第290話 宿題をします! その二

 休日の朝。黒乃はいつものように寝転がってプチ小汚い部屋を眺めていた。中ではプチ黒が黒乃と同じ姿勢で寝転がり、プチメル子はメル子と同じく部屋の掃除をしていた。


「あれ〜? ねえ、メル子」

「なんでしょうか?」

「プッチャがいないんだけど」


 ロボット猫のチャーリーを模したプチチャーリー、略してプッチャの姿が見当たらない。


「プッチャは基本外をうろついていますよ。猫ですから」

「外って、ボロアパートの外のこと?」

「はい」

「ほえ〜」

「黒乃〜、メル子〜、たいへん〜」

 

 突然部屋の真ん中に少女が出現した。


「ばぼらぶばばばば!」

「ぎゃあ!」


 予告なしの紅子の登場に黒乃は背中をのけぞらせ、その拍子にプチ小汚い部屋を蹴飛ばしてしまった。衝撃を受けたプチ黒とプチメル子は二人して床に転がり、両手を上げて猛抗議をした。


「わー、ごめんごめん」

「紅子ちゃん! 出現するならすると言ってください!」


 紅子。近代ロボットの祖、隅田川博士の娘。存在する状態と存在しない状態をさまよう量子人間。

 赤いサロペットスカートに白いシャツのその少女は、床にひっくり返った黒乃の白ティーをつかんで揺さぶった。


「黒乃〜、きいて〜」

「なになに、どうしたのよ」

「紅子ちゃん、なにかありましたか?」


 いつもはクールな、ともすれば無表情な紅子の顔に珍しく焦りが浮かんでいた。明るい色のくるくる癖っ毛が上下に弾んだ。


「きょう、おともだちくる〜」

「おお、小学校のお友達か」

「来るって、この小汚い部屋に来るのですか?」

「うん〜」


 ご主人様とメイドロボは青ざめた。

 政府のデータベース上のことではあるが、紅子は黒乃の娘ということになっている。つまり、この小汚い部屋に紅子が住んでいるというていで小学校に送り出しているのだ。

 仮の親娘であることがバレないようにしなければならない。


「ご主人様、どうしましょう?」

「うーん、まあやるしかないでしょ。小学一年生が相手だからなんの問題もないよ」

「はあ……」


 若干の不安を抱えつつ、出迎える用意を始めた。



 昼前。紅子はボロアパートの駐車場にいた。駐車場といっても停まっている車は数台しかなく、そのうちの一台はド派手なキッチンカー『チャーリー号』だ。

 スペースのほとんどがメル子のプランターで埋め尽くされている。プランターには野菜が栽培されており、それはまさに畑であった。

 その畑の中をしきりにいったりきたりしている少女。


「そろそろ来るかな」

「そろそろ時間ですね」


 黒乃とメル子はその様子を二階の窓から見守っていた。


「でもお母さんは、紅子が友達を家に連れてきてくれて嬉しいよ」

「完全に母になっています!」



 そうこうしているうちに、通りに二つの小さな人影が現れた。


「きたきた! あの子達でしょ!」

「きっとそうです!」


 紅子もその姿に気がつき、走って出迎えにいった。戻ってきた時には紅子の両手にはそれぞれの少女の手が繋がれていた。

 少女達は手を繋いだまま階段を上り、小汚い部屋の前までやってきた。


「お待ちしておりました、お嬢様方」


 メル子は扉を開けて出迎えた。麗しいメイドロボの登場に二人の小さな客の小さな瞳は輝いた。


「メイドロボ!」

「わぁ、メイドロボがいる。きれい」

「メル子ママ〜」


 三人は小汚い部屋にあがった。中では長身の女性が待ち構えていた。二人の小さな客はそれを見上げた。


「黒乃山!」

「わぁ、黒乃山がいる。おもろ」

「黒乃おかあさん〜」

「ははは、今日はゆっくりしていってね。えーと、なに子ちゃんとなに子ちゃんかな?」


 メガネをかけた少女が元気よく右手を上げた。


「はい! 紅子ちゃんのおともだちの持子もっこです!」


 嘘みたいに長い黒髪の少女は恐る恐る右手を上げた。


「わぁ、紅子ちゃんのおともだちの睦子むっこです。えへへ」

「ははは、二人とも小さくて可愛いなあ」



 三人は仲良く床に座った。すぐさまメル子が紅茶を淹れた。牛乳と砂糖たっぷりのミルクティーだ。


「わぁ、紅子ちゃんってふたりもママがいるんだ。いいな」

「さんにんいる〜。あとペットとへんたいもいる〜」

「すごい!」


 三人は紅茶を美味しそうに飲んだ。

 一通りティータイムが終わると、カバンの中からデジタルノートとデジタルペンを取り出した。


「しゅくだいやる〜」

「なるほど、みんなで宿題をやるために集まったのか」

「頑張ってくださいね!」

 

 床にうつ伏せになった三人が黙々とこなしているのは漢字の書き取りだ。デジタルペンを握りしめて何度も繰り返し書き込む。


「ほう、漢字か〜。この時代ペンで字を書くなんて滅多になくなったよな〜」


 次は英語だ。同じようにアルファベットを書き込んでいく。


「小学生から英語の勉強は当たり前の時代になったんだな〜」


 算数の問題に取り掛かる。持子と睦子が夢中になっているのは簡単な足し算と引き算のドリルだ。


「あれ? 紅子の問題だけ違うな? ビール予想? 今年のビールのデキを予想するのかな? 小学生になんちゅう宿題だしとんねん」

「黒乃〜、うるさい〜」

「ああ、ごめんごめん」


 最後は朗読の宿題だ。デジタルノートに表示された文章を読み上げると、内臓マイクが音声を拾って判定してくれる仕組みだ。


「ぎゃくにかんがえるんだ。あげちゃってもいいさとかんがえるんだ」

「おーのーだずら。おまえもうだめずら。ぎゃくにおしおきされちまったずら」

「のうみそずるだしてやる。せぼねばきおってやる」


 古典の難解な文章に小学生達は四苦八苦しているようだ。しかし、たどたどしく読み上げる様は小学生らしくて可愛らしい。黒乃とメル子は思わず笑みをこぼした。


「古典は大変だよなあ」

「表現が独特ですからね」


 ようやく宿題が終わった。三人ともくたくたに疲れてしまっているようだ。


「皆さん、お疲れ様でした。お昼にしましょう!」

「おなかすいた〜」



 一行は駐車場のプランター畑にいた。新鮮な食材を使って昼食を作るのだ。


「このトウコロモシおおきい〜」

「ニンジン!」

「わぁ、セロリ。うまそ」


 思い思いに好きな野菜をもいでいく。大都会東京では野菜はスーパーマーケットに陳列されているものだ。自ら収穫することは初めての体験のようだ。


「私が子供の頃は、畑のトウコロモシを勝手にもいでよく怒られたっけなあ」黒乃はしみじみ語った。


「いや、ご主人様は尼崎の生まれでしょう。いつの時代の話をしていますか」


 収穫した野菜でメル子が作ったのはペルーの『サンコチャード』だ。牛肉と野菜をじっくり煮込んだスープである。


「さあ、出来上がりました! お召し上がりください!」


 三人のちびっ子達は一斉にテーブルに駆け寄った。見たことのない料理を目の前にしてよだれを垂らす。皆夢中で料理を頬張った。


「おいしい〜」

「紅子ちゃんのママ、おりょうりじょうず!」

「わぁ、これすき。ぱくり」


 三人は綺麗に鍋を平らげてしまった。



 昼食後はみんなでプチ達を眺めて過ごした。持子がプチ黒を手のひらに乗せるも、プチ黒は微動だにしない。


「紅子ちゃん、これでんちきれてる!」


 睦子はプチメル子を手のひらに乗せた。指を差し出すと小さなロボットはその指をつかんで握手をした。


「わぁ、かわいい。うふふ」


 そこへプッチャが散歩から帰ってきた。窓をカリカリと爪で引っ掻いている。メル子が窓を開けると、手のひらサイズのロボット猫は勢いよく飛び上がり紅子の頭の上に乗った。


「プッチャかえってきた〜」

「かわいい!」

「わぁ、もふもふ。すてき」



 しばらくプチロボットで遊んでいた三人の動きが次第に鈍くなってきた。眠いのだと悟ったメル子は床に布団を敷いて三人を寝かせた。

 天井を見上げ、眠気に耐えながら会話を交わす。学校のこと、家族のこと、友達のこと。


「わぁ、紅子ちゃんのおかあさんってわかいね。いいな」

「うん〜」


 確かに六歳の娘を持つ母にしては黒乃はだいぶ若い。


「おとうさんはきょういないの!?」


 持子の問いに紅子は一瞬体をこわばらせた。視線を黒乃の方に向けた。


 紅子の父親、隅田川博士はもうこの世界には存在していない。娘を黒乃に託し、消えたのだ。もちろんこのことは誰にも明かせない。紅子の特異な秘密は紅子を不幸にするだろう。


「えーとですね! お父さんはですね!」メル子は慌てて取り繕おうとした。


「おとうさんはもういないの〜」


 紅子は自らそう言った。黒乃とメル子は思わず息を呑んだ。悪気があったわけではないが、少女にとっては辛い質問だ。


「そうなんだ、ごめんね!」

「わぁ、さびしくない? へいき?」

「おかあさんも、ママも、くろいママも、ペットもへんたいもいるから、へいき〜」


 紅子は堂々と言い放った。

 量子状態となり、隅田川博士とさまよった数十年。出会いも変化も成長もない時が止まった日々。その日々はもう終わった。

 紅子は過去を乗り越えて、前に進んでいる最中なのだ。新しい家族と共に。紅子の時は刻み始めている。


 母二人は言葉もなく娘を見つめた。いつの間にか三人はまどろみの中に沈んでいたようだ。

 多様な家族の形が一般的になった社会とはいえ、その中においても紅子は特殊だ。しかし大勢の人が彼女を認め、許さなくてはならない。

 そうしなければその存在は夢の中へと消えてしまうのだから。

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