第294話 出店の日常です! その三

 仲見世通り。浅草寺本堂前の宝蔵門から雷門を繋ぐ、二百五十メートルの参道。休日平日を問わず観光客が押し寄せ、人間の頭とロボットの頭が絨毯のように敷き詰められる様を拝むことができる。

 その仲見世通りの中程にあるのがメル子の南米料理屋『メル・コモ・エスタス』だ。その向かいにはアンテロッテのフランス料理屋『アン・ココット』、左隣にはマッチョメイドの和菓子屋『筋肉本舗』がある。


 梅雨の晴れ間を狙った猛者どもが、メル子とアンテロッテの出店に押し寄せていた。


「いらっしゃいませ!」


 雲間からさす虹色の光のような爽やかな声が通りに響いた。その声に釣られるように行列がさらに伸びた。


「おお、おお。梅雨の時期だってのに、みんなよく来るなあ」

「雨が降ってもお腹は減りますから!」


 串に刺さったブロック肉をじっくり炭火で炙る。滴った肉汁が炭に落ちて猛烈な燻煙をあげる。ブラジルを代表する肉料理シュラスコだ。

 肉を薄くスライスし、ご飯の上に盛り付ける。ワインビネガーとオリーブオイルに刻んだ玉ねぎ、ピーマン、トマトを和えたモーリョというソースをたっぷりかけていただく。


「陰鬱な梅雨はスカッとビービーキュー料理で吹き飛ばしましょう!」


 料理を受け取った客は嬉しそうに肉にかじりついた。


「今日は梅雨のサービスデーでございますわよー! 最高のカスレが特別に二十パーセントオフですのよー!」


 向かいの店からは、雨に濡れたアイリスの花弁のように艶やかな声が奏でられた。

 カスレを受け取った客は瞳を輝かせてスプーンで頬張った。

 カスレとはフランス南西部の豆料理で、鴨、ソーセージ、インゲン豆を長時間煮込んだものだ。


 それを見たメル子はおもむろに店を飛び出し、向かいの出店へ向かった。


「アン子さん!」

「なんですの、メル子さん?」


 メル子は店のカウンターに置かれたメニュー表を指差した。


「これはなんですか!?」

「なんだとはなんですの」

「どうして勝手に二十パーセントオフにするのですか!」

「なにが悪いのかさっぱりわかりませんの」

「勝手に値段を下げられたら困るのですよ!」

「そんなのわたくしの勝手ですの」


 メル子は店の中を睨め付けた。中ではマリーが懸命に鍋をかき回す様子が見えた。その鍋を指差しこう言った。


「あれはなんですか!?」

「カスレのことですの?」

「今カスと言いましたか? だれがゴミカスですか!」

「表へ出やがれですのー!」

「もう出ています!」


 そのやり取りを黒乃とマリーは呆れて見ていた。


「ほらメル子、帰るよ。お客さんが待ってるからね」

「ハァハァ、わかりました」

「仲良く営業しなさいよ。同じメイドロボの出店なんだからさ」

「ライバルと仲良くなんてできませんよ!」


 黒乃はメル子を引きずり戻すと、ようやく営業を再開した。



 正午をとうに回り、客足がまばらになってきた。黒乃は湿気と汗でまとわりつく白ティーの裾を上下させ、空気を循環させた。


「ご主人様! チャーリーにご飯をあげてください!」


 メル子はお椀を黒乃に手渡した。


「おっけー、あれでもチャーリーいないけどな」

「いませんか? おかしいですね。いつもならこの時間にきているのですが。まさかアン子さんの方にいったのではないでしょうね!」


 その時、巨大なロボットがメル子の視界に入った。


「あ、大相撲ロボ! こちらですよ! 食べていってください!」


 二メートルの巨体を器用に動かし、人の間をすり抜けて進んでいるのは、浅草部屋の大相撲ロボだ。声をかけてきたメル子から顔をそむけて素通りし、向かいのアンテロッテの店の行列に並んだ。


「大相撲ロボさん、いらっしゃいませですのー!」

「大相撲ロボ! なぜ知らんぷりをしますか!」


 再び店の中から躍り出てきたメル子は、鬼の形相で大相撲ロボに詰め寄った。


「ごっちゃんです! メル子さん!」

「なぜアン子さんの方にいくのですか!」


 大相撲ロボは体をプルプルと震わせて怯えている。


「こらこら、メル子。大相撲ロボはアン子に会いたくて来てるんだから、放っておいてあげなよ」

「むきー!」


 黒乃は再びメル子を連れ戻した。


「まったくメル子の負けん気の強さったらないな」

「当たり前ですよ! 世界一のメイドロボですから! 負けていられませんよ!」


 その時、ふと隣の和菓子屋が目に入った。マッチョメイドの筋肉本舗だ。いつもなら女子学生達でごった返しているはずだが、今日は閑散としている。


「あれ〜? 全然客が来ていないな」

「どうしたのでしょう?」


 店のカウンターの中には、巨大な筋肉をゴスロリメイド服に詰め込んだメイドロボが立っていた。その筋肉にはいつもの威風堂々たるオーラはなく、しょぼくれていた。


「マッチョメイド。なにか元気がないみたいですが、どうしました?」

「黒乃 メル子 おかし うれなくて こまった」


 手の込んだ美しい細工と、若者にも食べやすい味付け、そして学生にも優しい値段設定が売りの店だ。突然売れなくなることなどあるのだろうか。


「えー? なんでだろう」

「今日のお菓子もよくできていますよ。すごくキラキラしていて……豪華で……金ピカで……あれ?」


 カウンターの下のディスプレイに陳列されているお菓子達は、いつも以上に輝きを放っていた。


「いや、なんか豪華すぎないか!?」

「金粉を使いすぎですよ! これお値段いくらしますか……ええ!?」


 黒乃とメル子はその値札を見て仰天した。桁がいつもとひとつ違うのだ。


「マッチョメイド、なにやってるのさ! 金額の桁を間違えてるよ!」

「これでは学生さん達は買えませんよ!」


 この店のメインの客層は女子学生だ。彼女達がお小遣いで買える値段設定にしていたはずだ。これでは浅草ではなく、銀座で売られている高級和菓子だ。


「なんで急に路線変更しちゃったのさ?」

「前のままでも充分に売れていたではないですか!」


 マッチョメイドは筋肉を震わせて悲しみを表現した。今にも泣きだしそうだ。


「おで……おで……」

「ああ、マッチョメイド! 大丈夫ですから、泣かないで」


 メル子はその筋肉を優しく撫でた。


「まさか……マッチョマスターになにかあったんじゃないだろうね。例えばマッチョマスターが病気で、その治療費を稼ぐために値上げを……」


 メイドロボはご主人様のその言葉にハッとした。確かに突然の値上げはそういう理由でもなければ説明がつかない。病気かどうかはわからないが、マッチョマスターになにかが起きたに違いない。マッチョメイドは自身のご主人様を助けるべく、値上げを敢行したのだ。

 メル子は巨漢メイドロボの手をとって言った。


「マッチョメイド! 私達にできることがあるのなら、なんでも言ってください! 一緒にマッチョマスターを助けましょう!」

「ちがう 美食ロボの あどばいすで ねあげした」


 二人は仰向けにひっくり返り、ピクピクと震えた。


「あのやろぉぉおお!」

「ご主人様! とっちめにいきましょう!」



 ——美食ロボ部。

 食のカリスマロボットが運営する高級会員制料亭。各界の重鎮がスプリームな献立を求めて集まる食の梁山泊。充分に手入れのされた日本庭園に囲まれた純和風のお屋敷は、怪しい静けさで満たされていた。

 その静寂を打ち破ったのは、白ティー丸メガネ黒髪おさげの女性だ。


「どりゃりゃりゃぁぁぁああい!」


 黒乃が蹴り飛ばした戸が天井にぶち当たって床に転がった。派手な音に反比例するように屋敷の中は無音だ。

 ドカドカと足音を立てながら廊下を進む。その手には真っ赤な桜漬け大根が握られていた。

 その後ろを守るのは、両手にニンジンを握ったメイドロボだ。


「美食ロボはどこじゃぁぁあああい!」


 手近な襖を勢いよく開ける。中にはだれもいない。


「美食ロボ、でてこんかぁぁぁあああい!」


 次々と襖を開ける。やがて屋敷の一番奥の部屋にたどり着いた。


「ここかぁぁぁあああい!」


 黒乃は桜漬け大根の先端を襖に突き立て、そのまま縦横に引き裂いた。穴の空いた襖をくぐり抜け部屋に入った。


「いたぁぁぁぁぁあああ!」


 床に横たわる足袋をはいたロボットの足を発見した。黒乃はそのロボットに駆け寄った。


「覚悟せんかぁぁぁぁいいい!」


 遅れて部屋に入ってきたメル子は部屋の真ん中で立ち尽くす黒乃を見つけた。


「ご主人様! 美食ロボはいましたか? ……ご主人様?」


 プルプルと震えるその背中を見てメル子は訝しんだ。そして横に並び、床に転がる物体を見た。


「ご主人様……またやってしまったのですか……」


 それは頭部と胴体が外れた美食ロボのボディであった。



 ——八又はちまた産業浅草工場。


「黒乃山! どういうことだ!?」


 息を切らせて検査室に入ってきたのは、黒いショートヘアが美しい褐色肌の女性、マヒナだ。その後ろには同じくショートカットに褐色の肌のメイドロボが控えていた。


「マヒナ、ノエ子、来てくれたんだね」

「お二人ともお待ちしていました」


 黒乃とメル子の目の前の検査台には、美食ロボが寝かせられていた。既に頭部と胴体は接合済みだ。転倒した時の衝撃で外れただけである。

 しかし美食ロボは寝たままピクリともしない。


「いったいなにがあったんだ? なぜ動かない?」

「私達が美食ロボ部に闖入ちんにゅうしたら、倒れていたんだよ」

「私達はやっていません!」

「状態ヲ、説明シマス」


 背を向けてモニタと睨めっこしていた職人ロボのアイザック・アシモ風太郎は、立ち上がって一同を見渡した。


「美食ロボガ、目ヲ覚サナイノハ、AIガ、ロックサレテ、イルカラデス」

「AIがロック!?」


 新ロボット法により、同一AIは同時にこの世界に存在することはできないと定められている。AIは定期的にバックアップされ、政府のコンピュータの中に保存される。そのコピーされたAIを稼働させる場合は、現状稼働しているAIを一旦停止させなければならない。


「ツマリ、美食ロボノAIガ、起動シナイ、トイウコトハ、別ノドコカデ、コピーサレタAIガ、起動シテイルノデス」


 このような処理を排他制御と呼ぶ。


「先生、コピーされたAIはどこにいるんだ?」マヒナはアイザック・アシモ風太郎に詰め寄った。


「ワカリマセン。政府ノコンピュータノ中ニモ、ドコニモ、イマセン!」

「しかし、どこかで美食ロボのAIが稼働しているということは間違いないんだな!?」

「ソウデス!」



 結局美食ロボのAIの所在はわからなかった。この件については政府が動くであろう。美食ロボは各界の重鎮達を牛耳る権力者だ。黒乃達の出番はないように思えた。


 しかしこれは事件の始まりに過ぎなかった。黒乃達は思わぬ形でこの件に巻き込まれるのであった……。

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