第308話 ロボなる宇宙 その九

 剣山のように突き出た岩山の底に溜まるヘドロのような沼地。蓮の葉の上をカエルのような、トカゲのような生物がしきりに飛び跳ねている。

 黒い体に四肢と尻尾に入った白い縞模様の馬のようなロボットは、沼地を進んでいた。その背には白ティー丸メガネに黒いマワシを巻いた女性と、グレーの大きな塊が乗っていた。


「オカピロボ、足は大丈夫かい?」


 絶滅危惧種オカピロボは、首を大きくあげて返事をした。オカピの声は人間には聞こえないのだ。加えてそもそも、オカピは人間が乗るのには向いていない。足に疲労が溜まっているようだ。


 本来ならば、タイトバース西方のウエノピア獣国から、南方のアキハバランド機国に向かうための街道を走りたいところではある。しかし黒乃は現在お尋ね者だ。ウエノピアの国王である獣王チャーリーを誘拐したからだ。当然、街道は封鎖。道なき道を進むしかないというわけだ。


「助かるよ、ブータン。私だけだったらアキハバランドに辿り着けなかったよ」


 黒乃は前を進む巨大な豚に乗った獣人に声をかけた。小柄な丸い体格、大きな耳と大きな鼻の豚の獣人は照れ臭そうに鼻をかいた。


「とんでもないですブー。アネキのお役に立てて嬉しいですブー」


 豚の獣人ブータン。ウエノピアの牢獄の看守だ。黒乃のタレの魅力に惹かれて弟子入りを希望してきた変わり者だ。


「それにしても、アネキがチャ王のお知り合いだったとは! やはりアネキはただものではなかったんですね。ブー!」

「まあ、腐れ縁だよね。一緒に冒険を繰り広げてきた仲さ。ハッハッハ」


 それを聞いたチャーリーは、不貞腐れて尻尾を黒乃のケツに何度も打ちつけた。


「ニャー」

「ふんふん、なになに? 一緒に冒険というか、いつも巻き込まれているだけだって? 白猫ちゃんとイチャイチャしたいだけなのに、こちとらたまったもんじゃないぜ、だって? ガッハッハッハ! そう言うなよチャーリー!」


 チャーリーはさらに不貞腐れて、オカピの尻の上で器用に昼寝を始めた。



 ブータンの案内で、一行は無事アキハバランド機国の首都UDXに到達した。

 黒乃は沼地にそびえる鉄の塊を見上げた。超巨大な直方体。それがUDXの全てだ。この高層建築物の中に都市があるのだ。

 アキハバランド機国は巨大な商会が権力を持ち、彼らの評議会によって政治が行われるロボット達の国だ。生産と物流こそが国の要であり、何人たりともこの国の出入りを制限されることはない。

 お尋ね者の黒乃でさえそれは同じだ。ただし関税は取られる。


「けー、ファンタジーなのに世知辛いぜ……」


 黒乃はUDXの入り口をくぐり抜けた。その瞬間、黒乃は度肝を抜かれた。

 ロボット、人、物資、食料、ロボット、コンテナ、車、クレーン、人、物資。あらゆるものが巨大な空間を行き交っている。UDXは街であり、工場であり、倉庫であり、駅なのだ。

 高密度の大都会。新宿や池袋を連想させる人ごみ。黒乃は一瞬現実に帰ってきたのかと錯覚した。


「うう……人が多い。気持ち悪い」

「先輩」


 柱の影から声をかけられた。毎日のように聞いている馴染みのある声だ。しかしそれも遠い昔のように感じられた。


「桃ノ木さん!」

「先輩!」


 桃ノ木は音もなく黒乃の胸に飛び込んできた。しっかりと抱き合う二人。


「よかった……無事だったんですね」

「桃ノ木さんもね」


 二人の心はしばし現実世界へと戻っていた。古民家で働く日常が懐かしい。絶対に取り戻さなければならない日常だ。


「アネキ! お仲間ですかい? ブー」

「先輩、なんですかこの豚は? 始末しますか?」

「ブー!?」



 一行はUDX内にある『ラジオ大聖堂』へとやってきた。聖堂送りごりんじゅうとなった冒険者やタイト人が復活する施設であり、システム的な役割を担った場所でもある。

 なにはともあれ、情報の共有が最優先事項だ。


 黒乃と桃ノ木とチャーリーは、水晶だらけの部屋へと入った。ここはゲーム外と連絡を取るためのチャットルームであり、時間の進みは現実世界と同期される。


「や〜、黒乃君〜、連絡を待っていたよ〜」


 画面に映ったのはニコラ・テス乱太郎、黒メル子、紅子、ルビーの四人だ。


「ご主人様! 無事ですか!?」

「黒乃〜、げんき〜?」


 彼らがいるのは八又はちまた産業浅草工場のプレイルームだ。ずらりとイマーシブ(没入型)マシンが並ぶ部屋で、後ろではルビーが懸命にデバイスを操作しているのが見える。


「みんな! こっちは元気にしているよ!」


 水晶に映る彼らの姿を見るたびに、ここがゲームの中の世界だということを改めて認識する。没入感が強すぎて現実とゲームの境界が曖昧になっていくのだ。


「ふむ。では早速話を始めようかね〜。現実世界のチャーリーが停止した。入っていたはずのAIが空っぽになっているんだよ。なにか心当たりはあるかね〜?」


 黒メル子の腕の中には、もぬけとなったグレーの塊が抱かれていた。黒乃にはある程度の検討がついていた。


「おそらくチャーリーは黒いスライムみたいなやつに乗っ取られていたんだよ。こっちでそれを退治したから、そっちのチャーリーは動かなくなったんだと思う」


 タイトバース事件の発端はチャーリーと美食ロボだったのだ。二人のボディは全く別のAIに乗っ取られてしまったのだ。


「ふーむ、なるほどね〜。それらの情報から推察するに、タイトバース内で黒いスライムに取り憑かれると、現実世界でボディを乗っ取られてしまうというわけか。さもありなんだね〜」


 AIはボディを制御するために、そのあらゆる情報を内に蓄えている。AIを乗っ取ることによってその情報を辿り、現実世界のボディを操作してしまうというわけだ。だからチャーリーと美食ロボのボディは勝手に動いていたのだ。

 逆に言えば、黒いスライムを排除できれば現実世界にAIは戻れるということだろうか?


「しかしチャーリーのAIは相変わらずタイトバース内でロックされたままだね〜。現実に戻ってくることは無理そうだよ〜」

「そうか……やっぱり神ピッピをなんとかするしかないのか……」


 一瞬の沈黙の後、ルビーが話し始めた。


「黒乃〜、神ピッピの調査を報告するよ〜」


 銀髪ムチムチのアメリカ人は、やや憔悴した顔を水晶に映した。彼女は神ピッピのチーフプログラマであり、その仕組みを造り上げたエンジニアなのだ。神ピッピを外部から操作できれば、囚われたAIを救えるかもしれないと調査を行っていた。


「ルビー、頼むよ」

「黒乃達のログイン情報から、神ピッピの量子サーバの在処を辿っていったんだけどね〜。どこにも量子サーバは見つからないよ〜」

「見つからない!?」


 マヒナやマッチョマスター、大勢の人間達の力を借りて候補地を片っ端から襲撃したが、あったのは巨大量子サーバではなく、単なる中継機だけであった。三千円で買える家庭用のものだ。


「ひょっとしたら〜、わたーし達の〜想像もできないような場所に、隠されているのかもしれないよ〜」

「想像もできない場所……」


 黒乃は想像してみた。

 海の中、空、東京ドームの地下、月、宇宙、国会議事堂。黒乃がすぐに思いつくような場所であれば、ルビーはとっくに見つけ出しているだろう。


「ルビー、そっちの調査は任せたからね!」

「おーけー、ゆーあごならびっ〜」


 再びニコラ・テス乱太郎が水晶球に映った。


「マリー君からも連絡がきてね〜、フォトン君と合流できたそうだよ〜。アンテロッテ君は現在大迷宮メトロに潜っているようだね〜」

「おお!」


 その情報に黒乃は心から安堵した。フォトンは、タイトバースの世界で三年間も助けを待ったのだ。ようやくやってきたマリーは救世主に見えたことだろう。

 と同時に黒乃の心はざわついた。肝心の情報が未だないのだ。


「それで……メル子の居場所は?」


 水晶球の向こうで躊躇う空気が漂っているのを明確に感じた。


「いいからはっきりと言ってくれ! メル子の居場所はわかったの!?」


 ニコラ・テス乱太郎はネクタイを締め直した。


「ではズバリ言おうかね。メル子は大迷宮メトロで消息を絶った」


 黒乃の視界が揺れた。軽い衝撃を受けた。桃ノ木が体を支えていたのだ。


「先輩……」

「これはフォトン君の情報だがね〜。彼女達はずっと大迷宮メトロに挑んでいたそうだよ。タイトバースに関する重大なものが、ダンジョンの奥底に隠されているようだね〜。そもそもゲーム的にもダンジョン探索が……」


 黒乃の頭にはその声は入ってこなかった。



 黒乃は桃ノ木に支えられてチャットルームを出た。その顔は生気を失った亡霊のようだ。


「アネキ、ずいぶん遅かったですね。その部屋はなんなんですかい。ブー」

「……」

「先輩……」


 桃ノ木はどうするべきか迷った。黒乃がこのザマでは話が始まらない。喝が必要だ。


「先輩、実は重要なロボットを見つけています」


 桃ノ木は盗賊シーフの能力とスキル、地図ぐるぐるまっぷを駆使してある人物を発見していたのだ。

 黒乃をそこに連れて行くことに決めた。



 UDXのエスカレーターを登り、電気街を通り抜け、細い路地を幾度も曲がり、ようやくたどり着いたのは、寂れた町工場であった。日の当たらぬその場所は、陰鬱さと退廃さを際立たせていた。


「先輩、ここです」

「……え? こんなところに誰がいるの? 会いたいのはメル子なんだけど……」


 桃ノ木は工場の引き戸を開けた。鈍い音を立てて開く錆びついたその扉は、滅多に開けられることがないことを示していた。


 工場の中は様々なパーツや工具が転がっていた。天井から吊り下がった左右に揺れる電灯。床を這うコードに足を引っ掛けながら部屋の奥へ進んだ。

 黒乃は扉に手をかけた。奥から人の気配を感じた。思い切って扉を開けた。


 真っ暗な部屋。埃が溜まった床。粗末なベッドの上に横たわる一体のロボット。


「お前は……」


 黒乃はベッドのシーツを掴むと、思い切り引っ張った。その勢いでベッドの上のロボットは床に転がり落ちた。頭を床に打ちつけたロボットは、床を転げ回って悶絶した。


「イヤァー! ナンデス!? ナニが起きまシタか!?」

「久しぶりだな、FORT蘭丸よ」


 そのロボットは頭の発光素子を明滅させてプルプルと震えた。


「シャチョー!? どうシテ黒ノ木シャチョーがいるの!? イヤァー!」


 FORT蘭丸は床を這って逃げ出そうとした。黒乃の横をハイハイで通り過ぎて、寝室から作業室へと進む。しかし黒乃は彼の足を掴み脇に抱えた。


「ナニするの!?」


 黒乃の体を軸に、コマのように回転を始めた。遠心力でFORT蘭丸の体が浮かび上がる。


「貴様ーッ! こんなところでなにを油売っとるんじゃー!」

「イヤァー! ヤメテ! だってボクの使命はのんびり暮らすことナンデス! ようやく手に入れた平穏な暮らしナンデス!」


 黒乃は足を離した。遠心力により吹っ飛び壁に激突するロボット。桃ノ木はすかさず彼を床に押し付けた。


「桃ノ木サン!?」


 黒乃は巨大なケツをFORT蘭丸の頭に乗せた。ミシミシと音を立ててその頭蓋が歪む。


「イダダダダダダ! 割れる! 電子頭脳が割れマス!」

「メル子を探しにいくから、さっさと準備をしろ!」

「イダダダダダダ! わかりまシタ! いきマス! いくカラケツをどけてくだサイ!」


 UDXに可哀想なロボットの悲鳴が響いた。

 FORT蘭丸が仲間になった!





 ステータス一覧。


 逃げ得のランナーFORT蘭丸

 レベル 10

 ジョブ 職人クラフトマスター

 スキル 大脱走グレートエスケープ

 装備 隠者のとんかちニートハンマー

 使命 のんびり暮らす

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