第333話 ブタです!

 ——ゲームスタジオ・クロノス事務所。


 いつもの朝、いつもの事務所、いつものデスク……ではない。

 黒乃のデスクの上には見慣れぬものが乗っていた。白い巨大な塊。短い艶のある体毛、突き出た鼻、広がった耳。短い手足、くるりと巻いた尻尾。


 ブタだ。

 マイクロブタと呼ばれる種類で、品種改良された小型の個体だ。

 黒乃はそのブタをしきりに撫でていた。


「先輩……」


 黒乃の前の座席に座る、赤い唇がセクシーな女性がプルプルと震えながら声をかけた。


「桃ノ木さん、どしたん?」

「ブタが宇宙船に紛れ込んでいるようなので、捨ててきましょうか?」

「ブー!?」

「こらこら、なんてこというの!? こいつはブータンだよ!」


 ブータンとはタイトバース世界の住人で、豚の獣人である。黒乃とは一緒に冒険を繰り広げた、いわば相棒だ。

 タイトバースはロボット達の多次元虚像電子頭脳ホログラフィックブレインがリンクして生み出された、仮想現実の世界だ。ブータンは仮想現実の中で生み出されたAIである。

 そのブータンがなぜ現実世界にいるのだろうか。しかもマイクロブタのボディにインストールされて。


「なあ、ブータンよ」

「アネキー! なんですかブー!?」


 ブータンは短い尻尾をクリクリと振り回した。


「どうしてタイトバースからこっちにやってきたんだい?」

「黒乃のアネキに会いにきたブー!」


 黒乃はブータンを抱きしめた。


「ははは、こやつめ」

「ブー!」


 その様子をFORT蘭丸とフォトンは呆れた様子で眺めた。


「豚が!」桃ノ木は歯軋りをした。


「それにしても、どうやって現実世界にこられたんだい? まさかソラリスに取り憑かれてとかじゃないよね……?」


 大勢のロボットがタイトバースの世界に取り込まれてしまったタイトクエスト事件。

 取り込まれたAIがローション生命体ソラリスに取り憑かれることによって、現実世界のボディが乗っ取られる形でゲーム内のAIが現実世界に現れたのだった。


「ご心配いりませんブー! サージャ様にお願いしたらこられたんですブー!」

「サージャ様に!?」


 浅草神社の御神体ロボにしてメイドロボであるサージャは、タイトバースの世界でも巫女として世界に君臨していたのだ。その世界の神である、神ピッピに唯一アクセスできる存在として。


「ほえ〜?」

「実は自分、あの後タイトバースにアネキのタレを広めようとがんばっていたんですブー」


 ブータンは当初、タイトバースの国家の一つである、ウエノピア獣国で看守を務めていた。そこで黒乃の『タレ』との出会いをきっかけに、黒乃について回るようになったのだ。


「自分の使命は美味しい肉をみんなに食べさせることブー! そのためにはアネキのタレが必要なんですブー!」


 ブータンは黒乃のタレを研究した。ある程度の再現はできるようになり、それを活かした肉を提供することである程度の評価は得られた。

 しかし、完璧には程遠い。


「だからもう一度、アネキにタレの秘密を教わりにきたんですブー! タレを広めた功績が認められて、サージャ様がこっちの世界に送ってくれたんですブー!」

「異世界転移ってそんな簡単にできるものなんだ。具体的にどうやるんだろう?」


 タイトバースからの転移にはいくつか条件がある。

 1、対象AIが無害であること

 2、転移が両世界にとって有益であること

 3、AIがインストールされていない、空のボディが存在すること

 4、サージャの気まぐれ


「なるほどな〜。だから、ブータンは浅草動物園の動物ロボのボディにインストールされたのか」

「たまたまマイクロブタのボディがあってよかったブー!」


 浅草動物園では、仲間を増やすために新規の動物ロボボディを購入していたのだった。そこにAIをインストールするのには時間がかかる。製造上のコストに加えて、政府のデータベースへの登録、審査などがあるのだ。


「ふーむ、AIのコストねえ……」


 黒乃は腕を組んで考え込んだ。目を閉じ、頭を左右に揺らす。ゲームスタジオ・クロノスが直面している問題もまさにそれだ。

 そして目を見開くと同時にキーボードを叩こうと手を伸ばした。しかしその指がキーボードの前に座っていたブータンの鼻に突き刺さった。


「ブー!?」

「ああ、ごめんごめん」


 その時、壁掛け時計が正午を告げた。

 その途端FORT蘭丸とフォトンが立ち上がり、事務所の玄関へと殺到した。


「シャチョー! お昼食べにイキまショウ!」

「……早く」



 ——仲見世通り。

 浅草寺の雷門と宝蔵門を繋ぐ参道。観光客で溢れる通りの中程に、メル子の南米料理店『メル・コモ・エスタス』が存在する。


「ブー!? すごい人ブー! アネキー! 今日はお祭りですブー!?」


 クロノス一行は仲見世通りを歩いていた。この人ごみの中を四本足で歩くのは危険なので、フォトンがブータンを抱えていた。


「……」

「なんて?」

「……重くてもう無理」


 ブータンはマイクロブタとはいえ、十キログラムはある。フォトンは汗だくになっていた。フォトンの代わりに黒乃が抱き上げると、視点が一気に上がった。


「ブー!? 人が多すぎるブー! 世界中の人が集まってきているんですかい!?」


 遥か向こうまで続く人々の頭の海を見て、ブータンは仰天した。


「まあ仲見世通りは毎日がお祭りみたいなもんさ」



 やがてメル子の出店の前に到着した。


「女将サン! お昼くだサイ!」

「……今日のメニューはなに?」

「みなさん! いらっしゃいませ!」


 汗を迸らせ料理を提供するメル子。出店は今日も大盛況で、行列が絶えない。

 黒乃達はその最後尾に並んだ。


「メル子のアネキは自分の店を持っているんですブー!?」

「そうだよ。仲見世通りの人気店さ」


 その時、出店の軒先からいつもの声が聞こえた。


「ニャー」

「お、チャーリー。お前もお昼を食いにきたのか」


 巨大なグレーのモコモコの塊。ロボット猫は大きな口を開けて欠伸をした。


「チャ王!?」


 ブータンは黒乃の腕から飛び出ると地面に這いつくばった。プルプルと震えながら平伏している。


「チャ王! お久しぶりですブー!」

「ニャー」


 チャーリーはタイトバースではチャ王と呼ばれ、ウエノピア獣国の元首として君臨していたのだ。つまりブータンの上司である。


「ニャー」

「ふんふん、なになに? 挨拶はいいから、白猫ちゃんをこっちに連れてこい? ブタはこなくていい? だってさ」

「ブー!?」


 そうこうしているうちに料理を受け取ることができた。今日のメニューはメル子特製『スダード・デ・ペスカード』だ。


「女将サン! 美味しそうデス!」

「……辛そう」

「お魚料理は珍しいわね」

「みなさん! ゆっくりと味わって食べてくださいね!」


 一行は出店の横にあるベンチに腰掛けて料理を堪能した。

 スダード・デ・ペスカードは魚を蒸し焼きにしたペルー料理だ。アヒソースが味の決め手である。


「ブー!? 美味しいブー! このタレがピリ辛で独特の味わいがあるブー!」


 ブータンは皿に盛られた料理を夢中になって舐めた。


「ブータン! それは私オリジナルのアヒソースですよ!」

「さすがメル子のアネキですブー!」

 

 

 食事を終えた一行は事務所に戻ってきた。昼食後は昼寝の時間である。事務所の二階の部屋が仮眠室だ。

 黒乃、メル子、フォトン、桃ノ木は布団を横に並べて寝転んだ。FORT蘭丸とブータンは一応男性なので隣の部屋だ。


 黒乃は目を閉じずに天井を見つめた。隣ではフォトンがもう寝息を立てている。


「ご主人様、どうされましたか?」

「うーん、ちょっとね……」


 黒乃はタイトバースでの日々を思い出していた。苛烈な戦いに次ぐ戦い。命懸けの探索。それに比べたら現実はいかに平和であろうか。

 だからといって、戦いがなくなったわけではない。追い求めなくてはならないことが山ほどある。

 冒険は終わってはいない。


 寝息が一つ、もう一つ増えた。静かな路地に佇む古民家から、一切の音が消え失せた。


「よし! もういっちょいくか!」

「むにゃむにゃ……ご主人様、どこにいくのですか?」


 寝言だろうか? 黒乃は隣の布団のメイドロボの顔を見た。


「ふふふ。もういっちょ、タイトバースにいってこようかってね」


 そう言うと黒乃も目を閉じた。

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