭剤、ヘアスプレー、農薬、排気ガス、殺虫剤、蚊取り線香、その他数えきれないほどの物質が私の敵です。これらを吸い込むと呼吸困難の症状が強くでます。その他、頭痛、めまい、吐き気など多種多様な症状が現れます。

 化学物質過敏症という病気は世間ではほとんど知られていません。『香害』という言葉で認知されていることもあります。化学物質過敏症の存在を知らない医師も多いですし、存在を認めていない医師もいます。

 化学物質過敏症を診断してくれる病院はほとんどありません。全国の患者が自分の症状がなんなのか知らずに苦しんでいます。保険も効きません。よって他人から理解されずに、阻害されて暮らしている人が多いです。

 一説によると日本の化学物質過敏症の潜在的な患者数は一千万人とも言われています。しかし、単なる『精神的なもの』として片付けられてしまうことも多いです。


 今回私が病院に担ぎ込まれた時もまさにそうで、いくらかの検査をして、異常がないから平気であるという対応しかされませんでした。これはしょうがないことです。知らない病気を診察したり治療したりはできませんので。

 私は猛烈な呼吸困難の中、帰宅しました。呼吸困難は今でも続いています。化学物質過敏症には治療方法も薬もありません。ただ、化学物質から遠ざかるように暮らすしかありません。もちろんそのように気をつけて生活はしています。しかし、何千何万という物質を完全に排除することは不可能です。


 私は先月コロナに罹りました。それ以降呼吸困難の症状が強く出るようになりました。後遺症ではないかと医師に伝えても関係ないの一言で済まされてしまいます。なぜなら検査の結果、肺は正常だからです。


 現状呼吸困難が辛すぎて、ただ寝ているだけで『死にそう』という感情が湧いてきます。治療方法がないので耐えるしかありません。この状態がそのうちおさまるのか、悪化するのかもわかりません。



 こんな状況の中で自分はなにをするべきか、『渚にて』を読んで考えました。

 主人公のタワーズ大佐は原子力潜水艦の艦長です。ヒロインであるモイラは牧場の娘です。二人はお互いに好意を寄せています。しかし、恋仲になることは最後までありません。もう放射能に汚染されて何日も生きられないという状況になってもそれは変わりません。

 なぜでしょうか? タワーズ大佐は既婚者で、子供もいます。しかし、アメリカに残してきたのでもうとっくに死んでいます。しかし、モイラと恋仲にはなりません。

 なぜでしょうか? それは彼が軍人だからです。軍人は規律を重んじ、ルールを守ります。タワーズ大佐は死ぬまでずっと軍人であり続けるためにそうしたのです。そして潜水艦で旅立ち、死にました。

 人類が滅亡する中で規律を守ることに意味があるでしょうか? しかし、『渚にて』の登場人物達はその意味のないことを貫いて死んでいきます。


 であるなら、私も小説を書いて死にたいと思います。別に死ぬと決まったわけではありませんが。


 呼吸困難で倒れる寸前、『死ぬかも』と思いました。怖さよりも『もったいない』という感情が働きました。床に倒れた状態で目を覚ました時、『ああ、まだ続けられる』と思いました。


 幸いにしてこの作品の最終回は200話で既に終えています。いつ終わってもいいのです。あとはどれだけ老人になった黒乃さんに近づけるかの勝負です。


 こんな話を作中に組み込むのは御法度かもしれません。同情を誘っていると思われるでしょう。ルール違反、マナー違反なのかも。全部その通りです。

 これを読んだ読者はこれ以降、同じテンションで物語を受け入れられないかもしれません。

 まあでも、なんでもやってみるのがこの作品の信条です。なので遠慮なく書きました。だからみなさんも遠慮なく笑って読んでください。


 それではみなさん、ギガントメガ太郎でした。ごきげんよう。





「はい、先生に語っていただきました」

「どうでしたでしょうか?」

「できる限り続けていきますのでね、我々の活躍を今後ともご期待ください」

「まったく更新されなくなったら200話を読んでください!」

「それでは、また次回お会いしましょう」

「「さようなら!」」

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