第348話 夏休みです! その九

 ——掌山のロボキャット工場。


 工場の中はよく整備されていた。何十年も放置され、老朽化した工場は今や生まれ変わっていた。最新の設備がいくつも導入され、ロボキャットのボディは新しくなった。以前のバッテリーで駆動するものから、バイオプラントを備えたものへと換装されたのだ。これによって電力だけに頼らず、肉球島の天然資源がすべて彼らのエネルギー源になった。水も食料も工場には充分蓄えられている。


「まったく、難儀じゃったのう」


 白髪の老人は鏡乃みらのに氷水が入ったカップを渡した。


「工場長! ありがとう!」


 鏡乃はそのカップを受け取ると、口一杯に氷を頬張り音を立てて噛み砕いた。一度に齧ったせいか、冷気による一撃が少女の頭を襲った。


 ここはロボキャット工場内の宿泊所。元々は工場の従業員が生活していた区画ではあるが、人間達が去った後は倉庫として使われていた。

 黄乃、紫乃、鏡乃、紅子、マリー、小梅の六人はその一室に押し込められていた。部屋の周りは多数のロボキャット達によって監視されている。

 彼女らは掌島上陸直後に捕えられ、ここまで連行されてきたのだ。


「……工場長、こいつら人間は我らロボキャットの敵です。もてなす必要などないでしょう」


 一際大きい黒いロボキャットが低い声で唸った。少女達の前には玉座が据えられている。もっとも木箱を積み重ねただけの簡素なものではあるが。その玉座に座っているのはグレーの大きなロボット猫、チャーリー。左右には白猫が寄り添っている。玉座の下にはロボキャット達のリーダー、ハル。この工場に関するすべての権限を有する黒猫だ。


「ハル、この子達は子供じゃぞ。ホテルの連中とはなんの関係もないのじゃ」


 工場長と呼ばれた老人は紅子の頭を撫でた。部屋の畳の上で眠っているのは、わずか六歳の少女だ。白いシャツも赤いサロペットスカートも泥で汚れ放題だ。

 それもそのはず、紅子は昨晩単身で工場を抜け出しチャーリーを探して森の中を彷徨ったのだ。あまりに危険な行為であった。しかし捕えられた少女達の身の安全を確保するには、どうしても必要なことであった。

 チャーリーを連れて帰ったことで、少女達をチャーリーの『仲間』として扱わざるを得なくなったのだ。ロボキャットにとってチャーリーは島の救世主『チャ王』なのだから。


「ニャー」


 グレーのロボット猫は退屈そうに一声鳴いた。


「チャ王……承知いたしました」


 その勅令にハルは従うしかなかった。


「チャ王の慈悲により、お前ら人間どもは生かされることになった。ただし! 戦いが終わるまではこの工場内にいてもらう!」


 ハルは爪を剥き出して告げた。少女達はその迫力に縮み上がった。


「戦いってなんですか?」


 黒ノ木家次女の黄乃が聞いた。黄乃は工場がフル稼働しているのを不思議に思っていたのだ。物資が行き交い、ロボキャットが走り回る様は、通常の稼働には見えなかった。


「決まっているだろう。人間との戦いだ」

「人間?」

「お前らも掌山を登る時に見ただろう。あのおぞましい建築物を」


 黄乃は昨日のことを思い出した。皆で作ったイカダで命からがら浜辺に辿り着いた後のことを。ロボキャットに見つかり、そのまま工場まで連行されたのだ。その時、島の反対側に見えた巨大なリゾートホテル。あまりに似つかわしくない光景に目を疑った。


「奴ら人間はこの島をリゾート地に作り替えるつもりなのだ。なんという愚かなことだ。ここは我らの楽園だ! 奴らの好きにはさせない。憎き美食ロボを溶鉱炉に突き落とすまで、我々の戦いは終わらない!」


 部屋の周囲のロボキャット達がその怒りに同調するように一斉に鳴いた。爪で壁を引っ掻く。その騒音に少女達は耳を塞いだ。


「なんかロボキャット達、可哀想……」


 黒ノ木家四女鏡乃がぽつりとつぶやいた。彼女の声はこの騒音の中で消え入りそうなほど微かなものであった。


「なに?」


 ハルは手を上げてロボキャット達を鎮めた。


「娘よ、我らに同情でもしようというのか」


 ハルは剥き出した爪を床に打ちつけた。それを見た鏡乃は一瞬怯んだが、意を決して口を開いた。


「だってうちと似てるんだもん。うちの工場だって半分持っていかれちゃったし」

「みーちゃん! なんてこと言うの!?」


 鏡乃の思わぬ言葉に、黄乃は唖然とした。鏡乃が言っているのは尼崎あまがさきにある丸メガネ工場のことだ。

 黒ノ木家は尼崎の工場地帯に丸メガネ工場を構えている。四姉妹の父黒太郎が経営する工場だ。日本の丸メガネ市場の九十パーセントを占有する老舗企業ではあるが、昨今の丸メガネ需要の減少の煽りを受け、工場を縮小してしまったのだ。

 四姉妹は父の工場が取り壊される様を、呆然と眺めていたのだった。その光景は幼い彼女達の胸に強烈なインパクトを残した。


「この島はロボキャット達のものだもん! 知らない人に持っていかれるのは可哀想だもん!」


 鏡乃の丸メガネから涙がこぼれ落ちた。黄乃と紫乃が慌ててなだめに入ったが、床に伏せてプルプルと震え出してしまった。


「ふん……人間達の醜い争いに我らまで巻き込まれてしまったわけか。実にくだらん」


 そう言いつつも、ハルは爪を納めた。


「ハルさん」黄乃は恐る恐る切り出した。 

「私達も戦います」


 突然発せられた黄乃の言葉にハルは首を伸ばした。床の鏡乃も姉を見上げた。


「私達は数日間肉球島を冒険してきて、この島の美しさを知りました。昨日ホテルを見て、心が痛くなったんです。どうしてこんな大自然にあんなものがあるのかって」


 ハルは自虐的な笑みを浮かべた。ロボキャットも工場もそれは同じではないのか。


「私はロボキャット達を美しいって思ったんです。大自然の中で生きるロボットは、ロボット工学の目指す究極形なんです」


 大学でロボット工学を学ぶ黄乃ならではの視点。自然と科学の調和。いや、そもそも自然と科学に境界線などないのだ。


「わたくしも戦いますわよー!」金髪縦ロールのお嬢様は立ち上がった。


「マリーちゃんがやるなら私もやります!」長いポニーテールを弾ませて小梅が立ち上がった。


「ぐほほ、やるっきゃないねえ」黒ノ木家サード紫乃も立ち上がった。


「きーネエ! 鏡乃もやるよ!」涙を拭いた鏡乃も立ち上がった。

 

くれないもやる〜」いつの間にか起きていた紅子も立ち上がった。


「ニャー」チャーリーは玉座で一声鳴いた。


「チャ王……仰せのままに」


 ハルは玉座に向けて伏せた。





 工場の活気は最高潮に達していた。巨大なドックで作られていたものがようやく完成したのだ。


「いよいよだ」


 ハルは目の前にそびえ立つ完成品の出来栄えに震えた。それは全長十八メートルの巨大ロボであった。


「みて〜、ニャンボット〜」


 紅子は見上げながら走り出そうとしたが、紫乃が後ろから抱えて持ち上げた。足をばたつかせて喜んでいる。

 夕方に放送されている子供向けアニメに登場する巨大ロボ『ギガントニャンボット』によく似たロボットが目の前にそびえ立っている。真っ赤な宇宙服を纏ったネコ型巨大ロボだ。

 以前ハルがチャーリーのボディを元に作ったギガントニャンボットによく似たパチモノニャンボット(パチニャン)は全長十メートルしかなく、運動性能もイマイチであった。しかし最新の技術を導入して設計されたこれは、ほとんど本物と見分けがつかないレベルにまで洗練されていた。そう、ほとんどギガントニャンボット、略してホトニャンが爆誕したのだ。


「すごい! ホトニャンすごい! かっこいい!」


 鏡乃は興奮して股間の操縦席へとよじ登ろうとした。しかし、背後からやってきたマリーに弾き飛ばされて地面に転がった。


「どいてくださいましー!」

「痛い! なにするのマリ助!?」


 必死の形相で股間の操縦席に入るお嬢様。


「絶対に手足の操縦席は御免ですのよー!」


 ホトニャンは七人で操縦する巨大ロボだ。頭部の操縦席にはもちろんチャーリーが、胸の操縦席には紅子、股間の操縦席にはマリーが座った。右手には黄乃、左手には紫乃、右膝には鏡乃、左膝には小梅が乗り込んだ。


「ええ? どうして手足はだめなの?」


 鏡乃は腑に落ちないようだ。

 なにはともあれ搭乗完了ステンバイ発進準備完了ステンバーイだ。ドックの柱に固定されたホトニャンはそれごとリフトで上昇した。頂上まで昇ると、前部の壁が倒れ橋になった。その上をゆっくりとホトニャンが歩く。


「すごい! 歩いてる! ホトニャンが歩いてる! おえっぷ」

「やっぱり股間は安定していて最高ですのー!」


 火口の工場から抜け出したホトニャンは山の斜面を歩き出した。目指すはリゾートホテル『美食アイランドNIKUKYU』だ。


 ハルはその様子を工場の頂上から眺めた。


「おお……! なんという勇姿。チャ王、ご武運を!」





 ホトニャンは掌山を下り、森の中に入ろうとしていた。そこで二つの影が森の中から走り出てくるのが見えた。


「あれ? だれかきます」黄乃はカメラを操作してその影をズームアップした。

「ええ!? マヒナさんとノエノエさんだ!」


 褐色肌の筋肉質なお姉さんと、褐色肌のクールなメイドロボは素早い身のこなしでホトニャンに近づき、その巨大なボディによじ登ってきた。


「お前達! 無事だったんだな!?」

「探しましたよ」


 マヒナ、ノエノエ、黒メル子、アンテロッテ、ルビー、FORT蘭丸、フォトン、桃ノ木はずっと掌島に隠れ潜んで成り行きを見守っていた。敵対するロボキャットと美食ロボ。どちらに加担するわけにもいかなかったのだ。


「お前達! まさか美食ロボと戦うんじゃないだろうな!?」


 ホトニャンの頭までよじ乗ってきたマヒナ達は状況の説明を求めているようだ。


「私達は戦いにきました」黄乃は平然と言い放った。

「肉球島はロボキャットのものです。美食ロボの好きにはさせません。マヒナさん達も一緒に戦ってください」

「待て! 子供のお前らが戦う必要はない! 戦いは大人に任せろ!」

「任せられません!」


 ホトニャンは一歩を踏み出した。地響きに驚き、森から大勢の鳥が飛び立った。


「聞くんだ! どうしても戦うというならしょうがない。しかしだな、向こうも巨大ロボで待ち構えているんだぞ!」

「望むところです!」


 マヒナの褐色肌から汗が滝のように滴った。暑いからではない。彼女達に伝えねばならないことがあまりにも無慈悲だからだ。


「いいか? 向こうの巨大ロボを操縦しているのは……黒乃とメル子だ!」


 その言葉にホトニャンの歩みが止まった。


「あの二人は美食ロボ側に寝返った! リゾートを楽しみたいからだ! 裏切り者だ! お前らは姉と戦わなくてはならないんだ! できるのか!?」


 時間が流れた。森の入り口に佇む全長十八メートルの巨大ロボは、その問いかけに打ち震えているように思えた。


「マヒナさん……」黄乃はつぶやいた。

「黄乃、わかってくれたか?」

「姉はそういう人です」

「なに!?」


「黒ネエはすぐ裏切る」紫乃は言い捨てた。

「なんだと!?」


「クロちゃんはクズだから!」鏡乃は断言した。

「こら!?」


「黒乃〜、クズ〜」紅子は呆れた。

「母親だろ!?」


「オーホホホホ! いつものことですわー!」マリーは高笑いした。

「信用はないのか!?」


「あのおっさんは一度とっちめた方がいいですよ」小梅はやる気だ。

「一応女だぞ!?」


 マヒナは子供達が止まるつもりがないのを理解した。


 その時、リゾートホテルに変化があった。ホテルの向こう側の海からなにかが迫り上がってきたのだ。それは海に浮かぶ巨大タンカーであった。それが変形し、人型になろうとしていたのだ。あまりの巨大さにパイロット達は震えた。


「ええ!? なにあれ!? 大きいよ!」


 しかし、鏡乃の見積もりは甘すぎた。こちらから見えているのはほんの一部分にすぎなかったのだ。それはゆっくりと立ち上がった。


「バカな!? なんだあれは!?」


 マヒナはそれを見上げた。こちらは山、向こうは海。それでもマヒナは見上げた。


 美食の巨人。全長六十メートル。和服を着た初老の超大型ロボだ。全身から蒸気を吹き出してこちらを睨んでいる。


『女将、この巨大ロボは本物か?』


 絶望の最中、戦いの幕が切って落とされた。

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