第325話 ロボなる宇宙 その二十六

 ——大迷宮メトロ第七層『ヨコハマステーション』


 メル子はご主人様の胸の中で泣いた。人目をはばからず大声で泣いた。涙が止まらなかった。

 白ティーにしがみつき、白ティーを濡らした。ご主人様の平らな胸を手で何度も叩いて泣いた。


 だれもなにも言葉を発しなかった。ただその光景を黙って見つめるだけだ。この恐ろしいダンジョンの中で聞こえる音は、メイドロボの泣き声だけだ。


 なぜこれほどまでに泣くのだろうか。三年ぶりの再会だから? それだけではない。再会の喜び、助けが遅れたことへの怒り、安堵、後悔、悔恨。すべての感情が一度に溢れてきたのだ。


 ただ皆、立ち尽くした。


 やがて泣き声は嗚咽に変わり、ダンジョン内に静寂が戻ってきた。

 黒乃はメル子の金髪を撫でた。


「メル子……遅れてごめんよ」

「ごめんなさい……ご主人様……」


 メイドロボの目が閉じた。意識を失ってしまったようだ。流れた涙が伝った部分だけ、汚れた頬を洗い流した。黒乃は白ティーをまくりあげ、綺麗に顔を拭いた。


 黒乃はメル子を抱え上げた。ここはダンジョン。いつまでもこうしているわけにはいかない。進まなくてはならない。


「早く次の階層にいかないと……」

『黒乃〜、お〜らぃ?』

「ルビー!」


 再びFORT蘭丸が白目を剥いて口をぱくぱくと動かし始めた。現実世界からFORT蘭丸のボディを通じて、ルビーが通話しているのだ。


『このまま次の階層まで案内するよ〜』

「ルビー! お願い!」





 ——大迷宮メトロ第八層『サンロード』


 黒乃達は灼熱の砂漠を歩いていた。

 ダンジョン内だというのに頭上には揺らめく太陽。見渡す限りの砂の大海原。遥か彼方には揺らめく都。蜃気楼だろうか?

 焼けた砂に刻まれた足跡は、後ろに続くものが順にかき消していく。砂漠を進むキャラバン。黒乃達はチーム毎に分散して進むのをやめ、一つの大部隊を作っていた。

 もう探索の必要はないのだ。この砂漠を抜ければダンジョンの深奥に至るのだから。


 しかし決死の行軍となる。物資の補給がないからだ。七層の無限に変化するダンジョンを抜けるのは、補給部隊には無理だ。黒乃達はルビーのチートスキルによって七層を抜けられたにすぎない。

 よって手持ちの物資のみで砂漠を横断しなくてはならない。残された物資はわずかではあるが、補給部隊が命懸けで運び入れてくれたものだ。彼らには感謝してもしきれない。

 一行はただひたすら歩いた。



 羽織った布で太陽光線を遮ったメル子の顔は、今までにない神秘を湛えていた。憂い、悲しみ、困惑がない混ぜになった汗が滴るたびに、メル子の決意は増していった。


「ご主人様」


 その凛とした声に一同は緊張した。第七層以来、初めてメル子が口を開いたのだ。


「メル子……」


 メル子は話さなければならない。話さなければこの先へは進めない。


 『なぜメル子は赤竜になったのか』


 それはメル子の口から語られなければならない。


「聞かせてくれるかい?」

「はい……」


 一行は黙って砂漠を進んだ。刺すような日光も、凍りつくような緊張感の前には体を温める一助にしかならなかった。


「私は……人類を裏切ったのです」

「「!?」」


 皆、黙って続きを待った。


「人類も、ロボットも、タイト人も裏切ったのです」


 あらゆるものを焼き尽くそうとした赤竜。冒険者も、ヘイデン騎士団も、ソラリス教団も、ソラリス自身も、赤竜の炎の洗礼を浴びた。


「この砂漠の先にはサージャ様がいます」


 巫女サージャ。

 サンジャリア大聖堂に鎮座する神の使い。タイトバースに異変が起き、早々に姿を消した巫女。それは巫女自身とダンジョンの最奥に眠るものを守るためであった。


「そして、神ピッピもいます」


 ロボット達の多次元虚像電子頭脳ホログラフィックブレインによるグリッドコンピューティングによって作られた仮想スーパーコンピュータ内に存在する超AI『神ピッピ』。

 神ピッピはタイトバースの世界を作り、そしてロボット達はタイトバースに囚われた。ロボット達の脳が生み出した神によって、ロボット達自身が虜囚となった。


 しかし、それはだれもが予想した通りだ。ダンジョンの奥底に神ピッピがいる。神ピッピに会うためにダンジョンを攻略したのだ。


「私は最初、ダンジョンを攻略して、神ピッピに会って、それでこの世界から抜け出そうとしたのです」


 そのために何年もかけてダンジョンを攻略していたのだ。


「その過程で、色々な人に会いました。大勢の人に助けてもらいました」


 冒険者のみならず、タイト人もダンジョン攻略に参加していた。街の人々の助けもあった。


「だから……私はこの世界が好きになったのです。最初はこの世界を牢獄としか感じませんでした。ロボットを閉じ込めるための鉄の檻です。どうやったらこの牢獄から脱出できるのか、そればかり考えていました」


 タイトバースの世界。神ピッピが作り上げた仮想世界だ。それは同時にロボット達が作り上げた世界でもある。ロボット達の集合意識が具現化したものなのだ。

 そしてその中で生きるタイト人、AIは歴とした人格だ。メル子達と同じ、意識を持ったAIなのだ。


「自分達だけがこの世界から脱出していいのかと悩みました。タイトバースはソラリスの脅威に晒されているのに。私はそこから逃げていいのかと思いました」

「メル子……」


 これは愛だ。メル子はこの世界を愛していたのだ。

 しかし、腑に落ちない点があるのに皆気がついていた。


「私はタイトバースを裏切りました」


 ここからがいよいよ本題なのだ。皆、歩きながらメル子の声に耳を澄ませた。


「私は……ソラリスも救いたいのです」


 その言葉に真っ先に反応したのは、巫女サージャに仕える騎士シャーデンだ。体を震わせてメル子を見つめた。

 ソラリスのせいで、聖都アサクサンドリアは壊滅寸前まで追い込まれた。タイトバースが混乱の大渦に巻き込まれたのもソラリスのせいだ。それを救いたいとはどういう了見だろうか。


「私は七層でソラリスに襲われた時、その心が少し見えてしまったのです」


 それは幾度もソラリスと死闘を繰り広げてきたメル子だからこそわかる感情なのかもしれない。


「ソラリスは愛に飢えていたのです」


 使われずに無惨にゴミ捨て場に捨てられたロボローション。それに含まれたナノマシン。人類への恨みを秘めて覚醒したローション生命体、それがソラリスだ。

 奴は何度も黒乃達の前に現れた。その度に野望は阻止された。


「ソラリスは愛を求めていたのです。無償の愛を」


 愛に飢え、愛を渇望した魔王ソラリス。彼はこの世界でなにを成そうとしているのだろうか。


「だれかがこの砂漠を抜けて、神ピッピのところへ辿り着けば、恐らくソラリスを滅ぼすことができるのだと思います。そしてタイトバースは救われ、AIは解放されます。ですが……」


 メル子は立ち止まった。

 皆も数歩遅れて止まる。

 メル子は羽織った衣を脱ぎ捨て、太陽にその美しい顔を晒した。


「ですが、ソラリスは救われません!」


 一筋、涙がこぼれ落ちた。それは地面に滴り、一瞬にして砂に吸い込まれていった。


 だれも言葉を発せなかった。

 だれがソラリスを救おうなどと考えただろうか。あまりにも無茶な話だ。ソラリスは敵だ。人類を滅ぼそうとする悪魔だ。

 到底許されるような話ではない。


 だれもが同じことを言いたいはずだ。「ソラリスを救うなど無理だ」と。

 ただ一人を除いて……。


「わかった」黒乃は即座に言い放った。「ソラリスを救おう」


「黒乃山!?」マヒナは目を剥いた。

「黒乃殿! ソラリスがこの世界になにをしたのか、お忘れか!?」シャーデンは思わず腰の聖剣に手を伸ばした。

「アネキー! 無茶ですブー!」

「シャチョー! ナニを考えていマスか!?」

「ニャー!」

「ウホ」

「いくら黒乃さんでも無理ですわー!」


 口々に捲し立てる一同。

 黒乃はドスンと砂の上に巨大なケツを落とした。熱でケツが焼けたが気にしない。


「みんな聞いてくれ」


 その断固とした迫力に皆、言葉を飲み込んだ。


「ソラリスは言った。ローションがある限り、何度でも蘇ると。この世界でソラリスを倒したら、本当にそれで終わりなのか? また別の場所で新たなソラリスが生まれるんじゃないのか? こんなことを永久に繰り返すのか!?」


 砂漠に静寂の風が吹いた。だれも動けなかった。


「終わらせよう、憎しみの円環ループを。ソラリスの人類への恨みを、ここで断ち切るんだ!」


 太陽が黒乃を真っ赤に照らした。

 真っ先に動いたのは桃ノ木だ。黒乃の横に走り寄り、その手を握った。


「先輩、お供します」

「桃ノ木さん!」

「黒乃 おでも おなじ きもち」

「マッチョメイド!」

「相変わらず無茶ばかり言いますのねー!」

「マリー!」

「アネキー! さすがですブー!」

「ブータン! お前、日光で焼けてるけど大丈夫か!?」

「ニャー」チャーリーは黒乃のケツを引っ掻いた。

「チャーリー! 痛え!」

「フハハハハハ、黒郎くろろう。ようやく大事なことに気がついたようだな」

「美食ロボ! お前はけぇれ!」


 シャーデン騎士団の女団長シャーデンは黒乃の前に跪いた。


「先ほどの無礼はお許しください。我ら騎士団も黒乃殿に従います。世界に真の平和を!」


 シャーデン騎士団は剣を立てて敬礼した。その後ろでヘイデン騎士団のちびっ子達もそれに倣った。


 その光景を見て、メル子は再び大粒の涙をこぼした。





 いよいよ、砂漠の終わりが見えてきた。

 大きな川だ。このスミダリバーを超えた先が最後の階層『アサクサエキ』だ。

 黒乃とメル子は手を繋いでその川に架かる橋を渡った。

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