第346話 夏休みです! その七

 ——薬島くすりじま


 遭難から三日目の朝。

 肉球島群島北部にあるこの小さな島から、一隻のイカダが旅立とうとしていた。昨日皆で必死に作り上げた自信作だ。

 大きな丸太二本を基礎にし、平行に並べたその間を細い流木で繋いだ簡素な設計だ。各木材は蔓でしっかりと繋がれ、七人が乗ってもびくともしないように思えた。


「みんな! 準備はいいね!」


 黄乃の号令に合わせ、紫乃、鏡乃、マリー、小梅、紅子は砂浜の上のイカダを押した。丸々とボールのように太ったチャーリーはイカダの真ん中に乗って転がっている。その下には蔓で作った予備のロープが敷かれている。

 砂浜には小枝が並べられ、その上をイカダが滑るようにゆっくりと動いた。七人も乗れる大きなものだ。子供達が全力を込めて押して、ようやく水の上に浮かんだ。


 朝の日差しとはいえ、真夏だ。既に全員汗だくである。一旦海水に浸かり体を冷やした。

 出航には申し分のない天気だ。風は緩やかな南風、波は穏やか。目指す地は掌島てのひらじまだ。海流の関係で薬島から掌島までは勝手に流れ着く。その間、沈没せずに保ってくれれば良いのだ。


「紅子はここね」

「うん〜」


 サード紫乃は紅子を抱え上げるとイカダの右舷に座らせた。次に次女黄乃が左舷にマリーを座らせる。転覆を防ぐため、左右のバランスが大事だ。皆、次々に乗り込んでいった。

 結果、右の流木の上には黄乃、マリー、鏡乃、左の流木には紫乃、小梅、紅子がまたがる形になった。


「すごい! 浮いてる!」


 全員乗り終えたところで四女鏡乃が喜びの声をあげた。一日で作り上げた粗末なイカダは、七人分の重量をものともせずに水面に浮かんだ。照りつける太陽が描き出すイカダの影が水底の砂を覆い隠した。


「浮いていますのー!」


 海水に濡れたマリーの金髪縦ロールは幾分萎れ気味だ。しかし、気分は否が応でも高まる。いよいよ出航だ。


 黄乃と小梅が長い枝を使い、海底の砂を押した。最初は浜辺に打ち寄せる波に逆らって進まなくてはならない。イカダを西に向けると徐々に速度が増してきた。


 ルートはこうだ。このまま西に進み、中島と薬島の間を通り抜けて南下する。海流はかなり早まり、掌島にぶつかる。しかしここでは上陸はできない。島の北部は岸壁のため、東か西かに進む必要がある。

 どちらに進むか。それは海流次第といったところだ。


「いい感じです!」


 小梅は必死に枝を使い、イカダの向きを調整した。もう海底には届かない。イカダの下を小魚の群れが通り過ぎていった。

 徐々に速度が増してきた。海流が複雑になり、波も荒くなる。二つの海流が交わる部分に入り込んだのか、イカダが大きく歪んだ。ぶちぶちと蔓のロープが切れる音が聞こえた。


「あわあわ、どっか切れたよ」


 紫乃は船体を見渡して破損箇所を確認した。イカダの背後に蔓が伸びているのが見えた。紫乃はそれを手繰り寄せると、丸太に巻き付け直した。

 イカダが波に揺すられるたびにどこかの蔓が弾けた。やはり重量が大きすぎたのだ。イカダと七人分の重量を天然の蔓だけで支えるには強度が足りなかった。

 しかし、掌島はもう目前に迫っている。もう少し耐えられればそれで良い。


 大きな波がきた。

 一行は全身でそれを浴びた。大量の水を頭から受け、一瞬溺れかけた。紫乃は目の前の紅子が流されないようにしっかりと抱きしめた。

 今の波で再び蔓が切れた。二本の丸太を繋ぐ細い流木が何本か弾かれるように飛んでいった。このままではイカダが左右バラバラに分かれて沈没してしまう。


「補強しよう!」


 黄乃が指示を出すと小梅が立ち上がり、イカダの真ん中に立った。予備のロープと流木をしっかりとくくりつける。


「小梅さん! 気をつけてくださいましー!」


 小梅は空手で鍛えた筋力とバランス感覚を活かし、必死に修復を行なった。


「できました!」


 小梅が元の位置に戻った瞬間、これまでにない衝撃が一行を襲った。皆慌てて丸太にしがみついた。とうとう掌島に辿り着いたのだ。その岸壁にイカダは激突した。


「うわああああ!」


 鏡乃は叫んだ。しかしイカダはなんとか持ち堪えた。ギリギリのところで修復が間に合ったのだ。

 イカダはその場で回転を始めた。複雑な海流に翻弄され、行き場を失ったのだ。

 次の瞬間、再び大きな衝撃を受けた。海底から突き出た岩に激突したイカダは大きく傾いた。


「みんな! 大丈夫!?」


 黄乃は乗員を確認した。一人、二人、三人、四人、五人、六人……。一人足りない。


「チャーリー!?」鏡乃が叫んだ。

「チャーリーがいないよ!」


 イカダの真ん中にいるはずのチャーリーの姿が見えない。


「みて〜、あそこ〜」


 紅子が指を差したのは海流が渦巻く岩場であった。そこに丸々とボールのように太ったロボット猫が浮いていた。


「チャーリー! チャーリー!」


 グレーのボールのような物体は海流に流されどんどんとイカダから遠ざかっていった。


「わぁああああ! チャーリーが! チャーリーが流されちゃうよ!」


 イカダは激流から逃れ東に進んでいた。チャーリーは反対側に流されていく。


「チャーーーーーリーーーーー!!!」


 鏡乃は絶叫した。

 波は穏やかになり、イカダは東へゆっくりと進んだ。鏡乃はイカダの上に立ち、流されるチャーリーを探した。ボールが岩の間を弾むように通り過ぎていくのを最後に、その姿は見えなくなった。


 やがてイカダは掌島北東の浜辺に打ち上げられた。




 

 一行は浜辺に寝転んでいた。

 ギリギリの航海であった。波に攫われないようにイカダを引き上げようと皆で押したが、とうとう蔓は全て千切れ崩壊してしまった。木屑と化し、少しずつ散らばっていくイカダに最後の感謝をして浜辺に上がった。

 全員言葉もなかった。大事な仲間が一人流されてしまったのだ。


 黄乃はプルプルと震える鏡乃の頭を抱き寄せて何度も撫でた。


「大丈夫だから。チャーリーも反対側の浜辺に流れ着いているから」

「うん……」


 本来ならば、チャーリーはイカダから落ちて流されるようなヘマはしなかったであろう。人間よりも遥かに高い運動性能を持ったロボット猫だ。

 しかしチャーリーは皆のために体内に大量の水分を蓄えていたのだ。そのせいでまともに動くことができなかった。鏡乃は自分達のせいでチャーリーが犠牲になったと捉えているのだ。


「鏡乃さん、チャーリーは百戦錬磨のロボット猫ですのよ。これくらいいつものこと、へっちゃらでございますわ」

「うん……」


 マリーの慰めにも心在らずの鏡乃。重苦しい雰囲気が浜辺に漂った。


 最もインドア派の紫乃が浜辺に横たわり、頬を砂まみれにしていた。顔が真っ青だ。それに気がついた小梅は慌てて駆け寄った。


「紫乃さん! 大丈夫ですか!?」

「ううう……気持ちが悪い……」


 小梅は紫乃の様子を確認した。やはり熱中症のようだ。昨日イカダ作り中に倒れた時のダメージが回復していなかったようだ。その上過酷な航海。海水を飲み、喉がからからだ。


「これを飲んでくださいましー!」


 薬島への漂着時、マリーの金髪縦ロールに偶然絡みついていたペットボトルを差し出した。中身はチャーリーの浄水だ。紫乃はそれを受け取るとゆっくりと飲み込んだ。


「ゲホッゲホッ! ふぅふぅ……ありがとう」


 最後の水を失った一行に、重苦しい絶望感が押し寄せた。掌島へと渡った先のことは敢えて考えないようにしていたのだ。きっと黒乃達が待っていると信じて。


 黄乃は辺りを見渡した。

 小さな薬島とは雰囲気がまるで違う。島の中央には標高二百メートルの掌山。火口からは煙が立ち昇っている。


「あそこにロボキャット工場があるんだよね」


 黄乃は火口を見上げた。ロボキャット工場には元々人が暮らせる設備があったはずだ。そこにいって助けを求めるのが良いであろうか? 話によるとロボキャットは自分達を捨てた人間を憎んでいたようだ。今もそうなのだろうか?

 そして黒乃達はいったいどこにいるのだろうか? 掌島へ渡れば姉が笑顔で出迎えてくれる。そんな展開を期待していたのに。


「……もう黒ネエ。早く助けにきてよー!」


 黄乃の叫びは太陽の光に灼かれて虚しく霧散した。





「うおおおおお! 今助けるぞー!」

「ご主人様ー!」


 黒乃は全裸でウォータースライダーに飛び込んだ。巨大なケツを器用にコントロールし、滑る速度を調節した。


「メル子はご主人様が助ける!」


 ウォータースライダーの途中に引っ掛かっていたメル子の元へ辿り着くと、水着の紐を素早く解いた。床面の微かな出っ張りに、メル子の水着が絡みついてしまっていたのだ。


「まったく、高級リゾートが聞いて呆れるよ。こんな出っ張りがあってさ。怪我したらどうするのさ」

「本当ですね。施工があまいです」


 二人は仲良く綺麗な水が流れるスライダーを滑り降りると、大きなプールに飛び込んでいった。


「プハー! リゾート最高!」

「夏休み万歳!」


 照りつける太陽は二人の肌を黄金色に焦がした。

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