第351話 夏の終わりです!

 九月。

 波乱の夏休みが終わり、日常が戻ろうとしていた。日差しは未だに厳しく、バカンスで焼けた肌をさらに焦がしていく。

 黒乃とメル子は朝日が差し込む静かな路地を歩いていた。石畳を弾く靴の音は、間もなく箒の音に取って代わられた。


「お二人とも、おはようございます」


 クラシックなヴィクトリア朝のメイド服を纏ったメイドロボは、掃除の手を止めて優雅に頭を下げた。長いスカートがそれに合わせて微かにはためくと、朝日を反射して二人を照らした。


「えへえへ。ルベールさん、おはようございます」

「おはようございます、えへへ」


 黒乃とメル子は照れ臭そうに挨拶を返した。その眩しさ故か、目を合わせられない。


「皆様、また大変な目に遭われたそうですね」

「え? えへへ、えへへ。そうなんですよ」

「えへへへ、そうなんです。あの、プチ達をありがとうございました。えへへ」


 明らかに歯切れが悪い二人を、ルベールは笑顔で送り出した。ご主人様とメイドロボはルベールの紅茶店『みどるずぶら』のすぐ隣にある古民家の敷地にそそくさと侵入した。ここが黒乃の会社ゲームスタジオ・クロノスだ。


 二人は玄関に立ち足を止めた。周囲を見渡し誰もいないことを何度も確認した。ようやく納得すると入り口の引き戸に手を伸ばした。その瞬間、扉が内側から勢いよく開けられ二人は仰天した。

 中から出てきたのは見た目子供っぽいロボットの影山フォトンだ。青いロングヘア、ペンキにまみれただぼだぼのニッカポッカはいつものとおりだ。


「……クロ社長、なにしてるの。早く入って」

「ええ? ああ、うん」


 フォトンは黒乃の手をとると玄関へ引っ張り込んだ。しばらくぶりの事務所。夏休みの間ずっと締め切っていたせいか、どこか埃っぽい。作業部屋に入ると既に社員達がそれぞれの業務をこなしていた。


「あ、えへえへ。みんなおはよう」

「先輩、おはようございます」

「黒ノ木シャチョー! オハヨウゴザイマス!」


 掃き出し窓から朝日が差し込む小さな部屋。テーブルと椅子が四組ずつの質素な部屋。そのうちの一つに黒乃は腰を下ろした。メル子はそのまま台所へと向かう。


「……」

「……」


 皆、黙々と作業を続けている。休み明けなので、メッセージが大量に届いていた。あまりにも数が多く、目を通す気が失せていく。


「……」

「……」


 誰もなにも喋らない。連休ボケであろうか? もちろんそうではない。


「ああ、うん。みんな……」黒乃が恐る恐る口を開いた。


 キーボードを叩く音は途絶えない。皆視線は目の前のモニタだ。


「えへえへ、ごめんね。えへえへ」


 左前の席に座るFORT蘭丸が立ち上がった。ツルツル頭の発光素子がテンポよく明滅した。


「シャチョー!」

「どした!?」

「ボクら無人島で出番がなさスギたんデスけど!?」

「ええ!?」

「……なんだったら、セリフが一個もなかった」


 フォトンの青いロングヘアがみるみるうちに赤く染まっていった。明らかに怒っているようだ。


「先輩とバカンスを楽しめると思ったのに、残念だわ」


 黒乃の後輩桃ノ木桃智もものきももちは真っ赤な厚い唇を尖らせて不満をもらした。


「えへへ、えへへ」


 次々に苦情を申し立てられて、黒乃の顔面は蒼白になった。言い返す言葉もない。陰キャはこのようなストレスに極度に弱い。胃が痛くなってきた。


「シャチョー!」

「フォイ!?」

「デモ、ボクはまた肉球島にイキたいデス! サバイバル楽しいデス!」

「FORT蘭丸……」

「……ロボキャットが元気そうでよかった」

「フォト子ちゃん……」

「先輩、冬休みは頼みますね」

「桃ノ木さん……」


 黒乃は皆の優しさに泣いた。明らかな裏切りを炸裂させた経営者に対して愛想を尽かしてもおかしくないはずだ。しかし彼らは黒乃を許してくれるというのだ。そこには社長と社員の関係を超えた信頼があったのだ。


「……クロ社長が裏切るのはなんとなく予想がついてたし」

「え?」

「シャチョーは他人に厳しクテ、女将サンに甘いデスからね!」

「フォイ!?」

「ハァハァ、そういうダメなところがあるから、逆に養ってあげたくなっちゃいます」

「養う!?」


 黒乃はプルプルと震えながら自分の作業に集中しようとした。たまりにたまったメッセージを開く。なぜこの人達は夏休みの間中ずっと働いていたのだろうか? 裏切りと悲しみのサバイバルの方がましではないのか? 哀れな労働者達に労いの言葉を添えて用件を伝える。

 次第に気持ちが帰ってきた。自分が一介の労働者にすぎないという気持ちが。逆に無人島のリゾートで王様になったかのような気持ち、巨大ロボに乗り悪役になったかのような気持ちは嘘のように消え去っていった。


 夏は終わった。

 キーボードを打つ手が早まる。


「FORT蘭丸!」

「ハイィ!?」

「古いコンポーネントの解析依頼がきてるから、今日中に始末つけておいて」

「お任せくだサイ!」

「フォト子ちゃん!」

「……なに」

「背景デザインの仕上げはどのくらいで終わりそう?」

「……夕方にはできる」

「桃ノ木さん!」

「なんでしょうか」

「明日のプレゼンだけど、資料は用意できてる?」

「既に先方に送ってあります」


 事務所に活気が戻ってきた。黒乃達にはやらなければならないミッションがあるのだ。いつまでもつまずいてはいられない。立ち上がって前に進まなくてはならない。

 ゲームスタジオ・クロノス、初のオリジナルゲーム『めいどろぼっち』を世に送り出さなくてはならないのだ。


 黒乃は必死にキーボードを叩いた。お昼が近づく。台所から食欲をそそる香りが漂ってきた。お腹が餌を求める池の鯉のように暴れた。キーボードを叩いた。


 ふと窓の外に目をやった。黒乃は椅子ごと後ろにひっくり返っていた。


「ぎょべららばばばばばばば!」

「シャチョー!? なにごとデスか!?」

「……大丈夫?」


 黒乃は窓の外を指差した。皆の視線がそちらに集中する。掃き出し窓の向こう側、古民家の庭に立って手を振っていたのは一人のギャルであった。


「……あ、サージャ様」


 フォトンは窓に駆け寄ると勢いよく開けた。汗を流しながら作業部屋へ上がり込んできたのは、巫女装束をベースにしたメイド服を着たメイドロボであった。白いメッシュが入ったロングヘアや、濃いめのメイクはいかにもなギャル要素を演出していた。

 そしてその腕に抱かれていたのは白いマイクロブタロボであった。


「ブータン!?」黒乃は驚きの声をあげた。


 フォトンがサージャの腕からマイクロブタロボをもぎ取って抱きしめた。


佇立ちょりーす佇立ちょりーっす武夷ぶい武夷ぶい


 陽気にダブルピースを決めたのは浅草神社、通称三社さんじゃ様の御神体ロボサージャだ。


「黒ピッピ、みんな〜、帆尼ぽに〜」


 巫女風メイドロボはひっくり返った椅子を立て直し、そこに座った。

 彼女はロボット達の多次元虚像電子頭脳ホログラフィックブレインをリンクさせて生まれた超AIである神ピッピに唯一アクセス可能なロボットだ。

 そして神ピッピによって生み出された世界タイトバースの住人である豚の獣人ブータン。


「サージャ様!? ブータン!?」


 突然の二人の登場に黒乃は完全に硬直してしまった。ブータンはもがいてフォトンの腕から抜け出した。そして黒乃の胸に飛び込んできた。


「アネキー! オイラやりましたブー!」

「やった!? なにを!?」


 黒乃はブータンを抱きしめた。短い毛が生えたぶよぶよとした白い肌はひんやりとしていて気持ちがいい。


「オイラ、使命を果たせたんですブー!」

「使命を!?」

「タイトバース中に美味しいお肉をお届けできたんですブー!」


 ブータンに与えられた使命、それは『美味しいお肉を提供する』ことだ。彼は現実世界でメル子と修行をし、独自のメニューを開発した。そして屋台を作り、そのメニューをタイトバース中に届けるために行脚していたのだ。現実世界とタイトバースでは時間の進む速度が違う。黒乃達が夏休みの間、ブータンは世界中を旅していた。それはブータンの使命であり、そして黒乃のためでもあった。

 黒乃が考えたゲーム『めいどろぼっち』を実現するためには、タイトバースのAIを大量に現実世界に持ってくる必要があった。しかしそれは前例がなく、危険な行為なのかもしれない。巫女サージャはその意義を問うべくブータンにミッションを与えた。それは彼が使命を果たせるか否か。現実世界とタイトバース、双方の利益になり得るかどうか。

 ブータンはやってのけた。

 現実世界で学んだことをタイトバースに持ち帰り、世界を発展させたのだ。その功績はとうとう認められた。


「ブータン」黒乃の丸メガネから涙がこぼれ落ちた。

「アネキー!」


 二人は抱き合って泣いた。





「……というわけよ。マジウケるwww」


 サージャは黒乃の座席に座り、椅子を回転させた。巫女装束の袖がひるがえり、一回転するたびに黒乃の顔をはたいた。黒乃は席が埋まってしまったので、仕方がなく床に正座をしていた。

 ブータンはフォトンの机の上に乗り毛皮を撫でられていた。


「えへえへ、サージャ様。それじゃあ、あの件はもう進めてよろしいですか?」

「あー盃杯はいはい、グレムリンの件ね。あーしがティターニアのところにいって話をつけておいたから。いつでもAIを持っていっていいってさ」

「ありがとうございます!」


 いよいよオリジナルゲームの制作が開始されようとしていた。クロノス一行はお互いの目を見つめ合って頷いた。

 思えばここに漕ぎ着けるまで随分と長い旅をしてきた気がする。以前の会社をクビになり、自分で会社を立ち上げ、仲間を集め、会議を繰り返し、合宿に勤しみ、異世界に挑み、そしてたどり着いた今日。

 だが、ようやくスタート地点に立ったにすぎない。戦いはこれから始まるのだ。黒乃は震えていた。成功するかどうかもわからない、前代未聞のゲーム開発。だからこそ挑む価値がある。失敗しても失うものはない。頼もしい仲間達と全力を尽くすだけだ。


「んふ〜、黒ピッピ。いい目になったねえ〜」

「え? そうですか?」

「少年の目だよ」

「女ですけど」


 そう言うとサージャは床に正座する黒乃の頭を、子供をあやすように撫でた。黒乃はなんとも居心地が悪いような、母に撫でられているような感覚を味わい身をよじった。


「あ、サージャ様、ブータン、いらしていたのですね」


 台所から騒ぎを聞きつけてメル子がやってきた。


「メルピッピ、帆尼ぽに〜」

「もうすぐお昼ができあがりますので、食べていってください!」

「お〜、悪いね〜。マジ昇歩様あげぽよ〜!」


 その言葉にFORT蘭丸とフォトンは慌てた。


「イヤァー! サージャ様にお昼を全部食べられチャウ!」

「……今日は大好物のアジデガリーナなのに」

「ぷぷぷ、美味しい料理は早い者勝ちだよん」


 二人は先を競って台所に向かって走った。


「こらー! お前らー! まだ業務中だろうが!」


 黒乃が叫ぶや否や、壁掛け時計が正午の時報を鳴らした。

 古民家の狭い台所は一瞬にして賑やかな戦場と化した。

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