第352話 宿題をします! その三

 九月の夕方。

 ボロアパートに西陽が照りつけ、小汚い部屋を炙った。いまいち効きが悪い空調を恨みながら黒乃は床に寝そべりケツをかいていた。

 すぐ前では緑の和風メイド服を着たメイドロボが楽しそうに夕飯の準備をしている。いつもの鼻歌、いつもの音、いつもの香り。

 夏が終わり、新しい季節が始まろうとしていた。


「お? プチ黒がなにかしているな」


 黒乃は床のミニチュアハウスを覗き込んだ。手のひらサイズのプチロボットであるプチ黒が、床に寝そべりなにかをしている。


「え? 本だ! 本を読んでいる!?」


 プチ黒が両手で抱えているのは小さな小さなハードカバーの本だ。


「ちっちゃい本だ! なんでこんなものがあるの?」


 黒乃はその本を指で摘もうと手を伸ばしたが、プチ黒はすかさずその手に本の角を突き立てた。


「ぎょあぼー!」


 丸メガネは手を押さえて床を転げ回った。


「ご主人様、それは八又はちまた産業の試供品です。アイザック・アシモ風太郎先生が作ってくださいました」

「ほえ〜」


 黒乃は手を押さえながらプチ小汚い部屋を覗き込んだ。プチ黒は一心不乱にページをめくっている。黒乃には文字が小さすぎて読めなかった。


「とうとうプチも文字を読むようになったかあ」


 よく見ると部屋の片隅に本が積まれていた。それをつまんで表紙を見る。


「なになに……ロボ鴎外のロボ姫? ロボ宰治のロボット失格? ロボ本バナナのROBOMI? 結構難しいの読んでるなあ」

「おっぱい」

「しゃあああべったあああああぁ!? 文学読んで出てきた感想がそれかい」

「もう秋ですから、プチ達も読書がしたくなったのではないでしょうか」


 メル子は夕食の支度を終え、プチ小汚い部屋の前に正座をした。中を覗き込むと、プチメル子も懸命にフライパンを振っていた。本日のメニューはナノペースト炒めのようだ。


「うふふ。読書の秋、食欲の秋ですね」


 次の瞬間、黒乃とメル子の間に少女が出現した。


「ぎょろろろろろろ!」

「ぎゃあ!」


 二人は驚きのあまり後ろにひっくり返り、その勢いでプチ小汚い部屋が大きく揺れた。


「黒乃〜、メル子〜、しゅくだいてつだって〜」


 部屋に突如として出現したのは、くるくる癖っ毛のショートヘアが可愛らしい小柄な少女だ。白いシャツに赤いサロペットスカートのいかにも幼い雰囲気がよく似合っていた。


紅子べにこ!?」

「紅子ちゃん! いきなり出現しないでください!」


 紅子。近代ロボットの祖、隅田川博士の娘。存在しない状態と存在する状態が重ね合わさった状態でこの世に生きる量子人間だ。現在は政府のデータベース上のことではあるが、黒乃の娘として小学校に通っている。


「しゅくだい〜、おわらない〜」


 紅子は黒乃の膝の上に飛び乗ってきた。小さな体を抱きしめると、しっとりとした体温と湿気が伝わってきた。


「宿題!? そっかー、もう夏休み終わったもんな」

「紅子ちゃん、夏休みの間に宿題を終わらせなかったのですか?」


 紅子は頬を膨らませた。メル子はハッと気がついた。つい先日まで皆で無人島でサバイバルをしていたのだ。宿題をする暇などないのは当然であった。


 紅子は床に宿題の山をぶちまけた。小学一年生にしては量が多いように感じる。


「ほうほう、漢字の書き取りに、算数のドリルか」

「絵日記に、工作に、読書感想文。大変ですね」


 黒乃はデジタルノートを開いてめくった。算数や漢字は既に終わっているようだ。このくらいは彼女にかかれば一日で済んでしまうだろう。なにせ紅子は天才隅田川博士の娘なのだから。


「これはまだできていないのか」黒乃は書きかけのページを見つけた。

「なになに? リーマン予想? サラリーマンが昼休みに馬券売り場にいく話かな?」

「それ、もうちょっとでとけそう〜」

「ほえ〜、サラリーマンの予想をね〜」


 メル子はその話を聞き、プルプルと震えた。ふと床に転がっている木片が目に止まり持ち上げてみた。


「紅子ちゃん、これはなんでしょうか?」

「それ〜、チャーリー」


 木の棒を紐で繋ぎ合わせた手作りのチャーリーだ。小学生らしい拙い出来栄えではあるが、懸命に作った様子が伺える。


「すごいです! チャーリーにそっくりです!」

「えへへ〜」


 メル子は紅子を褒めちぎり、頭を胸に抱き寄せた。紅子は気持ちよさそうに目を細めた。彼女にとって無人島での思い出はチャーリーとの思い出でもある。


「あとは、終わっていないのは絵日記か」


 紅子はデジタルペンを手にとり、デジタルノートに絵を描き始めた。時折黒乃とメル子をよく観察し、ペンを激しく踊らせた。


「夏休み、色々ありましたからね。書くのは大変でしょう」

「がんばる〜」


 紅子は床に伏せ、一心不乱に絵日記を書き上げていく。夏休みの間の出来事はすべて頭の中に入っているようだ。

 プチ小汚い部屋を見た。その中ではプチ黒とプチメル子が仲良く同じ本を読んでいた。果たして文字を理解して読んでいるのだろうか。それはわからない。

 黒乃とメル子はその様子を楽しげに見守った。途中メル子が紅茶を淹れ、クッキーと共に差し出した。紅子はそれを夢中になって口に入れた。


 夕食の時刻が近づいてきた。

 鍋から美味しそうな香りが溢れ出してくる。日は沈み、遠くの空に浮かぶ雲が赤い光を反射するのが見えた。

 紅子は床に伏せたまま寝息を立てていた。黒乃もメル子も穏やかな時間に思わず意識を飛ばしていた。


「ううう、いかんいかん。いつの間にか居眠りしていた」

「ふわー、もうお夕飯の時刻ですね。準備いたします」


 メル子は立ちあがろうとした。その時、紅子のデジタルノートが閉じられているのに気がついた。


「もう書き終わったのでしょうか?」

「ふふふ、どれどれ。見てみようか?」


 黒乃はデジタルノートを開いた。


「ご主人様! 勝手に見たらいけませんよ!」

「なにを言うか。娘の宿題の仕上がりをチェックするのも母の義務だよ」

「そうでしょうか……」


 黒乃は構わず日記を読み上げた。ちょっとした絵と共に、小学生らしい文字で小学生らしい文章が記されている。


「ふんふん、なになに? 八月XX日。はれ。きょうは無人島に、なつやすみにいきました。黒乃おかあさんと、メル子ママと、黒メル子ママもいっしょです。うれしいです」

「無人島に出かける日ですね!」

「おおきな船で無人島にいきました。でもおおきな船がおおきな船とぶつかって、チンぼつしないか、とてもこわかったです。そうしたら、おおきな船とおおきな船がぶつかって、チンぼつしました」

「私のせいです!」


 メル子は床に伏せてプルプルと震えた。


「船がチンぼつしたので、ちいさな島につきました。黒乃おかあさんも、メル子ママも、黒メル子ママもいませんでした。かわりに、黒乃おかあさんのいもうとたちと、おじょうさまと、おじょうさまのおともだちと、チャーリーがいました」

「これ学校に提出して大丈夫な内容ですか!?」

「みんな、黒乃おかあさんと、メル子ママがたすけにきてくれるとおもって、さいしょはあそんでいました。でも、だれもたすけにきてくれませんでした」


 メル子の顔は青ざめていた。


「みんなでがんばって、火をつけました。とてものどがかわいたので、チャーリーからでてくる水をのみました。おいしかったです」

「おしっこを飲んでいるみたいです!」

「よるはみんなでつくった、木の家でねむりました。くらくて、とてもこわかったです。でもみんなが、かわりばんこにだっこをしてくれたので、こわくなかったです」

「皆さん、紅子ちゃんを守ってくれていたのですね」


 メル子の大きな瞳が冷却水で潤んだ。


「八月XX日。はれ。きょうは、みんなでつくったイカダで、海にいきました。黒乃おかあさんも、メル子ママも、たすけにきてくれないので、わたしたちがたすけにいきます」

「その時我々はホテルでくつろいでいました!」

「イカダで海をいっていたら、イカダがこわれそうになりました。みんなでがんばりました。イカダがゆれてチャーリーがおちました。とてもかなしかったです。イカダはがんばってつくったので、こわれなかったです。そうしたら、べつの島にいきました」


 メル子は安堵の息を漏らした。


「そうしたら、ロボキャットたちがいました。ロボキャットたちにつかまって、工場につれていかれました。こわかったです」

「ドキドキです!」

「ロボキャットたちは、へんな美食ロボとたたかおうとしていました。へんな美食ロボは、島をこわそうとしている、わるいロボです。でも、つかまっているので、なにもできません」


 黒乃はページをめくった。


「だから、よるになったら、工場をぬけだしてチャーリーをさがしました。くらくてこわかったです。もりのなかをあるいていたら、チャーリーがきてくれました。とてもうれしかったです」

「チャーリー! よくやりましたよ、チャーリー!」

「チャーリーがもどったら、チャーリーは王様になりました。とてもかっこいいです。わたしたちはへんな美食ロボをたおすために、きょだいロボにのりました」

「いよいよ戦いですね!」

「ほとんどギガントニャンボット、りゃくしてホトニャンにのってあるいていたら、へんな超大型ロボがあらわれました。こわかったです」


 メル子は手に汗握って早くページをめくるように促した。


「そうしたら、へんな超大型ロボにのっているのは、へんな美食ロボと、へんな黒乃おかあさんと、へんなメル子ママでした」

「はわわわわわわ! これ私達が敵ではないですか! すっかり忘れていました!」

「おかあさんとママはうらぎったので、たたかって、たおしたいとおもいました。巨大ロボはたいてい、こかんがじゃくてんなので、こかんをなぐりました」

「股間を攻撃する絵日記なんてありますか!?」


 メル子はだらだらと大粒の汗を流した。


「こかんをなぐりつづけたら、超大型ロボをたおせました。うれしかったです。こうやってクズの黒乃おかあさんと、クズのメル子ママをやっつけました。うれしかったです」

「母をクズ呼ばわりしています! まあ事実だから仕方がありませんけど!」

「でも、そんな黒乃おかあさんと、メル子ママがだいすきです。おわり」

「最後に大好きですと言えば、今までの暴言がチャラになると思い込んでいます!」


 黒乃は絵日記を読み終わると、デジタルノートを床に置き、プルプルと震え始めた。そして床に大粒の涙をこぼした。


「うおおおお! うおっ! うおっ! 紅子〜、がんばったな〜! よくやったな〜!」

「泣ける立場ではないでしょう! どの口から頑張ったなんて台詞が出てきますか!?」


 黒乃は床で眠る紅子を抱き上げると力一杯抱きしめた。涙が少女の頬に滴り、目を覚ました。


「うおおおお! 紅子〜!」

「黒乃〜、くるしい〜」


 メル子はその光景を見て口元が緩んだ。まったく似ていない二人ではあるが、確かに親娘に見える。不思議な不思議な親娘だ。


 その時、過ぎ去る灼熱の季節が置き忘れた一縷の残滓のような恐ろしい声が響き渡った。

 びええええええ……オーホホホホ……。


「ぎゃあ! なんですか、この声は!?」

「びええええですのー! 夏休みの宿題が終わりませんのー!」

「オーホホホホ! 宿題を手伝っておくれやんしー!」


 泣きじゃくる金髪縦ロール、シャルルペロードレスのお嬢様と、金髪縦ロール、シャルルペローメイド服のメイドロボが、小汚い部屋の扉をぶち破って現れた。


「お二人とも! どうしたのですか!?」

「びええええですのー! 無人島にいっていたから、宿題の存在を忘れていましたのー!」

「黒乃様ー! メル子さんー! 手伝っておくれやすー!」


 彼女達にとっての夏はもうちょっとだけ続きそうだ。

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