第328話 お仕事の風景です! その五
朝、黒乃とメル子は歩いていた。
浅草寺から数本外れた物静かな路地。その石畳は二人の緩慢な歩みをしっかりと受け止め、鈍い音を跳ね返した。
お互いを支えるようにして歩く白ティー丸メガネと、金髪巨乳メイドロボ。二人の顔からは生気が失われていた。
「お二人とも、おはようございます」
めざしの干物の如く萎れきった二人を、妖精の泉から現れた天女が奏でるような麗しい旋律が包み込んだ。
「あ、ルベールさん……」
石畳の路地を箒で掃いているのは、クラシックなヴィクトリア朝のメイド服を纏ったメイドロボだ。純白のエプロンとその笑顔の眩しさに、二人は思わず目が眩んだ。
「今日からお仕事ですか? 大変ですね」
「あ、えへえへ、その節はどうも……」
「プチ達を預かってもらって、ありがとうございました……」
黒乃達がタイトバースにログインしている間、プチ達の面倒はルベールが見ていたのだ。
「いえいえ、私もおチビちゃん達の着せ替えを存分に楽しんで……オホン、なんでもございません」
「え?」
黒乃とメル子はルベールに挨拶を済ませると、彼女の紅茶店『みどるずぶら』の隣の古民家に滑り込んでいった。ここが黒乃のゲーム会社『ゲームスタジオ・クロノス』だ。
ここはルベールのマスターである奥様の所有する民家で、黒乃は事務所として格安で借りているのだ。
引き戸をカラカラと開き、玄関で靴を脱いであがる。入ってすぐの部屋が仕事部屋だ。
「先輩、おはようございます」
「シャチョー! 遅かったデスね!」
「……そろそろ元気でた?」
プランナー、兼ディレクター、兼事務、兼会計、その他あらゆる業務をこなすスーパーレディ
逃亡癖のあるプログラミングロボの
子供のような見た目のお絵描きロボ
イカれた三人の社員が黒乃を出迎えた。
「ああ、みんなおはよう……」
「おはようございます……」
黒乃はよろよろと座席に着いた。正面には桃ノ木、左隣にはフォトン、左前にはFORT蘭丸という配置だ。
メル子は黒乃の座席の横に椅子を引っ張り出して座った。そのままピッタリと黒乃に体を預ける。
「……まだイチャイチャしてる」
フォトンは呆れてその様子を眺めた。
黒乃とメル子はタイトバースで離れ離れになっていた反動で、ずっとくっついたまま過ごしているのだった。
黒乃にとってはほんの二ヶ月程度の出来事であったのだが、メル子にとっては三年もの時間が過ぎ去っていたのだ。
しかし、現実世界ではたった数日しか経過していないのであった。
「先輩、元気を出してください」
向かいの席からモニタ越しに桃ノ木が心配の声をかけてきた。
「みんなは元気だねえ……よくあんなことがあった後に働けるねえ……」
「私は先輩と一緒に冒険ができて楽しかったですよ」
「桃ノ木さんはタフだねえ……」
黒乃は頭の発光素子を明滅させてキーボードを叩いているロボットを眺めた。
「FORT蘭丸はどうなんだい。ルビーと離れ離れで寂しくなかったのかい……」
「寂しかったデスけど、異世界でのんびり暮らせて楽しかったデス! マタいきたいデス!」
FORT蘭丸のマスターであるルビー・アーラン・ハスケルは超AIである神ピッピのチーフプログラマだ。そのため現在はタイトクエスト事件の後処理に追われている。
政府内でも神ピッピの扱いについては考えあぐねているようだ。ロボット達の電子頭脳をリンクして作られたグリッドコンピューティングシステム。それこそが神ピッピの正体であり、タイトバースが存在する場所なのだ。
神ピッピは全てのロボットの中にいる。そして全てのロボットの思考や行動に影響を与えうる、強力で危険な存在でもある。現状、神ピッピに直接アクセスできるのは巫女サージャのみだ。彼女に全ロボットの命運が委ねられている状況を、政府は危惧している。
「まあ、もううちらにできることはないけどね……」
続いて隣の席の青いロングヘアの子供型ロボットを見た。
「フォト子ちゃん、陰子先生はなんか言ってた……?」
フォトンは電子ペンを指先で器用に回転させた。その回転と同期したように青いロングヘアが様々な色に変化した。
「……えへへ、先生が抱っこしてくれた」
フォトンのマスター
しかしこの時ばかりは、陰子もフォトンに心の内を晒したようだ。ただ抱きしめるというだけの行為によって。
「……えへへ、嬉しかった」
「よかったねえ……」
皆既に、異世界の生活から現実世界への生活へと順応しているようだ。
それに対して黒乃とメル子は未だ
黒乃は目の前のモニタを見た。メッセージが大量に溜まってしまっている。たった数日間仕事をお休みしたらこの有様だ。現実世界は異世界に比べて忙しい。現実も戦場だ。
現在ゲームスタジオ・クロノスが請け負っている仕事はひと段落を終え、次の大きな仕事を待つ状態となっている。その間はグラフィック系の細々とした業務でつないでいく。
いよいよゲームスタジオ・クロノスオリジナルゲームの開発を行う時がやってきたのだ。
そのために数々の企画会議、合宿を敢行してきた。富士山キャンプ、月旅行、無人島サバイバル、異世界転移。全てはオリジナルゲーム企画を考えるためなのだ。
「お前ら〜……」
「……」
「……」
「……」
仕事部屋にはキーボードを叩く音が鳴り響く。
「お前ら〜……」
「シャチョー! 今ナニか言いまシタか!?」
「……いつもの威勢がまったくない」
「先輩、なんでしょうか?」
「オリジナルゲームの企画は考えたのか〜……」
キーボードの音だけが鳴り響いた。
「先輩、押上の会社からまた開発補助の依頼がきていますが」
「……え、ほんと?」
「今回も大規模ゲームの補助らしいですね。またFORT蘭丸君のプログラミングスキルを活かして、根こそぎ業務を奪ってしまいますか?」
「イヤァー!」
「うーん……」
黒乃はピタリとくっつくメル子の肩を揺すりながら考えた。
「やめとこ……」
「どうしてですか?」
「ここでFORT蘭丸のリソースを割くのはもったいない……。オリジナルゲームの方に割り振ろう……」
「そうですね、わかりました」
「相変わらずキャラクターデザインの案件は途切れずにきています。こちらはフォト子ちゃんに割り振ってもいいですか?」
「うん……単発の仕事はどんどんやっとこ。資金は多いに越したことはない……」
そうこうしているうちに昼食の時間がやってきた。皆、メル子に視線を注いだ。
「なんでしょうか……」
「女将サン! お昼デスよ!」
「……メル子ちゃん、お昼」
「お昼がどうかしたのでしょうか……」
メル子は黒乃にひっついたまま動こうとしない。
「メル子……」
「はい……」
「メル子はメイドロボだよね……」
「そうです……」
「ご飯を作らないと……」
「すっかり忘れていました……」
異世界暮らしが長すぎて、自分の本分を忘却の彼方に押しやってしまったようだ。
「よっこらしょっと……」
メル子は立ち上がろうとしたが、なぜか力が入らない。数秒もがいたのち、再び黒乃の腕の中へおさまった。
「今日は無理みたいです……」
「女将サン!?」
「……じゃあお昼はどうするの」
仕事部屋に絶望の空気が漂い始めたその時、異世界の魔王が時空を超えてその手を伸ばしてきたかのような戦慄を与える声が響いた。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! なんですか、この声は!?」
「オーホホホホ! お二人ともだらしがなさすぎですわよー!」
「オーホホホホ! メイドロボ失格ですわいなー!」
「「オーホホホホ!」」
古民家の窓を開けて転がり込んできたのは金髪縦ロール、シャルルペロードレスのお嬢様たちであった。
「なにをしにきましたか!?」
「メル子さんがまったくメイドロボとしてのお仕事をなさらないので、代わりにわたくしが参りましたのよー!」
「アンテロッテのケータリングですわー!」
黄金色に光り輝くお嬢様たちの眩しさに目が眩む黒乃とメル子。
「アン子サンのフランス料理が食べられるんデスか!?」
「たまにはフランス料理もいいわね」
「……楽しみ」
社員達には好評のようだ。
だが、逆にそれがメル子のメイドロボ魂に火をつけた。
「だれがアン子さんにケータリングを頼みましたか……」
メル子は震える足に叱咤激励して立ち上がろうとした。するりと黒乃の腕の中から抜け出す。椅子の背もたれを掴みようやく立ち上がった。
「私は世界一のメイドロボです……その私を差し置いてお料理をしようとは、どういう了見ですか!」
「オーホホホホ! ではどちらのお料理が美味しいか、お勝負ですわー!」
「望むところです!」
メル子とアンテロッテは腕まくりをして台所に消えた。一行はぽかんとそれを眺めた。
黒乃はくすりと笑った。どうやら自分より、メル子の方が先に立ち直れそうだ。三年間というブランクはこれからの日常が徐々に埋めていってくれるのだろう。
冒険は異世界だけではない。現実世界だって冒険の連続だ。黒乃達には挑まなくてはならないことが山ほどあるのだ。
「よし、みんな聞いてくれ!」
黒乃は手のひらでデスクを叩いた。部屋がしんと静まり返る。
「ひとつ! 企画を考えた!」
タイトバースでの冒険を終え、少し立ち止まった。
長い人生のほんの少しの間だけだ。立ち止まった分、反動をつけて進もうじゃないか。
どこにぶっ飛んでいくのかはわからない。それが冒険ってもんさ。
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