第342話 夏休みです! その三

 日本の遥か南。太平洋に悠然と浮かぶ肉球島にくきゅうじまは水着姿の少女達の楽園と化していた。


「えい! マリ助! えい!」


 波打ち際を駆け、海水をすくって投げかける黒ノ木四姉妹四女、鏡乃みらの


「やりましたのねー!」


 水を被ったマリーは、お返しに手で水鉄砲を作り、鏡乃の丸メガネに向けて発射した。もろに水流をくらった鏡乃は仰向けにひっくり返った。


「うわー!」

「マリーちゃん! 私にも! 私にも水鉄砲をください!」

「いきますわよー!」


 スラリとしたスタイルの梅ノ木小梅うめのきこうめも水撃を食らって悶絶した。喜びに打ち震えるように黒髪のポニーテールが上下に踊った。


 砂浜で埋もれているのは黒ノ木四姉妹サード、紫乃しのだ。体の上にこれでもかと砂を乗せられ身動きがとれないようだ。


「ぐほほ。紅子べにこ〜助けて〜重いよ〜」

「おもしろい〜」


 小学校に入学したばかりの黒乃の娘、紅子は夢中になって紫乃の体に砂を被せている。

 そしてその上に乗って寛いでいるのがロボット猫のチャーリーだ。グレーの尻尾がメトロノームのように動き、紫乃の鼻を何度もくすぐった。


「へっきゅしょい! ぼふふん!」


 必死にはしゃぐ少女達を呆然と眺めているのは黒ノ木四姉妹次女、黄乃きのだ。彼女は浜辺に流れ着いた流木に力無く腰掛けていた。照りつける太陽が恨めしい。


「なんでみんな遭難したのに遊んでいられるんだろう……」


 ここは肉球島群島の北方に位置する薬島くすりじまだ。この小さな島に流れ着いたのはこの七名。全員未成年だ。


「黒ネエ達は無事かなあ」


 自分達が無事なのだから、百戦錬磨の黒乃達も無事であろうとは思っている。しかし船が大破してこの島に流れ着いて数時間、いまだになんの連絡もない。持っていたデバイスもどこかにいってしまった。荷物もなにもない。丸メガネが無事だったのは不幸中の幸いだ。丸メガネがなかったら生きてはいられなかったであろう。


「おかしい。すぐに黒ネエが助けにきてくれると思ったのに」


 黄乃は立ち上がった。島の頂上目掛けて歩き出した。薬島は小さい。十分も歩けばすぐに山頂だ。周囲を見渡した。東と西にはそれぞれ、中島と小島。南には一番大きい掌島てのひらじまが見える。その中央には標高二百メートルの活火山である掌山てのひらさんがそびえ立っている。

 ここから見えるものは純然たる自然のみ。


「黒ネエの話だと、あの山の火口にロボキャット工場があるんだよね」


 工場には捨てられたロボキャット達が暮らしており、彼らによって電波妨害を受けていたため、救助の要請ができなかったとも聞いている。


「でももうそれは終わったんじゃないのかな」


 デバイスが使えないとしても、なにかしらの合図があってもよさそうなものだ。例えば狼煙のろしとか。


「そうだ! 焚き火だ!」


 黄乃は山を駆け降りた。



 浜辺に戻ると遊び疲れたのか、皆砂浜に座り込んでいた。


「ねえ、みんな! 焚き火で合図を出そうよ……みんな!?」


 様子がおかしい。近づくにつれてその理由がわかった。座り込んでいたのは疲れたからではなく、泣いていたからであった。


「ううう、きーちゃん!」


 鏡乃が勢いよく黄乃の胸に飛び込んできた。


「どうして誰も助けにきてくれないの!?」

「それは……」


 平らな胸の中で震える妹のおさげを撫でた。他の少女達も俯いて、先ほどまでの元気が嘘のように消え去っている。

 黄乃はようやく理解した。あれは空元気だったのだ。遭難して平気なわけがなかった。

 そしてその空元気も底を尽きてきた。日が沈みかけている。文明が一切ない、暗闇の世界が訪れようとしているのだ。


「みんな! 火を起こそう!」


 黄乃は少女達を見て震える声ながらも力強く言った。


「夏だけど、夜になったら寒いし。それに、私達がここにいるって黒ネエに教えないと!」


 その言葉に皆一斉に動き出した。日が落ちるまで時間がない。


 唯一のサバイバル経験者マリーがいくらかの指示を出した。必要なものは雨風を凌げるシェルター。そして焚き火だ。

 シェルターは簡単だ。木の枝を木の幹に立てかけていけばいいだけだ。その上から大きな葉っぱを被せる。それで簡易的なシェルターの完成だ。幸い七人もいるので作業はすぐに済むはずだ。


 問題は火起こしの方である。道具は一切ない。知識もない。


「マリ助! 前はどうやって火を起こしたの?」

「簡単でしたわよ」


 マリーは記憶を辿った。前回のサバイバルではFORT蘭丸のマスターであるルビー・アーラン・ハスケルと一緒に流れ着いたのだ。二人はサバイバル能力が皆無で、最後まで火を起こせなかったのである。


「あの時は、ルビーさんがデバイスをハッキングして、バッテリーを発火させたのですわ」


 それを聞いた一行は肩を落とした。できるわけがない。せめてロボットがいれば話は簡単だ。大抵のロボットには発火機能が搭載されているからだ。

 一行はチャーリーに視線を注いだ。


「ニャー」


 七人の中で唯一のロボット、チャーリー。グレーの大きな塊は大欠伸をして砂浜に寝転んでいる。


「ねえ、チャーリー」鏡乃はチャーリーを両手で掴んで持ち上げた。

「チャーリー、火を出せる? ねえ、火だよ」

「ニャー」


 チャーリーはジタバタともがくと、鏡乃の手から抜け出して去っていってしまった。そのまま森の中へ消えた。


「もう〜、クロちゃんじゃないとチャーリーがなに言っているのかわからないよ〜」


 一同は首を捻って考えた。以前見たサバイバル動画では、板と棒を擦り合わせる方式で火起こしをしていた。か弱い少女達に果たしてあれができるだろうか。


「もうやるしかないね」


 空が暗くなってきた。時間がない。黄乃の指示の元、材料を集めた。


「えーと、木の棒と板」


 どちらも浜辺に流れ着いていたものだ。板というより、真っ二つに裂けた丸太であるが。どちらも充分に乾いている。


「力仕事なら任せてください!」


 中学生にしてはすらりとしたスタイルの小梅は空手家だ。浅草にあるマッチョマスターの空手道場に通い日々鍛えているのだ。

 小梅は両手で棒を挟み込み、先端を板にあてがうと勢いよく手のひらを擦り合わせ棒を回転させた。


「ふぬぬぬぬぬぬ!」

「小梅さん、がんばってくださいましー!」

「見ててくださいマリーちゃん! 絶対に火をつけてみせます!」


 しかし、十分以上擦ってもまったく火が起きる気配はなかった。

 小梅は砂浜にぐったりとうなだれた。


「ハァハァ、こんなに難しいとは……」


 落ち込む小梅の背中を紅子が何度も撫でた。「どんまい〜」


 黄乃はもっと効率よく擦る方法を考えた。彼女はロボット工学を学ぶ大学生。科学的な思考は充分養われているはずだ。自分を信じろと言い聞かせた。


「動画では手で擦る以外にも弓を使っていたような」


 弓切り式は、素手で行うきりもみ式よりも遥かに効率的に火を起こせる。弓の弦を棒に絡ませ、前後にスライドさせることで効率的に棒を回転させるのだ。

 しかし紐などない。


「そうか! わかった!」


 黄乃はおもむろに自身のジーンズからベルトを引き抜いた。それを棒に巻き付ける。


「これを引っ張って回転させればいいんだよ!」


 やり方はこうだ。

 木の棒にベルトを巻く。そのベルトの両端を黄乃と紫乃が交互に引っ張るのだ。それで棒は勢いよく回転する。

 棒がずれないように上から押さえつける役目も必要だ。一番力が強い小梅が石を棒の上端に乗せ、しっかりと上から力を加える。

 人数が多いからこそできる方式だ。


「やってみよう!」


 ベルトをしっかりと握り、ゆっくりと引っ張る。回転は順調だ。しかし、少し回転を速めると棒がずれて地面に転がってしまった。


「これはかなり力がいります。でもご心配なく。全力でいきますよ!」


 小梅は体重をかけて棒を押さえつけた。黄乃と紫乃がベルトを引っ張る。今度は順調だ。棒が高速回転をしてほんの十秒足らずで焦げ臭い匂いが漂ってきた。そしてうっすらと煙が立ち昇る。


「いい具合! きーちゃん、しーちゃん頑張って! ねえ……ここからどうするの!?」


 末妹にそう言われて、姉二人は動きを止めてしまった。


「なにか、燃えやすいものに火を移すの」

「なにかってなに?」


 一行は大騒ぎをしながら火起こしにチャレンジした。

 ようやく焚き火から煙が昇ったのは夜も更けてからであった。


「黒ネエ! 私達はここにいるよ! 助けにきて!」


 少女達の魂の叫びは風に乗って掌島まで飛んだ。





「ん? メル子、今なにか言った?」

「言っていませんよ」


 二人は掌島に建てられたホテルの最上階のバルコニーで、マンゴーラッシーを堪能していた。デッキチェアに寝そべり、星空を眺めた。


「いや〜、満天のお星様。これぞリゾートって感じだね」

「ですね!」


 二人はお互いのグラスを打ち合わせた。お互いの顔を見つめ微笑みを交わす。

 グラスには天空の星々が映り、また地上の微かな炎の揺らめきさえも捉えた。少女達の決死の灯火は、無数の星芒に埋もれてかき消された。

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