第291話 ラーメン大好きメル子さんです! その九
「ぎゃあ! ご主人様! 速いです! 速いです!」
赤いボディに花柄のラッピングがド派手なキッチンカー『チャーリー号』は今にも雨が降り出しそうな空の下を爆走していた。
「速いったって、時速八十キロメートルしかでてないけど」
「速いです!」
運転席でハンドルを握るご主人様の横で、シートベルトを握りしめて震えるメイドロボ。二人を乗せたチャーリー号は首都高を南下していた。
うんざりするような薄暗いビルの間を縫うようにして進み、やがて開けたエリアへとやってきた。まだ充分に昇りきっていない太陽の光が、太平洋の水面に反射して一本の橋を描いていた。
「ひょー! いい眺め! 気持ちいい! こっちは太陽でてた!」
「景色より前の車を見てください!」
本日は運転免許を取得したばかりである黒乃の、初めての長距離ドライブだ。教習の時をのぞけば高速道路も初めてだ。
「なんだか前の車遅いな……メル子、トゥータ」
「チャーリー号は戦車ではありません! キッチンカーです!」
普通自動車免許のついでに、戦車の免許も取得した黒乃であった。
黒乃は実に愉快に、メル子は震えながらのドライブを楽しんだ。
——新横浜。
二十世紀には広大な田園が広がっていた片田舎。東海道新幹線が通るようになると、次第に都市としての機能を集め始め、オフィスビルが林立するビジネス街へと変貌を遂げた。新幹線、在来線に加え、地下鉄までも走る横浜北部の要だ。付近にはプリンスホテル、横浜アリーナ、新横浜国際競技場など、数多くの施設を備える。
しかし今日二人が目指すのはそのどれでもない、一風変わった場所だ。
「ご主人様! ここですここです!」
「おお! これか〜」
ビルの合間に突如として現れる謎の施設。それが『新横浜ラーメン博物館』だ。
「うーむ、外からじゃなんの建物かまったくわからんな」
「ですね」
黒乃はビル内部の駐車場にキッチンカーを滑り込ませた。
現在十一時前。既に建物の入り口には行列ができていた。海外からの観光客も多いようだ。
「なにかワクワクしますね!」
「うむ。ラーメンのテーマパークなんて珍しいもんね」
いよいよ開館の時間だ。行列がゆっくりと進む。ラーメン博物館はチケット制である。入り口で入場料を払う必要があるのだ。
黒乃達がチケットを買う横で、サラリーマン達がスイスイと券売所を素通りしていった。年間パスを所持する猛者どもだ。
「いいな〜、ご主人様も年間パス欲しい」
「またの機会にしましょう」
二人はチケットを購入していよいよ施設内に入った。
ラーメン博物館。
世界初のラーメンのテーマパーク。1994年にオープンし、数多のラーメンと数多の客を巡り合わせた。
施設は三層構造になっており、一階はラーメンギャラリー、ラーメン作り体験、売店が楽しめる。地下一階と地下二階がラーメン屋ゾーンだ。現在は七店舗が営業中だ。
さっそく黒乃達は地下への階段へと進んだ。急激に古めかしい雰囲気が二人を襲った。
「ご主人様! なにか怖いです!」
「うおうお。お化け屋敷!?」
薄暗く小汚い駅を模したその階段は、二人に緊張感を与えた。階段を下りると、そこには不思議な光景が広がっていた。
「町です! ご主人様! 地下に町があります!」
「おお! すごい!」
眼前に見えるのは昭和レトロな街並みであった。天井には夕焼けの空が描かれ、木造の家には暖簾と提灯がかけられている。ド派手な看板、軒先に干された洗濯物。狭い路地にはネオンとガラス障子、小汚いベンチに小汚いバケツ。全てが徹底的に昭和を演出していた。
黒乃とメル子は瞳を輝かせてその光景に見入った。しかし悠長にはしていられない。
「メル子! 今日はラー博のラーメンを食べ尽くすよ!」
「はい!」
二人はさっそく地下二階の店舗に飛び込んだ。
「ご主人様。いくら大好きなラーメンとはいえ、全店舗を巡るのは無茶ではないでしょうか?」
ラー博には現在七店舗もの店が営業している。一見するとその全てを食するのは無理のように思える。
「ふふふ」
「ワロてますが」
「まあ見てなさい」
二人が最初に入ったのはラーメンの原点とも言える『浅草
しばらくするとメイドさんがラーメンを運んできた。
「うおうお。なんでラーメン屋にメイドさんがいるんだろう」
「可愛いですね! ではさっそく食べましょうか……あれ?」
メル子は目の前に出されたラーメンを見て仰天した。丼が異様に小さいのだ。
「なんですかこれは!? 小さい! ラーメンが小さいです! お子様用を頼んだ覚えはありません! どうなっていますか!? 店長! 出てきてください店長!」
「こらこら、落ち着きなさいよ」
黒乃はメル子の肩に手を置いてなだめた。
「これはミニラーメンだよ」
ラーメン博物館では複数のラーメンを楽しめるように、どの店舗でも量が少ないミニラーメンを提供しているのだ。
「ハァハァ、そういうことでしたか。これは失礼しました」
二人はラーメンをすすった。脳裏に駆け巡る映像。それは明治から昭和の荒々しい時代を駆け抜けた人々の物語だ。
「ラーメンだ……」
「ラーメンです……」
それはラーメンと呼ぶしか表現のしようのないものであった。それもそのはず、ラーメンの歴史はこの一杯から始まったと言っても過言ではないのだ。
「美味しい。深みのあるあっさりとした醤油ラーメン」
「美味しいです。古いだけではなく、二十二世紀の人が食べても新しい美味しさを発見できるラーメンです」
実は来々軒の味は一度途絶えている。後継者がなく昭和に閉店していたのだ。今食べているのは当時の資料などを元に再現されたものだ。
「うーむ、始まりの一杯に相応しいラーメンだった」
「これだけでラー博に来た甲斐がありましたね」
続いての店は『利尻らーめん味楽』だ。利尻昆布の海の旨みと鶏豚の陸の旨みを凝縮させた、爽やかながらも濃厚なスープだ。
本店は北海道の北端の島、利尻島にある。
「ん〜、濃い〜醤油! ご主人様好みだ」
「この香ばしさは醤油を焼いているのですね! たまりません!」
三店舗目は『龍上海』だ。
「ラー博唯一の味噌ラーメン!」
「ビジュアルがいいですねえ!」
昭和三十三年開業の龍上海は山形赤湯で生まれたラーメンだ。煮干しが効いた味噌ラーメンで、丼の中央に乗った『からみそ』が特徴だ。
「ほふほふ! 辛い!」
「このからみそを溶かしながらいただくと、味がどんどんと変化していって、いつまでも新鮮な気持ちで楽しめます!」
二人はよろけながら店を出た。ミニラーメンとはいえそれなりに量はある。さすがに連続三杯は胃にこたえた。
「うぃっぷ。苦しいぽよ。ぷふー」
「ご主人様……大相撲パワーがもれています」
ふらつきながら階段を上り、地下一階の喫茶店へと入った。当然店内もメニューも昭和レトロを演出している。
「ふぅふぅ、クリームソーダを飲むりっしゅ」
「私はミルクセーキにします」
一休みしたら再びラーメンに挑む。四件目は『らーめんの千草』だ。岩手の名店で鶏だけで作られたスープが特徴だ。
「あ〜、しみる〜。体に鶏がしみわたる〜、コケー!」
「なんと野菜さえ使わず、丸鶏と鶏ガラだけでスープをとっているそうです! クルッポー!」
「それハト」
優しい味わいのラーメンを食べて俄然力を取り戻した二人。このまま一気に五件目、六件目に突入した。
「九州ゾーンね! まずは熊本の『こむらさき』!」
「白いスープが美しいです! ニンニクチップの香ばしさが食欲をかきたてます!」
「次! 『博多一風堂』!」
「豚頭のみを使ったクリーミーなスープは臭みがまったくありません!」
「臭いというトンコツの常識を覆して全国に広めた立役者だよね」
白ティー丸メガネの女性と金髪巨乳メイドロボは、死んだ魚のような目で店を出た。どう考えても食べすぎである。
「……」
「……」
二人は重い胃と足取りで一階に上がった。一階にはラーメンの歴史を勉強できる映像ルームがある。二人は映像そっちのけで座りこんだ。
「……」
「……」
「ご主人様……」
「なに……」
「そろそろいきますか」
「だね」
ご主人様とメイドロボは肩を寄せ合いながら階段を下った。
七杯目のラーメンは沖縄で生まれた『琉球新麺
「おお、おお!」
「やりました! 塩ラーメンです!」
待望のあっさり塩ラーメンに、二人は涙を流して喜んだ。つるつる食感の麺が滞りなく喉を滑り落ちていく。
「うう、美味しい」
「ありがたいです」
最後まで美味しくラーメンをいただけたことに二人は感謝をした。結局きっちり七杯を完食した。
「勝った!」
「我々の勝利です!」
二人は天井の夕焼け空に向けて両手を突き上げた。
その時、薄暗い路地を走るオンボロバイクのエンジン音のような声が響き渡った。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! なんですかこの声は!?」
「まさかのラー博被り!?」
二人は声の主を探して狭い裏路地をさまよった。行き着いたのは寂れたバーのような店であった。帰りたい衝動に駆られながら、半ば義務感でバーの扉を開けた。
「オーホホホホ! お嬢様ラーメンラー博支店へようこそおいでくださいましたわー!」
「オーホホホホ! お嬢様の手作りラーメンが今なら無料で食べられましてよー!」
「「オーホホホホ!」」
黒乃とメル子は呆然と立ち尽くした。
「特製お嬢マシマシスペシャルですわよー!」
「ボリューム万点、味は億点。たんとめしあがりゃんせー!」
「「オーホホホホ!」」
お嬢様たちの高笑いが焼けた空に幾度も反射した。
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