第353話 お留守番です!

 九月の朝。汗ばむ陽気の中、黒乃達は古民家の玄関前に立っていた。

 ここは浅草寺から数本外れた静かな路地に居を構えるゲームスタジオ・クロノス事務所だ。


「じゃあ、浅草工場にいってくるからね」

「……いってらっしゃい」


 黒乃と桃ノ木とFORT蘭丸は三人並んで事務所を後にした。今日は八又はちまた産業浅草工場での打ち合わせだ。

 黒乃が考案したプチロボットを使用した新作ゲーム『めいどろぼっち』は、いよいよ企画段階から本格的な制作工程に移った。プチロボットのスペックなど、決めなくてはならないことが山ほどある。

 青いロングヘアの子供型ロボットは三人を手を振って見送った。


「フォト子ちゃん。私もいってまいります」

「……いってらっしゃい」


 続いて古民家から現れたのは、青い和風メイド服を着た金髪巨乳メイドロボだ。その腕には大きな寸胴が抱えられていた。それを古民家の前に駐めてある真っ赤なキッチンカーへと運び入れた。

 今日はお台場の商業施設でのキッチンカーの営業だ。メル子は鼻息を荒くして運転席に乗り込んだ。


「フォト子ちゃん! 後は頼みましたよ!」

「……メル子ちゃんも気をつけて」


 フォトンは手を振ってド派手なキッチンカーを見送った。


 路地に静けさが戻ってきた。三回飛び跳ねてわざと靴で大きな音を出してみる。なんの反応も返ってこないのを確認すると、事務所の中へと戻った。

 まったく音のしない事務所は初めてかもしれない。いつも一番最初にくるのは桃ノ木で、一番最後に帰るのも桃ノ木だ。

 玄関で靴を脱ぎ、かまちに立つ。真正面には二階へと上がる階段だ。階段の横の廊下を進むと台所に突き当たる。

 フォトンは玄関すぐ左の部屋へと入った。ここが作業部屋である。机と椅子が四組だけの質素な部屋。掃き出し窓からは庭が見える。

 四組の椅子の一つに座った。黒乃の椅子である。勢いをつけて椅子を回転させた。


「……うふふ、社長になった気分」


 改めてすぐ左隣の自分の席に座り直す。まったく同じものなので、座り心地は変わらない。座面の高さが違うだけだ。

 モニタの電源をつけた。いつもの触手が這い回るアニメーションと共に、各種ウィンドウが表示された。


「……今日はモンスターのモデルを仕上げる」


 モデルツールを立ち上げ、ペンとタブレットを使用し、モンスターの細部を仕上げていく。これは台東区に存在するゲームパブリッシャー、ロボクロソフトから出された仕事だ。ロボクロソフトはタイトバースをリリースした会社でもある。


「……うふふ、かわいい」


 フォトンはご満悦な表情でペンを走らせた。八本足のモンスターの吸盤をリアルに表現することに勤しんだ。


 その時、作業部屋に電話の呼び出し音が鳴り響いた。驚きのあまりペンを落としそうになった。フォトンは硬直したまま黒乃のデスクの上の電話を凝視した。しばらくすると音がやんだ。


「……ふう、びっくりした」


 青いロングヘアが黄色に変化していた。発光素子が編み込まれた特製の毛髪だ。気分に合わせて色が変化する。


「……お仕事中なのに電話かけてくるなんて、無礼者」


 再び、呼び出し音が鳴った。フォトンは飛び上がり部屋から逃げ出そうとした。しかし、思いとどまり恐る恐る受話器に手を伸ばした。


「……ボクは大人だから、電話くらいできる」


 受話器を持ち上げ、耳に当てる。


「……はい、ロボロボ。ゲームスタジオ・クロノスのフォトンです。フォト子ちゃんって呼んでください。本日の業務は終了しました。え? クロ社長ですか? クロ社長は死にました」


 フォトンは受話器を置いた。そしてくるりと一回りすると満足げに椅子に座った。


「……ちゃんと電話できた。ボクは大人だから電話くらい余裕」


 鼻歌を歌いながらペンを走らせた。次々にモンスターができあがっていく。細部まで再現したカニのモンスターが、光沢のあるハサミを振り回している。


「……うふふ、カニさんかわいい」


 再び電話が鳴った。フォトンは怒って頬を膨らませながら受話器をとった。


「……はい、ロボロボ。ゲームスタジオ・クロノスのフォトンです。フォト子ちゃんって呼んでください。本日の業務は終了しました。クロ社長も死にました。え? 打ち合わせ? メル子ちゃんに知らない人を家にあげたらダメって言われているのでダメです。そうです。クロ社長は死にました。お外で打ち合わせ? わかりました。きてください。クロ社長は死にました」


 受話器を置いた瞬間、正午の時報が鳴った。わぁと飛び上がり、台所へ向けて駆けた。しかしいつもいい香りで溢れているはずの台所はもぬけのからだ。


「……お昼、どうしよう」


 フォトンは途方に暮れた。普段はメル子のランチが食べられるはずなのである。冷蔵庫を開けてみるも、美味しそうな料理はでてこない。あるのは野菜と肉、それとスモークサーモンだ。


「……困った」


 料理ができないわけではない。いつもはメル子というプロフェッショナルが作った料理を食べているので、作る気がしないだけだ。スモークサーモンをかじってやろうか?

 外食という手もある。アンテロッテの店にいけば美味しい料理が食べられるだろう。だが一人だ。いつもは事務所のみんなで食べにいくのだ。


「……一人だとなんかいやだな」


 普段は外食はしない。一人で外をうろつくこともあまりない。休みの日は大抵道場での修行だ。フォトンのマスターである影山陰子かげやまいんこは、浅草神社の裏手に書道の道場を開く著名な書道家である。


「……なんか、食欲ない」


 肩を落として作業部屋に戻った。椅子に座り背もたれに体重をかけた。すると掃き出し窓を叩く音が聞こえ、庭に視線を向けた。


「……マッチョメイドだ」


 窓に走りより、勢いよく開けた。二メートルを超える巨漢のメイドロボが、窓から部屋に上がり込んできた。巨大な筋肉により、今にもゴスロリメイド服がはち切れそうだ。


「おで おひる つくりにきた」

「……どうしてみんな窓から入ってくるの」


 そう言いつつも、フォトンはマッチョメイドの太い腕にしがみついた。幽霊屋敷のようだった事務所が、マッチョメイドの登場により急に御殿のように思えてきた。

 フォトンは腕を引っ張ってマッチョメイドを台所に案内した。


「……えへへ、なにつくってくれるの」

「おで おそば つくる」


 巨漢のメイドロボは持ってきた風呂敷を広げると、中から食材と調理器具が飛び出てきた。既に仲見世通りの店で、そば玉を練ってきたようだ。テーブルの上にシートを広げてそば玉を乗せた。それを麺棒を使って延ばしていく。フォトンは力強く繊細な動作に見入った。

 みるみるうちにそばが完成した。


「かけそばと もりそば どっちにする」

「……うーん」


 フォトンは首を捻って考えた。その間、青いロングヘアが三回変色した。


「……まだ暑いから、もりそば」


 マッチョメイドは小さなクーラーボックスから小さなボトルを取り出した。その中身をガラスの器に注ぐ。濃口醤油の関東風のつゆだ。さらに薬味を刻み、小皿に盛り付ける。

 フォトンは瞳を輝かせた。


「さあ できた めしあがれ」

「……いただきます」


 フォトンとマッチョメイドはテーブルを挟んで座り、同時に麺をすすった。濃厚なカツオ出汁の香りが鼻に抜けた後、噛み締めたそばから豊かな自然の香りが立ち昇ってきた。


「……おいしい」

「よかった たくさん たべる」


 二人は薬味を試しながら元気よくそばをすすった。



 食欲が満たされた後は睡眠欲だ。事務所の二階は仮眠室になっており、食後は昼寝が習慣になっている。

 マッチョメイドが布団を敷くと、二人は一つの布団に滑り込んだ。いつもはフォトン、黒乃、メル子、桃ノ木の四人で寝ている。四つ布団を敷くのだが、起きた時は大抵ぐちゃぐちゃになっている。

 しかし今日はしっかりと布団が整えられた状態で目を覚ました。一緒に寝ていたはずのマッチョメイドはもういなかった。


 欠伸をしながら作業部屋に戻ると、フォトンの机の上に菓子が置かれているのに気がついた。


「……マッチョメイドの和菓子だ」


 フォトンは栗をイメージした焼き菓子を指でつまんでそのまま口の中に収めた。香ばしさと甘さが眠気を吹き飛ばしてくれた。


「……うふふ、おいしい」


 フォトンはしばらく作業に没頭した。刻々と静かな時間が過ぎていく。石畳を歩く音が聞こえた。隣の紅茶店『みどるずぶら』の紙袋を抱えたマダムだ。

 夕日が窓から差し込んでいるのに気がついた。ペンを置き、慌てて立ち上がった。


「……あぶない、あぶない。打ち合わせを忘れるところだった」


 フォトンは古民家をでた。しっかりと戸締りをして路地を歩き出す。行き先は隣の紅茶店だ。一瞬で到着した。

 店の正面の窓から中の様子を伺った。ヴィクトリア朝のメイド服を纏ったメイドロボがカウンターの中で紅茶を淹れている。店の中には小さなテーブルが二つあり、軽食が取れるようになっている。そのうちの一つに女性が座っていた。

 フォトンは扉を開けた。


「……お待たせ」

「あら、フォト子さん。私も今きたところですよ」


 テーブルで待っていたのは、細長い角メガネが印象的なクールなお姉さんだった。頭に大きなお団子を作り、清潔にまとめている。タイトなスーツとハイヒールはいかにもデキるOLといった風情だ。

 フォトンは女性の向かいに座った。


「……打ち合わせってなにするの」

「オホホ、まあまあ。まずはケーキでもお一つどうぞ」


 すかさず店の主ルベールが紅茶とケーキのセットを差し出した。フォトンはケーキにフォークをブッ刺し、豪快に齧り付いた。頬いっぱいのケーキを紅茶で流し込むと、大きく息を吐いた。


「……おいしい」

「フォト子さん、お仕事はいかがですか?」

「……まあまあ。アイアイは?」


 アイアイと呼ばれた女性。本名藍ノ木藍藍あいのきあいらんは、台東区に存在する大手ゲームパブリッシャー、ロボクロソフトの若手プロデューサーである。


「最近、とんでもない事件で大打撃を……オホン。好調ですよ」


 藍藍はプルプルと震える手で紅茶のカップを持ち上げた。


「……話ってなに?」


 怪訝な目で藍藍を睨むフォトン。


「オホン。もちろん、あの件ですわよ。フォト子さんにはぜひ我がロボクロソフトにきていただいて、多いに活躍をしてほしいと思っております。フフフ、お賃金も今の三倍と考えてもらって結構ですわ」

「……別にお金には困ってない」


 フォトンのマスターは大きな道場を所有する業界の重鎮だ。むしろ裕福と言っていい。

 藍藍は呼吸を整え直すと平然を装って語った。


「私とフォト子さんの出会いはいつになるでしょうか」

「……ロボクロソフトの面接」

「まさかフォト子さんが弊社を蹴って、こんな小さなゲーム会社を選ぶなんて、驚きましたわ」

「……こっちの方が近いし」


 事務所とフォトンの道場は浅草寺を挟んですぐだ。


「陰子先生に直接掛け合っても、本人の意思ですとしか仰られませんでした」

「……先生に自分で選べって言われたし」

「あの、お騒がせの黒乃さん……あ、いえ、黒ノ木社長。あの方についていったらとんでもないことになりますわよ」

「……知ってる」

「いつか、黒乃さん……社長に裏切られることになりますわよ!」

「……この前、裏切られたけど」


 二人は同時に紅茶を飲み干した。


「では、なぜこの会社にいるんです!?」


 藍藍は空のティーカップをソーサーに置いた。陶器が打ち合わされる音が店の中に響いた。


「……みんなおもしろくて大好きだから」



 それで打ち合わせは終わった。

 路地にでると真っ赤な夕日に照らされた。目を細めて空を眺める。遠くの大きな雲が丸メガネの形に見えた。他にも面白い形の雲がないか探した。


「フォト子さん」

「……なに?」

「私、諦めませんわよ」

「……あ、クロ社長」


 路地の向こうから黒乃、桃ノ木、FORT蘭丸がげっそりとした表情で歩いてくるのが見えた。フォトンは一目散に走りよると黒乃にしがみついた。


「お、フォト子ちゃん。お留守番ご苦労さん!」

「なにもなかった?」


 桃ノ木はフォトンの頭を撫でた。


「……別にない」

「コッチはテンヤワンヤでシタよ!」


 黒乃はふと紅茶店の前に視線を走らせた。


「あれ? 今だれかいなかった?」

「……アイアイがいた。あ、なんでもない」

「浅草動物園から逃げ出してきたお猿さんロボかな?」

「ご主人様ー!」


 路地の反対側からメル子が現れた。


「……メル子ちゃん、おかえり」

「フォト子ちゃん! なにもありませんでしたか!?」

「……えへへ、うん」


 ゲームスタジオ・クロノス一行はフォトンに引っ張られるように古民家の中に吸い込まれていった。

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