第347話 夏休みです! その八
「ニャー」
丸々とボールのように太ったロボット猫は激しい海流に流されていた。短い手足をばたつかせて姿勢の制御を試みるも、なす術がない。海底から突き出た岩にぶつかり空中に弾んだ。そのまま落下し、今度は水中を進んだ。ようやく海面に顔を出したと思ったら今度は流されてきた丸太に頭をぶつけた。
「ニャー」
なんだなんだこれは? さっきまで気持ちよくイカダの上で昼寝をしていたのに、いったいどうなってんだ? ガボガボ。ちくちょう、海水を飲んだぜ。ああ、なるほど。イカダから落ちて流されているってわけか。くそったれめ。
「ニャー」
大きなグレーの塊は体に力を入れるのをやめ、流れに身を任せた。波にもまれながら岩の間を通り抜けていく。やがて海流の速度は弱まり、チャーリーは掌島の北西の浜辺に流れ着いた。
「ニャー」
ふう、やれやれ。ようやく辿り着いたか。まったく何回漂流すればいいんだ。いつもの丸メガネがバカンスに連れていってやるっていうから、わざわざ船に乗ったっていうのに結局こうなるのか。なんてこった。
チャーリーはよろけながら浜辺にあがった。丸い体を大きく震わせて毛皮が吸い込んだ水分を弾き飛ばす。するといつものような青みがかった綺麗な毛並みが復活した。
うっぷ、体が重いと思ったら水分を蓄えていたんだった。あの人間の子供達ときたら、自分で水の調達すらできない。まったく人間ってのはなんてひ弱なんだ。あいつら自然で生き抜く力をこれっぽっちも持っていないじゃないか。オレ様がいなかったらどうするつもりだったんだ。まあ子供だからな、しょうがなく面倒をみてやったけれども。
「ニャー」
チャーリーは辺りを見渡した。目の前には掌島の森、遠くには火山。再び体を震わせて水気を払うと、尻尾から噴水のように水が噴出した。みるみるうちに丸かった体が細く、しなやかな美しさを取り戻していった。
おえっぷ。子供達がいないんじゃ水を蓄えておいてもしょうがない。それよりメシだメシだ。あいつらオレにろくなメシをよこさない。食べたのは貝が何粒か……全然足りない。まあ味はそれなりだったけどな。
チャーリーは水際に戻ると砂浜に伏せた。そのままじっと動かずにしばらく待つ。打ち寄せる波が何度かチャーリーの毛皮を濡らしたその瞬間、勢いよく跳躍した。そして爪を一閃させると、浜辺に一匹の魚が打ち上がった。
「ニャー」
ガハハ、どんなもんじゃい。ちょろいもんよ。ふうふう、それにしてもここは暑い。森の中でゆっくりお魚ちゃんをいただくとするか。
口にお魚を咥えたロボット猫は森の中を軽快に疾走した。手頃な背の高い木を見つけると、その頂上へ駆け上った。
ここならくつろげそうだ。見晴らしもいいぞ。うまいうまい、魚がうまい。自分でとった魚は格別だぜ。ふぁー、食べたら眠くなってきたな。ん? なんだ? あいつらは? ああ、子供達か。無事にこっちの島に渡れたんだな。よかったよかった。まあオレには関係ないけどな。ここまで助けてやったんだから、後は自分でなんとかしてくれ。
チャーリーは木の下を歩く子供達を欠伸をしながら見つめた。
あれ? なんだ? ロボキャット達がずいぶんいるな。子供達を取り囲んでいるぞ。ああ、そうか。ロボキャットに捕まったんだな。なるほどなるほど、火口の中にあるロボキャット工場に連れていかれるってわけだ。ははは、残念だったな。これで楽しいサバイバルはもう終わりさ。まあ人間だったら森の中よりも工場の方が暮らしやすいかもな。ははは、まあオレ様には関係ないけどな。オレはオレでバカンスってやつを楽しもうじゃないか。
「ニャー」
チャーリーは大欠伸をして木の上で眠りに入った。
夜。チャーリーは目を覚ました。
空を見上げれば満点の星空。遥か海の彼方には貨物船の灯り。森は静まり返り、聞こえる音は虫の鳴き声のみ。
ふぁー、よく寝た。やっぱり大自然は最高だぜ。少しお腹が空いたな。また魚をとりにいくかな。ああ、浅草がちょっと恋しいな。ダンチェッカーは元気かな。おっと、いかんいかん。オレ様としたことが感傷とはな。ロボット猫は孤高の存在。群れるのはヘタレがすることだぜ。
ん? なんだまた誰かきたぞ? おいおい、嘘だろ。あれは子供達の中でも一番のちびっ子じゃないか。こんな夜に一人で森に降りてくるなんて、大人達はなにをやってやがる。
「ニャー」
チャーリーは地面に飛び降りた。突如頭上から降ってきた大きな塊に驚き、
「チャ〜リ〜、さがした〜」
おいおい、苦しいぜ。子供だから許してやるけど、オレを抱きしめるなんてほんとはできないんだからな。特別だぞ。こいつは丸メガネの娘だな。よく見たら泥だらけじゃないか。いったいどうやって工場から抜け出してきたんだ? そうか、こいつは消えたり現れたりできるんだったな。まったく人間ってやつはわけがわからないぜ。
「ニャー」
チャーリーは紅子の頬を舐めて泥を落とした。量子人間である紅子は、存在する状態と存在しない状態が重なり合った不確かな存在なのだ。普段の学校生活では大勢のクラスメイトから存在を認知されているため存在が確定しているが、無人島では観測者が少なく存在が確定しない状態が続いていたようだ。
「ひとりでぬけだしてきた〜。みんなつかまってる〜」
そうだろうな。この島のロボキャット達は人間を恨んでいるからな。でもそれは仕方がないことだぜ。人間がロボキャットを捨てたんだからな。自業自得ってやつさ。
「チャーリー、たすけて〜」
紅子は再びチャーリーの毛皮に顔を埋めた。プルプルと震える体。少し痩せた顔。目からは涙がこぼれてロボット猫のグレーの毛皮を濡らした。
おいおい、なんでオレが助けないといけないんだ。この島にはあの丸メガネ達もいるだろ。大人達が助ければいいんだよ。丸メガネはどこいった? なんかだんだん腹が立ってきたな。いつもオレを巻き込みやがって。毎回酷い目に遭っているぜ。おいこら、泣くな。毛皮が汚れるだろ。
「ニャー」
ロボット猫は紅子の頭の上に前足を置いた。少女の腕の中からすり抜けるとケツを見せて歩き出した。その両目から強烈な光が照射され、山道を照らした。
「チャーリー、たすけてくれるの〜?」
紅子はチャーリーの後を追いかけた。ロボット猫は尻尾を大きく振り回した。
「ニャー」
勘違いするなよ、助けるわけじゃないぜ。あの丸メガネを引っ掻いてやるだけだ。大抵あいつが元凶だからな。とっちめてやるぜ。あとお前は子供だから許してやるけど、二度とオレ様を抱っこしたりするなよ。いいか、絶対だぞ?
紅子はチャーリーに駆け寄ると、その大きな体を持ち上げて抱きしめた。
こら、やめろと言っただろう。なんで人間は言うことを聞かないんだ。やめろやめろ。わかったわかった。浅草に帰ったらいくらでも抱っこさせてやるから、今は離せ。
明け方。チャーリーと紅子はロボキャット工場へとやってきた。標高二百メートルの掌山の火口内に作られた工場だ。掌山は活火山であり、その地熱を利用して電力を得ているのだ。
「ニャー」
チャーリーがその火口に立つと眼下に巨大な工場が広がっているのが見えた。煙突からは煙が立ち昇り、煌々と灯りで照らされている。ベルトコンベアには無数の物資が行き交い。通路にはロボキャット達がせわしなく走り回っていた。
突然、サーチライトが二人を照らした。チャーリーの目が爛々と輝き、紅子はその存在がややあやふやになった。
複数のロボキャット達が走り寄ってくる。チャーリーほどではないが、以前のメカっぽい造形のボディとは違い、生猫と見紛うばかりの完成度になっていた。
彼らはチャーリーの前に伏せた。
「ニャー」
おらおらおら、ものども頭が高い。チャ王の帰還なるぞ。チャ王が舞い戻ったんだぞ。もっとしっかり出迎えをせんかい。白猫ちゃんはどこだ?
「チャ王……」
一際大きい黒猫がチャーリーの前に現れた。黒豹を思わせるそのしなやかなボディは、他のロボキャット達とは一線を画した迫力を備えていた。
ロボキャットのリーダー、ハルは体を小さく屈めて耳を倒し、尻尾と手足を体の下にしまい込んで伏せの姿勢をとった。
他のロボキャット達もそれに倣った。
「チャ王……よくぞお戻りになられました」
思わずハルの口から歓喜の鳴き声が漏れた。それを聞いたロボキャット達も次々に鳴き声をあげた。
「ニャー」
そうだ、それでいい。我はチャ王なるぞ。この島の王だ。オレ様がきたからにはもう大丈夫だ。人間どもの好き勝手にはさせないぜ。全員ぶっ倒してやる。お前ら覚悟はできているんだろうな? オレはやる気だぜ。白猫ちゃんはどこだ?
今、ロボキャットと人間の戦いが幕を開けようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます